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僕達はステージに上がった。それはトオルの高校の体育館、お世辞にも満席とは言えず、パラパラと、知り合いが出るから、と見に来た連中が居る程度だった。
ステージに当てられる、粗末な、出力の低い、嘘の、そういうスポットライトが眩しかった。トオルは僕の少し前を歩いていて、舞台袖から出る時に恥ずかしそうに笑い、手を振る、トオル、トチんなよ! 最前列にはさっき演奏していた、軽音部の人たちが座っている、その中の一人、二組目でギターを弾いていた人がそう囃した。
皆汗をびっしょりかいて、喉も渇いているのだろう、めいめい好き勝手なジュースをゴクゴク飲んでいる。安っぽいパイプの折りたたみ椅子。トオルは恥ずかしそうにずっと笑っている、僕は笑わない、何にも面白くないからだ、イノウエくんも笑っている。
トオルはエフェクターを持っていないのでベースから出たシールドをそのまま今日何度も犯されつくしたヘッドアンプに挿す。イノウエくんはドラムセットに座り先ほどの演奏でズレたドラムセットの位置、高さの調整を進めている。
僕は床にシールドとエフェクターをばらまく、ばらばら大きな音が鳴り軽音部の人達が顔をしかめるのが見えた。シールドが滅茶苦茶に絡まっていたので僕がしゃがみこみそれをほどいていると、キュウちゃん、早くしてよ、とトオルが恥ずかしそうに言ってくる。絡まってるんだからしょうがないだろ、前のバンドみたいにMCでもやってなよ、と僕は言った。
わかったよ、とトオルは言い、そのまま、恥ずかしそうな、笑った顔のまま、マイクの前まで行った、えー、あの、軽音部、二年のトオルです。今日はえっと、外国の、英語のバンドの曲をやります、なので、少し皆、面食らうかもしれない、トオルがそこまで言うと、二組目でギターを弾いてた人が日本の中で有名な日本の人に向けてやるハードコアバンドの名前を言い、そういうのをやるのか、と言った。やんないよ、そういうのじゃない、もっと良い奴、かもしれない、と言った所でトオルが笑ったので、客席も笑った、シールドがほどけた。六弦から一弦まで適当に弾いてみると、大体は合っていた。立ち上がり、ペダルを踏んでみると、通電も大丈夫そうだった。
トオルはまた笑い、えーっと、まだかな? みたいな事を言い、笑い、僕の方を振り返り、客席もまた笑った。僕は終わったよ、とトオルの肩を叩き、トオルの横からマイクに割って入った。僕は今日、うるさいのをやる、皆、面白いだろうから、笑って、楽しんでくれ。
すると、客席は静かになった。笑え、と言われると笑わなくなるのが、群集の持つ小さな反抗心だ。それがおかしくなって僕が笑うとその笑い声はマイクに吸い込まれ体育館中に響いた。誰も笑わなかった。
僕はイノウエくんの方を振り向いた。イノウエくんも笑う事をやめていた。いや、唇の両端は上がっているのだが、それは笑みには見えなかった。僕がイノウエくん、お願い。と言ってから顎でドラムセットをしゃくると、イノウエくんが1,2,3,4、とシンバルとタムを叩いた。
そうだ、もっともっと笑え、笑えば良い、笑えばお前らと俺は違う生き物だと証明される。それこそが証明だ、お前らが笑えば笑うほど俺は一人でお店だった所で手酌をし酒に溺れる生き物でもなく子供を一人置いてパチンコに行くような生き物でもなくただ一緒である事に安心して一緒じゃない生き物を気味悪がるするような生き物でもなく気持ち悪いセックスや膣やおっぱいに夢中になる生き物でもないという事が証明される、そうだ、もっと笑え、お前らは俺を笑う、精々笑ってくれ、もっと笑え、俺は頭に蝿を入れてるんだ、俺はお前らとは違う生き物なんだ。
イントロのビニールが裂けるようなギターの音が鳴る、今は僕のギターから放たれている、僕が左手の人差し指と薬指で押さえる弦、その僕の指からブリッジまでの間、そこに振動が起こる、音をキャッチボールするみたいにして行ったり来たりし、そのたびに音は徐々に徐々に大きくなる。僕の右手に握られたピックは弦を引き裂こうとしている。そのたびにプラスチックのピックは金属の弦に負け跳ね返される、そうしてまた振動が起こる。