六 時計
ぼく達はテントの間、人と人の間を縫って歩いた。あるだろうと予想された襲撃はなかった。彼らは『ボス』の所に集まったのだろうと言って、彼女はきた道を戻るようぼくに命令した。「この件を終いにしなければならない」と彼女が言った。
ぼくもよく考えれば彼女は狙われているので、争いに巻き込まれないでいるのは無理なのだと悟った。彼女が平穏に暮らすには『ボス』と呼ばれる担任教師を止めることが必要不可欠なのだと思う。
きた道を戻ると言っても、町は随分入り組んでいるし、じぐざぐに進んできたから、思い出すのは大変だった。どちらに進むか迷っていると敵に襲われるかもしれない。だが、沢山あったテントは、一つ、また一つと店仕舞いをし、畳んでいた。だから道がはっきりと見え、開いた道を選んでいるうちに、不思議ときた道を戻ることができた。目の前にある古びた入口は、記憶の中にあるアジトの扉と一致した。
「お前はここにいろ」
案の定、彼女は扉を開け一目散に駆け出して行った。ぼくもここでは引き下がる訳にいかない。ぼくは兵士の恰好をしている。そして、さっきの戦いに参加してないのだから、敵のアジトへうまく紛れ込むことができるはずだ。
扉を開けると古めかしい外観とは違い、まるで漫画の宇宙船のような内部に驚く。白い廊下の壁は丸みがあってピカピカして見える。さっきは命がどうなるかそればかりだったのでこの廊下を見ても漫画的な内部を気にとめなかった。真っ白な壁を映えさせるこの明かりはどこから照らされているのか。
廊下の扉は今入ってきた入口以外は白かった。すぐ横にあった扉が開いた。
「どうした」
「女が現れた」
二人の兵士は、ぼくに気づいたが、一瞥すると廊下の奥の方へ走って行った。少し不思議に思いつつもぼくはその後を追いかけた。二人が飛び込んだ部屋は、確かに『ボス』と呼ばれるあの人の部屋だった。部屋の前に立ち、ああ、まただと思う。彼女は戦っていた。周りに兵士達が散らばるように倒れていた。担任教師はいなかった。飛び込んだ兵士は彼女と戦いに入った。彼女の目は赤かった。人間ではあり得ない目の赤さだ。ぼくは恐ろしさより悲しみが込み上げてくるのを感じた。彼女は反射的に戦っている。戦うことが怖いとか、嫌だとか、考える暇を彼女に与えてくれ。
「ああああああああ」
男は一人、また一人、悲鳴を上げ、最後には言葉にすることもできないような声を上げて倒れた。彼女の手は鎖を握っていた。その鎖は男の胸ポケットに繋がっていた。手を離すとコロンと時計が飛び出た。彼女は黒い手袋の上に炎を出すと、時計を一瞬で燃やしてしまった。もう一人の男の時計にも同じことをした。よく見まわすと、兵士の誰もが鎖をポケットから出し、その先に焼け焦げた時計をつけていた。
「これは」
どういうこと、という言葉は繋がらず、彼女の言葉にバトンタッチした。
「昼と夜の時計があるとはいえ、時計は人の心臓。痛みを伴う」
彼らは心臓を二つ持っていたということなのだろうか。ぼくは先程の須藤を思い出した。時計が壊れていた。須藤も二つ時計を持っていたとしたら、壊れたのはどちらの時計だろう。どちらであっても、もう須藤と体育の授業を受けることはないのだろうが。
「これはお前の学生服だろう」
彼女が目で示したのは、部屋の中央にあった机の上の学生服だった。彼女が出口に向かっていたので、ぼくは急いで着替えることにした。ぼくの素肌の上に時計の鎖が生えていた。違和感がある光景だ。時計を見た。動いている。短針と長針が十二に近づいている。ということは、そろそろだ。いつまでもここにいられない。着替える時、時計とその鎖を、学生服のポケットの裏に手で破って開けた穴へ通す。学生服のポケットにはカメラが入ったままになっていた。ぼくはカメラを指で確認しながら、白い廊下に出て、誰に会うこともなく入ってきた扉から外に出た。
明かりはあるのに、テントは殆んどなかった。彼女を追いかけようとして段差に躓いた。そして心臓が重くなり、体がアンバランスになったまま力を失った。地面に落下する。顔面をぶつける前に意識を失った。
重い瞼を開けると布団の中にいた。見覚えのある顔が並んでいる。まただ、と思った。
