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四 彼女の家

 光の中は町だった。昨日の町とは様子が違う。見たことのない背の高い家が空へ届こうとしているみたいに立っている。何個も何個も家があり、空に向けて生える。まるで空へどれが先に届くか競争しているみたいに。家は光る窓ガラスに覆われていた。ここに提灯はない。窓ガラスだけで十分に明るい。真っ直ぐに伸びた道の所々には中で火が揺れるガラスの箱があった。それは、柱の上にある。ぼくの頭上は、光に溢れていた。追われているのも忘れ、しばし立ちつくした。夜の世界はぼくには初めてのことばかりだ。その内に、どおんと背後が揺れた。振り返ると、そこには背の高い家と同じくらい高い崖があった。その崖の下にぼくが通ってきた隙間がある。隙間の中に誰かの顔があるのを見た。地面がわずか、揺れている。走らなくては。


 またどおんという音がした。


 揺れで、ぼくは倒れた。近くに何か大きなものが飛んできて目をつぶる。もうダメだと思った。


 目をつぶっていると、小さく音が聞こえた。まるで武道の試合でもしているような。


 ぼくは目を開けた。目の前に岩があった。体が動く。ぼくは岩の出っ張りに手をかけた。体を持ち上げ、岩の向こうを覗き見た。


 彼女だ。まとめた髪を振り乱し、ボロボロの学生服を真っ赤に染めて、何人もの男を相手に動いている。相手は数人。白い服を着て、鎧のようなものをまとい、皆ナイフを持っている。彼女は素手でその人達と戦っていた。彼女はどんなに刺されても、切られても、態勢をすぐに整え、立ち向かって行く。一体彼女は何者か。切られても血だらけになっても止まることはない。崖には大きな穴が開き、次々と人が現れるが、彼女は確実に一人一人、素手で倒す。彼女は人がダメージを受ける場所を知っているのだろう。なるべく小さく動いて倒す、それを繰り返しているように見えた。ぼくは、動かなかった。彼女の足手まといになることを自覚していた。


 穴から人が出てこなくなり、最後の一人が倒れ、彼女はやっと態勢を崩した。近くの岩に、体を預けている。


「下川さん」


 彼女を支える為にぼくは岩陰から飛び出た。彼女の腕を自分の肩に回す。ぬるぬるとしていた。やはり、彼女の体からは血が滴っていた。


「死んではいない」


 彼女の声で周りに倒れている男達を見た。皆、若い。


 とにかく前へ。


 ぼくは彼女の杖代わりになりながら、先へと進もうとした。すぐ足を止めたのは、疲れたからではない。地面に倒れた顔に、見覚えがあったからだ。


「こいつは……」


 若いくせ毛の男。その男は目を閉じていたが、わかった。学校で、体育の時間は隣のクラスと合同授業になる。足元で倒れるその男は、体育の授業で見たことがあった。名前は須藤だったか。


「なぜ」


「止まるな」


 彼女の言葉に素直に従った。なぜなら、ぼくは命の危険を近くに感じているからだ。


 血まみれの彼女の言う通りに町を歩いた。


「あいつらは、夜の兵士、恐らく、昼から連れてこられた」


 ぼくは胸が痛むような気がした。彼らとぼくは、同じなのだ。ぜいぜい言う彼女を背負った。背中が濡れた。どこへ逃げれば良いのか。


「町から外れろ。右手方向に、逃げられる」


「わかった」


 彼女を助けなくては。逃げなくては。今はそれだけだ。


 高い家の林立する中を一人歩いた。昨日の町とは違い、通りを歩く人はいなかった。


 緊張で時間を長く感じた。それに体力も限界だった。光がどこまでも追いかけてくる。最後の家を通り過ぎ、何もない暗闇が広がって、ぼくの緊張は頂点になった。この闇の中、誰に襲われるかわからないと思ったからだった。


「時計を見ろ」


 彼女に言われた。そんな余裕はない。首を振った。


 手が胸に降りてきた。鎖を引き上げる、ちゃりんという音が鳴った。


「十二時が近いな」


 十二時。それは魔の時間だった。すべてがなくなる魔の時間。昼の世界ではそう呼ばれていた。夜も、そうだろうか。おじいさんとおばあさんの話では、昼と夜の場所は同じで、時間が違うと言っていた。それは、つまりどういうことか。


「昼になる。お前の時計が止まる時間だ。十二時間後の夜になるまで心臓が止まる」


「下川さんは、どうなるの」


「私は眠らない」


 本来なら彼女の言うことは真実なのだろうが、このままだと普通は出血多量で永遠の眠りにつくことになる。でも、彼女が普通ではないことをぼくは知っている。背中のぬるぬるした感覚は消え失せ、ただ温かい。

 