その振動はギターのピックアップマイクに吸い込まれる、それはシールドを通りエフェクターを通りどんどん吸い込まれていく、最後はヘッドアンプだ、そうして溜め込まれた吐瀉物のような音は巨大なスピーカーから散水され、客席の奴らはゲロを頭から被る事になる、俺にはそれがたまらなく気持ちが良い、俺はそのままマイクへと向かう、キュウちゃん、お前歌う時、いつも、なんていうの、少年、みたいな、変に爽やかな声してるよ、トオルはそう言う、俺も煙草を吸った方がいいのかな、と僕はトオルに言う。その日は腹の底から声が出た、喉が痺れるのがわかった。ビニールが裂けるような声が出た、それは叫びだった。客席からは笑いも何も起きていない、身じろぎ一つ起こす奴すら居ない、俺は目を閉じて歌う、時々目を開けるとそれがわかった、トオルの母親だけがニコニコ笑顔でビデオカメラを回していた。時々トオルの方を見る、イノウエくんの方を向く余裕はない、トオルはベースだけを見て必死に弾いている、汗が玉となって飛び散りそれが光を反射する様子が見えた、ふいに、視線をあげたトオルと目が合う、トオルの目はいつもより見開かれていて、輝いているように見えた。僕は右足で小さくリズムを取る、それはいつのまにか、大きな、踏みつけ、そういうものになっていて、体育館のステージの床からはバンバン音がした、それ以外に何も動くものはなかった。僕はリフとリフの合間にマイクから顔を引き大きく息を吸う。そしてまたマイクに齧り付くように向かう。なぁ、俺を助けられないか、何かが俺の頭の中に居るんだ!そこからソロに入る、オーイェー、俺は床に倒れこむ。ソロをかき鳴らす、滅茶苦茶だ、この曲はこんなソロじゃない、そのまま床で足をばたばためちゃくちゃに引っ掻き回しその場で回るとシールドが肩の下に入って痛かった。イノウエくんがモタつくのがわかったが、トオルは軽くおかずを入れてきて、俺はそれにうまくノイズで乗っかれて、それが堪らなく気持ちよかった、深く低く響く音だ、何もかもを忘れられる、これが俺の生きる方法だ、これが俺の生きていく理由だ、そう思った。二曲目もそういう風にやった。しかし、三曲目に入った時、僕は急に、白けてしまった。なんとか最後まで、歌ったし、演奏はした。
白けたの? 酷かったわよ、今日のライブ。と、シホが僕に言う、そうだ、白けちゃったんだよ。今度のドラム、アイツはなんて言ったっけと僕が言うと、シホがヤマネくんよ、と答える。そう、そうだ、そのヤマネだ、あいつが要らない事ばっかり、スタジオミュージシャンあがりの、でしゃばり野郎め、トオルもトオルだよ、あんな奴とへらへらへらへらつまらないリズム隊やってさ、僕がそこまで言うとシホは、あんた、ギター叩き折って、スピーカーの上綱渡りみたいにして渡った後、そのヤマネくんのドラムセットに飛び込んで、最前列の今度MV作るからってビデオ回してる連中のとこまでキチガイみたいに走ってって、そんな風にして、どれぐらい暴れまわってたか覚えてるの? と笑いながら言う、いや、と僕が言うと、十八分よ、馬鹿。と言ってシホはケラケラ笑った。違う、白けたんじゃない、その直前までは本当にそこにある何か、蝿と僕との間の空間にオレンジジュースみたいな液体を注いで、やっと僕が蝿に押し込められてる透明な白い膜、それを破れそうな、違う、オレンジジュースを通してでも、やっと膜の外を感じられるかもしれないと思ってるんだ。でもそれがわかった途端に全てがパーになる、白けてしまう、それをそうするためにそうしている自分を網膜の裏から見た時、全てが馬鹿らしくなって、自分が喜劇の舞台で右往左往しているコメディアンか道化師になった気分になるんだ、考えが湧くと膜は強くなる、膜は意思を持っているに違いない、蝿は僕の中から湧き出てきてジュースを全部ゴクゴクゴクゴク飲み干してしまう。そうすると僕は結局虚しい白けた気分になって、ただむすっとしているしかなくなってしまうんだ……
もう、無駄な抵抗はやめろ。
僕はシールドをひっつかみ、アンプから引き抜く、アンプは断末魔みたいな、ブツン、という音をあげた。
シールドをつきさしたまま、ペダルやら何やら、そういうガラクタを一緒に首にかけ、ギターのネックを握り、手で持つ。イノウエくんは汗をかきかき、笑いながら、下を向いていた。
トオルは僕と同じようにアンプからシールドを抜いた。同じような断末魔みたいな音が鳴って、トオルは笑った。真空管、死んじゃったかも、と、僕の方へ振り向き、笑いかけてきた。
僕達は舞台袖に引き上げ、そのまま控え室へと戻った。