「一日ぶりね」
「元気そうだな、良かった」
おじいさんとおばあさんだった。起き上がって、辺りを見渡そうとして、胸に痛みを感じた。ぼくは上半身裸だった。
「よく見てごらん」
胸に傷跡があった。鎖のついた時計がなかった。それよりも驚いたのは、空気の温かさ、窓から入る日の光だった。
「手術をしたばかりだからね、痛むと思うがすぐに良くなるよ」
「ゆっくり休んでね」
なぜ二人が生きていたのかが気になったが、素直にお礼を言うことにした。
「ありがとうございます」
この部屋は窓にレースがかかり、テーブルには花が飾られ、壁は丸太を重ねて作られている。思わずほっとしたくなる空間だった。ぼくはゆっくりとベッドから立ち上がる。窓に近づいて太陽の光と青空を確認した。昼だった。ぼくが見慣れた世界だ。
「もうすぐ学校が始まるわよ」
おばあさんが学生服の上を持ってきてくれた。ぼくは何かが納得できないままそれを受け取り、着替えた。
おじいさんとおばあさんが玄関先まで見送ってくれる。
「元気でね」
ぼくの目の前で扉は閉まった。
外は砂漠で、遠くに学校が見えた。もっと遠くに『廃墟』も見えるけれど考えないことにした。
靴に砂を入れながら何十分も歩いて、やっと校門前にきた。そのまま玄関まで歩く。ガラス戸の向こうは空の下駄箱が並んでいる。ぼくは上靴のままであることに気づいた。靴を脱ぎ、砂を落としてから、また靴を履き直した。
教室に向い、戸を開き、ぼくは呆然とした。席はほぼ埋まっていた。ぼくの席だけが空いている。隣の隣は、男子生徒が座っていた。
まだ休み時間なんだ。きっと男子生徒は立ち上がるに違いない。
リンゴン、リンゴン、鐘が鳴った。始業を知らせる鐘だ。男子生徒は、まだ立ち上がらない。駄目だ、違うんだ、そこは、彼女の、下川さんの席なのに。
教室の戸が開く音がした。彼女がきたと思って見て、心臓が固まった。
担任教師だった。顔に傷後がない。
これは、全てが夢だった、その証拠なのだろうか。
「授業を始めるぞ」
授業が始まっても黒板には目が行かず、ぼくは傷跡があったはずの、担任教師の顔を見つめていた。彼の目は黒板かノートに向けられ、ぼくと目が合うことはなかった。
休み時間、ぼくは彼女がいないのに図書室に向かった。図書室は彼女がいないことを抜かせばいつも通りだった。本棚には古めかしい表紙の本が並んでいる。ぼくはそのうちの一冊を取る。漫画の本だ。確か、前の世界が滅びる直前に作られた物だ。この世界にある物の多くが前の世界の物だと聞いている。僕の部屋にあるカメラも。そこまで考えて、ぼくは学生服のポケットを探った。あった。カメラだった。新しい、カメラ。ない訳ではない。けれどカメラではとても珍しい、高価な物のはずだ。部屋にあるぼくのカメラも前の世界で作られた、古い物だ。おじいさんとおばあさんの家を思い出す。昼に見た丸太の家はとても立派だった。おじいさんとおばあさんは金持ちなのだろうか。考えれば考えるほど、不思議だった。
本を借りて教室に帰る途中のことだ。ぼくは何か違和感があった。自分の教室に彼女がいないこともそうだが、廊下も。何だか、静かすぎではないか。
隣のクラス、須藤。そうだ、ぼくは恐怖に駆られ隣の教室の戸を引っ張った。取っ手をつかんでいるのにびくともしない。窓ガラスの中は空っぽだった。机と椅子が無造作に積み上げられている。物置になっていた。
担任教師がぼくのクラスの戸を開け出てきた。
「なんだ。そこは物置だぞ。危ないから近づくな」
言うだけ言って、担任教師は廊下を歩いて行ってしまった。あったはずの教室がない。担任教師がいつも通り。何かがおかしくなっている。否、ぼくだけがおかしいのだろうか。
帰宅を知らせるベルが鳴ると、ぼくは急いで町に向かった。それは家ではなかった。小さい頃からお世話になっている店だ。そこで、あることを頼むと、ぼくはまた学校に向かった。校門には入らず、砂漠に入って行く。今日の最初にいた場所、おじいさんとおばあさんの家へ向かうのだ。
