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三 守られている者

 ぼくは先行く彼女に手を引かれ、狭い部屋の隅にあるベッドに腰かけた。すぐにでも横になり休みたい気がしたが、できなかった。目の前に高齢の女の人と、男の人がいるからだった。


「誰かね、この人は」


 おばあさんが言った。


「ふうむ、また珍しいのを連れてきたなあ」


 おじいさんが言う。


「昼から夜に時計を取り換えられた。時計が見えるらしい。確かめた。夜の勢力が勢いづいている」


「また派手にやられたわねえ」


 人形のような顔に少し深刻そうな影を落とした彼女だったが、その彼女の表情をまるで読み取らなかったかのように、おばあさんは笑った。ベッド脇のタンスを開いて白い学生服を取り出した。彼女は服の中で腕を胴の部分に下したようなので、ぼくは俯いた。


「君はまた戦うのかい」


 優しそうに言うその声に思わず顔を上げる。彼女は新しい学生服に腕を通した所だった。白い肌が少し見えた。やせて、真新しい人形のように傷一つない。古い学生服に空いた切れ間が嘘のようだった。それより驚いたのはおじいさんとおばあさんの顔だ。にこにこと皺の多い顔で嘘などまるで一つもついたことのないような笑顔でいる。表情を持たない彼女とは対照的だ。浅く頷く彼女の睫毛は宝石のように綺麗だった。


「この高校生を頼む。私は外へ出る」


 にっこり頷くおじいさんとおばあさんを素通りして、彼女はドアへ向かった。


「待って」


 ぼくは叫んだ。


「じいさんとばあさんは信頼できる。休め」


 ベッドから立ち上がろうとしてぼくはふらつき、上半身が倒れた。途端にドアの閉まる音がする。行ってしまった。


「心配することはないからね。ゆっくりお休み」


 おばあさんが言った。ぼくは自分のおばあちゃんを知らないで育った。もしおばあちゃんがいたらこんな顔をするのかと思うくらい、安心感をくれる笑顔だ。ぼくはベッドにちゃんと横になると、すとんと意識を失った。


 瞼が開いた。


 暗かった。


 時計を見ようと、時計を探すが、見当たらない。


 記憶がよみがえる。胸ポケット。鎖。時計。ぼくは胸ポケットにある鎖を引っ張った。時計があった。

 その時計は不思議なことだけれど光っていた。もう少しで十二時。寝る時間だ。昼が、世界が、休む時間だ。でも辺りは暗いばかりだし、ここは家でも学校でもない。廃墟と呼ばれるのに光っていた不思議な町。


 これからぼくはどうなるんだろうと思いながら意識を手放した。


 母さんがぼくを膝の上にのせている。


「働き者の昼の話よ。昼は太陽を空に昇らせて、私達に働きなさいと言うの。この世界を照らし、一日中働いた昼は、時計が十二を指すと、急に疲れて眠ってしまうの。眠る時間はどれくらいなのかわからないけれど、昼の準備が整うと、私達が目を覚ますのよ。太陽も植物も人間も」


「ぼくは」


 母さんが笑って言う。


「勿論よ」


「おはよう」


 おばあさんが母さんみたいな笑顔で言った。


 どちらが夢だかわからない。ぼくにおばあちゃんはいない。ぼくが生まれる前に死んだからだ。そうだ、死んだんだ、ぼくにはおばあちゃんはいない。


「おはようございます」


 瞼の端をこすりながら、おばあさんのことを見た。しっかりと、見たものが頭に刻み込まれるように。


「一日以上眠っていたの」


 おばあさんはぼくの側を離れると、ドアの隣にある台所へ向かった。


「一日以上」


 寝坊してしまったのだ。


「すみません」


「いいの。ゆっくりしていくといいわよ。昨日は疲れたわよね。今日もゆっくりしなさいな」


 昨日。今日。ぼくは、今、何なんだ。いつなんだ。天井を見上げると蛍光灯が光っている。部屋に窓はない。なら、暗くて当たり前だ。知りたいことがたくさんある。


「落ち着いて」


 おばあさんが笑う。


「お湯を飲みなさいな」


 部屋の真ん中にテーブルと椅子があり、おばあさんはテーブルの上にコップを置いた。ベッドの布団を蹴って足を床に伸ばした。靴が近くにあった。テーブルに近づくとおばあさんが椅子を引いてくれた。


「ありがとうございます」


 飲みながら部屋の中を見た。すぐ目に入ったのは暖炉だと思われる四角形の棚の上にあるカメラだ。ベッドのある方に小さいタンスと大きなタンス。そして、暖炉の反対側にある壁には、本棚。ぼくがカメラと、本棚を交互に見ていると、おばあさんがこくりと頷いた。