求められているのはそれ"っぽい"ものだ、本物なんて求められていない、それっぽいものの方が本物よりもそれっぽい事だってある、ほとんどの人間にはどうでもいい事だ、どうせ死ねば皆糞と小便に塗れ土に埋められ蚯蚓が眼球があった穴に我先へと駆け込み、蛆が臍から腐りつつある内臓へと向かい一直線、そうして俺の体も脳味噌も蝿も一緒にそいつらの糞へと変わる。ならば発酵し、腐臭をあげ、頭がくらくらするような本物を飲み、憂鬱になり、悲しみを覚え、頭を揺さぶられるよりも、その本物の、甘い甘い上澄みだけを掬い、硝子のお猪口に入れた偽者を飲み、皆と、そうだ、皆と、さざなみのように同じように揺れ微笑を浮かべている皆と、硝子製のお猪口の出来、上澄みに僅かに残った本物の味、またそれを振舞う"ホスト"の所作、そういうものについて、語らっている方がよっぽどいいじゃないか……一度腐臭を知ってしまうと病みつきになる、なんだってそうだ、尻の穴をかいた後、指を嗅ぐと糞と汗の臭いがする、嗅がなきゃいいのに時々それを鼻へ持って行きくんくんやっちまう悪癖、それと同じ事だ、腐敗臭は強烈だ、一度それを嗅いで、その臭いが何から出ているかわかってしまうと、もう何をしていても、例え上澄みを飲み同じ上澄みを飲んだ"友"と語り合っていたとしても、その腐敗臭は常に脳の片隅に居る、そうしてこう囁く、わかっているはずだ、何もかもは無意味で醜い、諦めろ、諦めろ、諦めろ、生きている意味なんて何一つない……
キュウちゃん、見たかよ、あいつらの顔! と、トオルは言った、僕達は控え室でぼんやり座っていて、イノウエくんが僕達の前に出たバンドの方へ顔を出しに行ってる間、手持ちぶさたで、他のバンドの人達は僕達の事を居ないように扱っていた。
皆は皆同士普段聴いている曲の名前をやりとりしあっていた、そんな中僕がむっつりと座っていると、トオルはベースをマシンガンみたいにして持って僕の方に向けて来て、僕はトオル、やめろよ、撃たないでくれ、と笑いながら両手を挙げた。
そしてトオルはマシンガンを僕の方に向けながら、そう言った。それから、こう続けた。
俺さ、楽しくなかったんだ、軽音部に入ってもさ、ほら、よくあるじゃないか、漫画とかでさ、僕はマイナーなインディーズバンドの曲をやりたいのに皆はメジャーの大手バンドをやりたがって、それを嫌がった僕は、学校を出てスーパーバンドを作る……みたいな奴、ああいうの、嫌だな、と思っててさ、まるでお話じゃないか。でもさ、キュウちゃんとやってた奴はさ、メジャーもメジャーだから、大丈夫だと思ってたんだ、でもさ、現実ってもっと酷くてさ、皆おんなじような曲なんだ、入る前は皆パンクもロックもメタルもカントリーもブルースも、そういう、好き同士がぶつかりあって、何もかもカオスで、そのカオスの上澄み、みたいな、そういう緩い所に居たいとイメージして入ったんだけど、皆が、皆、同じような、お経みたいな、青春とか、愛とか、恋とか、興味のない、嘘っぱちの、ラミネートだけの、そういうものを歌ってるんだ、俺、楽しそうにしてたよ、でも、本当は何にも楽しくなかった、白けてたんだ。トオルはそこまで言ってからマシンガンを降ろし、控え室の机に立てかけた。
トオルは偉いよ、僕はそう思ったし、実際にそう言った。何が? とトオルが聞き返して来た時、丁度イノウエくんが僕らの方に来た。
いやぁ、参りましたよね、皆なんていうのか、戸惑い? みたいな、僕、三曲目の時恥ずかしくって、ドラムから顔も上げられませんでしたよ。とイノウエくんは僕達に笑いかけながら言う、笑われなくて良かったじゃないか、とトオルが真顔で言うと、ええ、まあ、そうですね、と言った、笑顔は崩さなかったが、顔に、なんていうのか、恥ずかしさが浮かんでいた。
あ、僕、あっちのバンドの皆とこの後、メシ行くんですよ、なんで、すみません、とイノウエくんは汗をかきかき、笑いながら、僕達に背を向け、行ってしまった。僕達は二人でその背中を見送った。
トオルが僕の方を振り返り、キュウちゃんはどうだった? 恥ずかしかったから、三曲目、なんか、そうだな、恥ずかしくて、白けた感じになったの? と聞いてきた。白けたのはそうだけど、別に恥ずかしくはなかったな、よくわかんないよ、喉が痛くなったからかもしれないし、と僕が言うと、トオルは嬉しそうな顔になった。
そうか、アルトラ、アルトラか。いいなぁ、なんか俺、好きになっちゃったよ、アルトラ。とトオルは言い、鼻歌を歌った。怖そうなジャケットのCDの、二曲目の曲のイントロだった。