太陽が物凄い勢いで傾いていた。もうすぐ日が暮れる。速くたどり着かなくては。丸太の家へ着いた時、太陽は地平線の上にあった。扉はすぐに開いた。薄暗くなっているだけで、中はさっきと変わらない。おじいさんとおばあさんはいなかった。今日は家へ帰ろうと砂漠を走ったが、息が切れて歩いた。砂漠で走るのは辛い。
校門の前まできて、ぼくは思わず学校を見上げた。全てが夢だったのかもしれない。丸太の家のことは棚に上げてそう思った時、学校のガラス戸から誰かが出てくるのが見えた。担任教師だった。門の所まできて止まった。いかつい顔が、ぼくのことをじっと見ている。ぼくは嫌な予感がした。早く家へ向かおう。もうすぐ日が沈む。
走ったぼくの腕を誰かがつかんだ。振り返り、そこにあったのは担任教師だった。醜く笑っている。
「どうしたんですか」
「待っているんだ」
担任教師はそう言うと、またにやっと笑う。腕にかけられた手の力が凄い。
「離してください」
「時間になったらな」
もうすぐで十二時になる。昼の時計に取り換えてもらったのだから、ぼくは十二時を過ぎると動けなくなる。当然のことだ。担任教師は、その時を待っているのだ。ぼくは馬鹿だ。この担任教師は、ただの教師ではない。『ボス』なのだ。
「嫌だ!」
逃げようとするぼくをどうやってか押さえつける担任教師は、不動だった。
「待て」
聞き覚えのする逞しい声。ぼくは顔を上げた。
彼女だった。学生服姿、長い黒髪、手足が長く、白い。
「ほう、今戦うのか」
「図々しい」
吐き捨てるように叫ぶと彼女は走った。一気に砂埃が舞った。ぼくはつかまれた手が離れ、その場に倒れ込んだ。
彼女が担任教師を蹴り、担任教師は受け身を取って後ろへ後退した。
戦いは圧倒的に彼女が優位だった。担任教師はナイフを取り出したが、そのナイフを彼女が蹴り上げた。ナイフは宙に舞った。それを素手で受け取ったのは須藤だった。
「なぜ」
ぼくの疑問に須藤が答える。
「日が沈むまで、学校に潜んでいたからな」
次々と校舎から、白い兵士達が飛び出してくる。ぼく達は、囲まれてしまった。
「部下達は昼の時計を壊されたと、大層君を憎んでいるよ。下川君」
辺りは薄暗かった。太陽は地平線の向こうへ沈んでしまっていた。ぼくはなぜ起きたままなのだろう。
意識はある。それは良かった。けれど、どちらにしろここで終わりだ。ぼくも、彼女も。
いつの間にか、担任教師の顔には酷い傷が浮かんでいた。そして、ぼくはあることに気づく。彼女の手にも赤い傷跡が一面広がっていたのだ。
「勝負が始まったな」
信じられないけれど、彼女は笑った。その時、何かが兵士の群れの中に突っ込んできた。白い大きな機械。機械の下にはドーナッツみたいな黒い物あり、凄い勢いで回っている。その機械の白いドアが開いた。
「ほら、二人共、後ろに乗りなさい」
おばあさんが朗らかな笑顔で言った。彼女はもう一度担任教師を蹴ると、機械の後ろにある台に乗った。ぼくも走って彼女に続いた。
「ちゃんとつかまれよ」
おじいさんの声で、ぼくは台の周りにある本当に低い壁をつかんだ。そして、機械は動き出す。兵士達へどんどん体当たりしていく。
「すまないの。助けてやれなくて」
その言葉は誰に向けてのものだったのか。機械は前進、または後退し、時に酔いそうな勢いで旋回する。くるくる回って止まった時、辺りの様子をぼくは見ることができなかった。
「くそ、シトイ」
その声に振り向くまでは。
須藤だった。もう、助かることはないだろう。そう思うと込み上げてきた感情が、爆発した。
「何で、何でなんだ。彼女を狙うのは、何でだったんだよ!」
「夜を、守る、父さん、母さん」
須藤の目から光が消えた。
どんどん、暗くなっていった。
光が点いた。白い機械の前方が光り、眩しかった。
「どうするかい、軽トラック作戦、続けるかい」
おじいさんが前方にある窓から体を出し振り向いた。彼女が頷くのをぼくはぼおっとしながら見つめていた。もう、どうなっているのか、ぼくには見当がつかない。おばあさんも窓を開けたようだ。
「ごめんなさいね。じいさんったら、昼の時計をつけるだけでは物足りなかったみたいなの」
おばあさんのおっとりとした声が、辛うじて耳に入った。