「珍しいかしら。自由に見ていいのよ」


 本とカメラ。ぼくはカメラを選んだ。近づくとプラスチックでできていた。使われていないのか新しい。


「カメラが好きなのね。ではこれも好きなんじゃないかしら」


 おばあさんが本棚から本を一冊取り出した。


「これは?」


「写真集よ」


 おばあさんはテーブルの上で本を開いて見せた。それは、アルバムだった。全て、刺々しい明かりか、暗い背景の写真だ。ぼくは夜、という言葉を思い出した。そして彼女がどこにいるのか気になった。


「下川さん、あの、彼女は」


 おばあさんは皺を優しく広げて笑ったまま言った。


「あの子は戻ってくるわ。大丈夫。それより、色々、話さなくてはいけないわね」


 次の瞬間、ぼくは現実に引き戻された。ドアが開いた。おじいさんと、その後ろに暗い景色を見た。冷たい空気が入ってきた。ここは、そう。夜だ。


「いやあ、外は相変わらずだね。買ってきたよ」


 おじいさんは、包みをテーブルに置く。その包みは何かの植物の葉っぱで作られていた。中は、焼きおにぎりだった。


「食べなさい」


 ぼくは焼きおにぎりを見つめた。焼きおにぎり、母さんが作ってくれる弁当だ。おじいさんにお礼を言って、一口食べてみる。違った。味が、母さんのものと。ぼくはたった、それだけのことに涙が止まらなくなった。


「ううむ、どこから話したらいいのか」


 おじいさんは困ったような顔で笑った。


「ばあさん、何か話したかね」


「いいえ、じいさん。こういうことは、あなたのいない所では言わないわ」


 おじいさんとおばあさんは優しそうに笑っている。ぼくは自分のおじいちゃんもおばあちゃんもいないし、わからないけれど、ご高齢の人はいつも笑っているものなのだろうか。


「じゃあ、私から話そう」


 おじいさんがぼくを見た。強くて優しい瞳だった。


「この世界は夜。高校生の君がいた所が昼だ」


 おじいさんが喋り、おばあさんはこくりと頷いた。ぼくは、一言も聞き逃さないように耳をすました。この話によって、ぼくの運命が決まる。左か右か、それとも後ろか前か。そんな気がしていた。


「昼は昼、夜は夜で独立した世界だ。ただし、場所は同じ。時間というものがずれているだけなんだよ」


「どういうことですか」


「高校生の君にとって、一日は何時間かい」


 すぐに時計の十二時が思い浮かぶ。


「時計の数字は十二しかないはずですけれど」


「何回転するのかな」


「一回転です」


 ぼくは苛立ちと困惑の気持ちが籠ってしまった声で答えた。おじいさんは一つ頷く。


「そうか。君はやはり、守られている者だね」


「守られているって」


「高校生だもの、守られていたっていいのよ」


 おばあさんが言う。その調子が、まさに守られようとしている気がして嫌だった。


「守られている者って何ですか。ぼくは、確かに甘い所があるんだろうな。だけれど、ぼくもそろそろ大人だと思うんです」


「そうだね。なろうとしなくても人は大人になってしまう。だから、完全に大人になる前に気づいた君は偉いんだよ」


 ぼくは背筋に力が入っていること、手のひらから汗が出ていることに気づく。そう、気づくことはできる。けれど、完全に覚悟ができていない。人は覚悟を決める前に大人になるものなんだろう。ぼくは、もう子どもではいられないと言われた気持ちになった。


「ざっくり説明すると、君は昼の世界にいた。昼しか知らない高校生だ。でも、昼の世界には、夜を知る者がいる。それは限られた大人達だ。君は、ずっと、世界には昼しかないと教えられて、それを信じてきたんだ」


 担任教師を思い出す。彼は、夜を知っているような気がする。反対に両親は、夜を知らないと思う。


「昼の世界にいる、夜を知る者の中には、昼と夜を行ったり戻ったりすることができる者もいる。けれど、君はそうではない」


 嫌な感覚がする。耳の奥がしんとした。


「高校生の君は、夜の者に昼の時計を奪われた。そして夜の時計を取りつけられた。君は無理矢理に夜の人間にされたんだ」


「それ、どういうこと、ですか」


「君は昼と夜の争いに巻き込まれたんだ」


「今はね、昼と夜が戦争中で、兵士を必要としているの。あなたは夜の兵士にされようとして、時計を変えられた。だから、昼には戻れないのよ」


 よく、わからない。戦争中とか言われても、本の中の他人事に思える。昼には戻れないという言葉だけが頭の中で繰り返し響く。おにぎりは、一口しか食べていない。少しもお腹が減らない。


「私達は、あなたを昼に戻そうと考えているわ」


「私は、時計に少し詳しいからね、君の時計を昼に変える技術がある」


 俯いていたぼくは、くらくらしながらおじいさんとおばあさんを見上げた。


 このままだとぼくは夜で暮らすことになる。夜の世界は冷たい。太陽がない。どんなに光っていても温かみを感じない。


「どうか、よろしく、お願いします」


 両親、学校、普通だと思っていた、今までの生活、その全てを思って、ぼくは頭を下げた。おじいさんとおばあさんが頷いたその次の瞬間、悪寒が走った。優しそうなおじいさんとおばあさんの顔が豹変したのだ。敵に狙われて怒る猛獣のようだった。


