七 戦い
「彼らは本当は昼の世界の住人だった。あまりにも幼い頃に捕まり、夜の兵士になった為、心を元に戻すことはできなくなってしまったんだ」
おじいさんの声を聞きながら、暗闇の中を『軽トラック』という機械は進んだ。
兵士達は戦いの犠牲者だったのだ。そして、ぼくは隣を見る。彼女も、きっとそうだ。
「昼と夜が仲良くする方法はないんですか」
ぼくの質問にうーんと二人は唸った。
「もう大分長いこと、戦っているからなあ」
おばあさんも困ったような笑い声で言う。
「あなた達みたいな若い世代が、希望なのよ」
溜息が聞こえた。隣からだった。彼女はもうこの戦いに疲れ切っているのではないだろうか。
「なぜ戦争になってしまったんですか」
「わからないわ。けれど、私達昔の人間が悪いのも確かね。あなた達に辛い目に合わせて申し訳ないわ」
軽トラックはがたがた音を鳴らして進む。なぜか聞いていると気持ちが落ち着いてくる。空を見上げた。光の優しい瞬きが見える。須藤のことを思い出す。他の兵士達も。彼らは戦いがなければ普通の学生であっただろう。
「ねえ、奴を殺すの」
小声で彼女に聞いた。少し間が空いて答えがある。
「私の義務だ」
「どうして」
「私も戦争を始めた一人だから」
なぜ、そんなことを言うのか。君は悪くないのに。
「担任教師がいなくなったら、学校に戻ろう。普通に暮らすんだ」
返事はなかった。
「いたぞ」
おじいさんの声で振り返る。夜の町の手前、走るスーツの背中が軽トラックの明かりに照らされている。横に風を感じた。彼女が立ち上がった。
「私に任せろ」
「わかっていますよ」
彼女とおばあさんのやり取りが、ぼくには信じられなかった。
「止めないんですか。彼女を」
どうして彼女を戦わせる。彼女はもう随分戦って、疲れている。彼女をなぜ止めない。
「私にも責任がある」
「なぜそんなことを言うんだよ」
「人を、殺したからだ」
彼女が人を殺したことがない訳ない。そんなことはわかっていた気がした。
「もう、十分、罪は償っただろう」
「まだまだだ」
彼女は走って行った。人を殺したから人を殺す。わからない。おじいさんとおばあさんも、どうして彼女に任せるんだ。なぜ軽トラックを、と考えて思考が停止した。それ以上は、考えてはいけない気がした。
彼女の荒い吐息が聞こえる。担任教師は以前の物より太いナイフを持っていた。彼女は体にそれを受ける度、息が荒くなっていく。酷いことばかりだ。おじいさんもおばあさんも担任教師も。
「ああっ」
悲鳴が響いた。彼女は倒れていた。その彼女にナイフを何度も振り上げる醜い男。ぼくは待てなかった。おじいさんとおばあさんが動き出すのを。彼女が再び立ち上がるのを。
ただ、彼女がやられるのを見ていることに耐えられなかった。
「おじいさん、軽トラックを」
ぼくがそう言ったのと同時に、おじいさんは手元を動かして軽トラックを進めた。
担任教師が、空高く舞い上がり、照明の外に消えた。
軽トラックは動いて、さっきとは別の方角を向いた。照明が倒れた男をとらえた。
男はまだ生きていた。
明かりの中に彼女が入ってきた。彼女は男の大きなナイフを持っていた。スーツのポケットから何かを出した。
「やめてくれ、それだけは」
彼女は鎖の先、時計を二つ、ナイフで突き刺した。
ぼくは男が口を開けたまま固まるのを見た。
「わしは、君に特別な時計をつけた。見えない時計だ。否、もともとは特別ではなかった。昼の者達は、皆、時計が見えないだろう。それは、もともとは昼の時計だった。昼の時計を、夜の時計に改造する技術を、わしは持っている。その時計は、君の心に合わせて錆がつく。すると段々と時計の姿が目に見えるようになる。錆は、流石に見えないようにできないからの。清く生きなされ」
白い軽トラックは見えなくなった。彼女も一緒に。空は白み始めていた。ぼくはそうやってぼうっと立っていた。いつの間に太陽が姿を見せたのだろう。無性に家族が恋しくなった。時間をかけて、ぼくは家に帰った。
「あら、お帰りなさい」
母さんは驚くほどにいつも通りだった。
「心配かけてごめんね」
「いつも通りよ、この心配屋さん」
悪寒が走る。どうしてなんだ。
「お、帰ってきていたのか」
父さんがにこにこして登場した時、ぼくの悪寒は震えるほどになっていた。
「ぼく、ここ数日、いなかったよね。驚かないの」
父さんと母さんは顔を見合わせた。
「だって、教育委員会から手紙がきていたもの。息子さんは暫く帰りませんって」
「それで、安心したんだ」
「うん、教育委員会の言うことは信用できるからな。勉強の為の合宿でも行っていたのかい」
ぼくは玄関を飛び出した。あんなに普通だと信じていたこの世界は、おかしい。おかし過ぎる。教育委員会とか言っていた。学校の校長にでも聞けば何かわかるだろうか。足が学校の方へ向かう。途中で、あることを思い出して馴染みの店に入ったけれど、それ以外は、真っ直ぐ通学路を歩いた。
学校に着いてもぼくは教室には行かなかった。彼女のいない教室なんて意味がない。職員室のドアを叩いた。真っ直ぐ行くと、大きな机の後ろに、校長が座っていた。
「お、帰ってきてたのかい。どうだい。勉強は進んだかい」
お話にならないと思ったぼくは、担任教師の席を見た。そこには見たことのない中年の女の人が座っていた。
「新しい先生だよ。前の先生は退職なさったんだ」
ぼくは校長に一礼し、そのまま入口へ戻った。もう、振り向かなかった。
図書室で胸ポケットからある物を取り出す。カメラと、封筒だった。馴染みの店で、写真を現像してもらった。封筒に入っている。それを見て、ぼくは階段を降り、玄関の戸を開き、校門を潜った。向かう所は一つだった。
写真には彼女の姿が写っていた。いつもと同じ学生服の彼女。そして、おじいさんとおばあさん。丸太の家の中で撮影されたと思われるその写真には、あの担任教師の姿があった。彼は、学生服の若い姿で写真の中、彼女と並んでいる。なんで担任教師が。そして、なぜ彼女は若いままなのか。
恐らく、きっと真実は彼女の中にある。
ぼくは全てを信用できなくなった。
世界はおかしい。
そして、彼女のことが頭から離れなくなった。
だから全てを捨てよう。
彼女のもとへ。
激しい砂嵐の中、砂漠の道を、ぼくは進んだ。それは、ぼくの意志だった。血生臭いことはわかっている。砂嵐で前を見ることはできない。
あれから両親がどうなったか、ぼくは知らない。