「そのまま進め」


 足の裏が滑る。靴下の下に砂が入ってくる。ここは砂漠だと思った。


「昼には戻れない」


 彼女の言葉が釘をさす。顔を上げる。目の前に優しい光がぽつぽつと広がっていた。地平線の下の闇とは対照的だ。


「そうだろうな」


 こんなに美しい景色をぼくは見たことがない。


 進んだ所に優しい光が届かない暗い四角があった。彼女の案内でぼくはその四角に入口があることを知った。ドアを開けると彼女の手のひらに小さな火がともる。階段があり、上った。ドアをいくつも通り過ぎ、最後のドアの前で止まる。金属音がして、足元に鍵があることに気づいた。彼女が落としたのだ。


「開けてくれ」


 ドアは歯ぎしりのような嫌な音を出して動いた。中は殺風景な部屋だった。壁に埋め込まれたクローゼット、奥にベッド、それだけ。


 彼女はぼくの背中から降りた。ふらふらとベッドに近づき、音をたてて横たわった。彼女に近づいた。学生服は、布の殆んどが切られ、固まった血が体を隠している。生きているのが、おかしいのだと改めて思う。それでもいたたまれなくなってクローゼットに近づき、開いた。かかっている服を手に取って触る。感触を確かめた。リボンがあり、肩には大きな襟があることに気づく。学生服だと思う。その横も、その隣も。クローゼットには学生服だけだ。下の段には小さな箱があったが、開くと、中身は全部手袋のようだった。動揺したぼくはクローゼットから離れたが、衝撃ですぐに蹲った。体の中からの衝撃だ。心臓が痛み出した。まさかと思って胸ポケットの鎖を引っ張る。何かが落ちる音、そしてぼくが倒れる音。目の前には、窓からかすかに入る明かりと、照らし出されたプラスチック製のカメラ。十二を指す時計は文字盤が緑に光っていた。痛みと共にぼくは気絶した。


 次に目を開けた時は数字の一へと時計の長針が動き始めていた。ぼくが起き上がると、しゃらんと音がして、時計がぼくの胸を追いかけてきた。それは鎖と一緒に振り子のような動きをして見せた。


 部屋の中は変わらない。ベッドとクローゼット。ドアがあったので開き手探りで様子を探る。トイレつきの風呂だった。部屋に戻る。窓から見えるのは背の高い家の光。そして、点滅するような町の刺々しい明かり。ここからは夜の世界を見渡すことができた。入口に少し違和感がある。何かと思って手探りでそこにある物を持ち上げ、窓際まで行く。カバンだった。学校指定の学生用カバンだ。中からは教科書が出てきた。ノートは一冊だけだ。彼女は授業でノートを殆んど使わなかったのだろうか。興味が湧いて表紙を開く。最初のページだけ黒板の文字を写し取ってあった。後は彼女の考えが書き殴られている。思いついたままに書いたのではないだろうかと思う。


『昼の者を夜の者にしない』


『昼と夜を安定化』


『私は戦う』


 短い文が続いていた。ノートに綴られたその文に違和感があった。


『戦い続ける為に生きている』


 なぜ彼女は戦わなくてはならないのか。どこにいるのだろう。今も戦っているのか。


 ぼくは、彼女の戦いを止めたい気持ちで一杯になる。


 夜の存在を知らなかったぼくだ。きっと、何も知らない。何も知らないまま、何もしなくていいのか。守られたままでいいのか。ぼくは、おじいさんとおばあさんに守られたことを思い返した。ぼくは、本当は、守らなくてはならないものがあるような気がした。


 ベッドとクローゼットと。この部屋で彼女が生き続けると思うと気が滅入る。彼女はもっと、違うんだ、と思う。


 教室での彼女は華があると思った。同時にぼくにとっては静かな普通の女の子だった。


 彼女は、戦う為には生まれてきていない。


 彼女を探そう。ぼくは無意味に彼女を目で追っていた訳ではない。彼女は彼女であって欲しいという思いがある。それは、彼女が生まれた時から当たり前に持っているはずのものだった。


 落ちたままになっていた『基地』でもらったカメラを拾い、胸ポケットに入れた。彼女のカバンを持つ。片手で探りながら進む道を探す。ドアを開け、階段を降りる。足音をガンガン鳴らし、最後の扉を開けた。砂埃が顔に当たった。


 風の音。少し遠くにぼんやり輝き続ける明かり。ぼくは歩いた。風に立ち向かって歩くうちに、昨日きた道を戻ることを決めた。決めたけれど、頭に衝撃が走った。口の中に砂と水分を感じた。口をぱくぱくとしてそれらを吐く前に、ぼくは気絶したのだろう。気づくと記憶が飛んで次の所にいた。ぼくは、白い服を着た人達に囲まれていた。

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