 すぐに立ち上がった二人の椅子が倒れる音を聞き、ドサリと倒れこむ血だらけの学生服姿の彼女を見た。ぼくの体は固まった。


「奴、らが、きた」


「逃げなさい。ここは場所が知られているわ」


 おばあさんがぼくに立つよう促した。彼女は目の前で、はいつくばるように歩いている。彼女の通った後には赤いものが見えた。


 おじいさんはテーブルを動かした。足元に四角い扉のようなものが現れる。その扉を開くおじいさん、そしてぼくの手を取るおばあさん。少しずつ、少しずつ、彼女が近づいてくる。その様子はまるでオバケのよう。


「これはあなたに渡しておきましょうね」


 おばあさんはぼくの手の中に何か押し込んだ。


「さあ」


手で押された。ぼくは暗闇の中に落ちる。尻餅をつく。闇の中、彼女の姿、体が壊れたようにぼろぼろで、必死に動いていた彼女の姿がよみがえる。逃げるって、彼女は。ぼくは叫んだ。


「彼女は! 彼女を速くここへ!」


 おじいさんの落ち着いた声が聞こえた。


「呼んでいるよ。どうするかい」


「私達なら大丈夫。彼にはあなたが必要だわ」


 四角い切れ間から、落ちてきた。長い髪が顔にかかる。彼女だとわかった。次に見上げた時には四角い切れ間はなくなっていた。真っ暗だ。


「行くぞ」


 体が軽くなり、彼女が歩く音がする。不規則な音、彼女はやはり酷い怪我をしている。


「大丈夫なの」


 僕は手の中にある物を胸ポケットに入れながら、速足で三歩、進む。


「静かに。音が漏れる」


 彼女は自分の足音は棚に上げて囁く。仕方なく、ぼくは静かに歩く。足元がぬめる、手で壁に触れるとぬるぬるした感覚がある。赤いものを思い浮かべてしまう。彼女は、大丈夫なはずがない。


「ねえ、待って。大丈夫なはずないよね。ここで休もう」


「敵がここにくるのは時間の問題だ」


 敵と言われ、ぼくはおじいさんとおばあさんを思い出した。どうして考えつかなかったのか。


「おじいさんとおばあさんが」


「じいさんもばあさんも無事だ」


 なぜ落ち着いていられるのか。冷静なのか、それとも彼女は体力を奪われているのか。敵に体を切り刻まれて。


 ぼくは決心した。進もう。もう、戻ることはできないのだ。今は彼女が危ない。


「背負います」


 ぼくは彼女へ手を伸ばした。勢いよく手は叩かれ、振り落とされた。


「後で疲れたお前が動けなくては困る。足手まといだ」


 昨日、動けなくなったぼくには何も言えない。


「大丈夫です」


 言った言葉は、自信なく地面に落ちる。彼女は振り返ることなく、不規則な音を立てながら進んでいる。ぼくが速足で歩いても追いつくことはない。どうやらここは地下にある細い道のようだとわかった。両手が壁に届く。


 ぼくの足が疲れてきても、彼女の足音が遅くなることはなかった。昨日、学校から町へ歩くよりも歩いた気がする。足がおぼつかなくても、彼女の体力はまるで底なしだった。だから先行く彼女が止まり、体に接触した時は、何かが起きたと直感した。


「先へ進め」


 ぼくは体を押され、前に転びそうになった。


「進め」


 澱みない物言いに言葉を返す。


「下川さんは」


「ここで受けて立つ。お前を守る余裕はない。走って逃げろ」


「に、逃げよう」


 舌打ちが聞こえた。前方、僕らが歩いてきた方向に、気配がした。かすかな物音。


 どん、と音がした。人が倒れる音。「うっ」という声。まだ若い男のものだ。


「走れ」


 彼女の殺気を感じた。ぼくは、ゆっくりと走り始めた。マラソンは得意ではない。走って、歩いて、走って、を繰り返した。ぜえぜえ、ぼくの口から声が漏れる。もうダメだ、倒れると思って体がふらついた時、何かにぶつかった。壁だ。ここまでか。否、薄っすら光が見える。上の方に隙間があるんだ。手を伸ばし隙間に入れてみる。上の所が緩んでいることに気づく。つかむと石が一つ落ちてきた。すると、横も緩んだ。ぼくは両手で必死に隙間を広げた。壁には小さく出っ張った所がある。そこに足を上げ、手と、体に力をこめる。逆上がりはできないけれど、ウンテイと前上がりはできる。ぼくの体は明かりの中に飛びこんだ。


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