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二 外の世界へ

 ぼくが見たのは光だった。太陽みたいにまぶしくない。じっと見つめられる光。蛍光灯のようだけれど、ぼくが見たそれは、蛍光灯なんかよりもずっと目に優しい。


 一つ、二つ、三つ、とそれらを数える。辺りは暗かった。遠くの光以外、何も見えない。


 ぼくが腕を重力に逆らい前に持ち上げる。体が横になっていることは心に不思議な静寂をもたらす。光の数を数えていると、ぼう、という音と共に、現れたものが二つ。


 不思議な色の炎と、髪を取り乱した、彼女だった。


 ぼくはまだ夢の中にいるように、炎と、彼女を見つめていた。炎は、彼女の手のひらの中にある。彼女は黒い手袋をはめていた。炎の明かりに照らされ、彼女の睫毛が綺麗に整っているのを見た。


 衝撃が走る。とてつもない速さで、彼女はぼくの胸をつかんだらしい。痛かった。その時横になっていたぼくは立ち上がった。


 舌打ちの音が聞こえた。彼女からだった。いつもぼくが見ている人形のように端正な表情とは違って、ひどく歪んだ顔だ。ショックを受けているぼくが、この感覚がショックだとわかる前に、彼女の顔はいつもの整い方をしていた。


 ちゃらん、という音がする。それをまじまじと見て、ぼくは少しずつ、少しずつ、驚き、唖然とした。

 彼女が握っているのは、ぼくの服ではなかった。ぼくの学生服のポケットから伸びている鎖を握っていた。


「お前、これが見えるか」


 彼女の声。静かな、かすれたような、どこかで聞いた彼女のものではなく、低く、芯のある声が語りかける。ぼくが頷くと、その声は緊張感を持ってぼくの耳の器官に入る。


「時計を取り換えられたか。しかも、見える時計とはな」


 ぼくは体のバランスを崩し、倒れそうになった。彼女が、急に胸ポケットから続く鎖を離したからだった。その先に、鈍く光る古びた時計があるのを、ぼくは見た。鎖も時計も、ぼくの知らない物だった。いつの間に持っていたのだろう。


「行くか」


 彼女は背中を向ける。その瞬間、ぼくは見た。彼女の白い学生服が赤く染まっているのを。


「下川さん」


 思わず呼んだ名前は彼女のもの。下川睦美。それが彼女の名前だが、ぼくはもう彼女が本当に下川睦美という高校生とは思えなくなっている。その証拠のように、彼女は赤い背中を見せたまま「その名前は呼ぶな」と言った。


 辺りは真っ暗で、どこまで行っても真っ暗で、ぼくは、こんな暗い場所を見たことがなかった。伝説に語り継がれる闇のようだ。この何も見えないような暗い中、頼れるものは、手袋をはめた、彼女の手のひらに浮かぶ炎だけ。彼女の長い髪がくっきりと見える。ぼくは彼女の後をついて歩くという選択を迷うことなく選んだ。


 学校の階段を降りていく。暗闇の校舎には誰もいなかった。


 校門の外に出る。夜は一層激しく砂が飛ぶ。ここは、太陽の光の下では砂漠だった。ここから先は体がとろけるほど熱を集める砂漠、その向こうには廃墟しかない。だからぼく達は、通学路から町の端までくると、校舎を回って校門にたどり着く。


「学校のことを考えているか」


 彼女に聞かれた。そうだったから「そうです」と答えた。なぜか言葉が丁寧になる。


「もう忘れろ」


「どういう意味」


「そのままだ」


 彼女は背中が赤いのに、時々学生服の裂け目から見える素肌は綺麗だった。何かがおかしい。そのおかしさは、いつからだろう。それは、ぼくが彼女を目で追うようになってからか、屋上のドアを開いた時か。いずれにしろ、ぼくはそのおかしさを受け入れる為に、少しずつ、現状を飲みこもうとした。


 ここは、違う。学校はあるけれど、普通ではない。


 ふり向いた校舎のその先には町がある。ぼくの町だ。ぼくの両親が住む町。その町はまるで砂漠に飲み込まれたように姿が見えない。


「光り始めたな」


 彼女の声で砂漠の向こうを見た。廃墟があるはずの方向。見たことのない明かりが灯り始める。屋上で見た優しい光は、今も頭上にある。空に光るかすかな囁きのような光。あれは、何だろう。ぼくは知らない。


 廃墟の明かりは、頭上の光とも違い、なんとなく刺々しい。少し、自己主張が激しいという印象だ。


「行くぞ」


 彼女は髪を一つにまとめた。きつくまとめたからか、正面から見ると短く髪を切ったように見える。男らしい彼女に、ぼくは大人しくついて行く。




 砂漠は、ぼくの知る世界を覆っていた。ぼくは、ぼくの生まれた町と、学校、砂漠しか知らない。両親との暮らしは平穏で、それなりに幸福と言えた。太陽の光の下、砂漠の上、ぼくはやるべきことはやって、楽しむべきことは楽しんできた。友達が少ないことなんて、今となっては些細な悩みだった。


「お前がいた世界は昼の世界だ」


 彼女は後ろを指差した。暗くて、何も見えない、穴のような所。


「これから行くのは夜の世界だ」


 前を指差す。徐々に刺々しい明かりが、一つ、また一つ増え、騒がしくなってきた。


「お前が倒れている間、男がお前の『見えない時計』を取り換えた。昼の時計は、夜の時計になった。お前は、夜の人間になったんだ」


 昼は、世界の別名だった。


 夜。


 はじめて聞いた言葉だ。


 知らない言葉だ。


 でも彼女が言っていることはわかる。この暗い空、暗い空間、空にちりばめられた光。誰もいない砂漠。夜とはこの静かな時間を言うのだろう。そして、この先に見える刺々しい明かりも。


 怯える足を奮い立たせる。


 ぼく達は静かな暗黒の砂漠を、刺々しい明かりに向かって歩き続けた。


 廃墟を明かりが覆っている。近づくにつれて、髪を束ねた彼女の手のひらで踊る炎は、少しずつ小さくなっていった。砂漠が終わる時には、炎は完全になくなっていた。


 廃墟だと思っていた場所は、廃墟ではなくなり、音と明かりに溢れていた。あちこちに学校祭で作るような提灯が提げられ、太陽をカーテンで遮り、校舎を暗くして見る光とは違う明るさで一杯だった。ぼく達が提灯の沢山吊るされた門をくぐった時、呑気な声が聞こえた。


「あんたがた、よくきたなあ」


 ははは、とその腹の出っ張った男の人は笑った。赤い顔が、数百数千の提灯に照らされてはっきりと見えたが、すぐ後ろを向いて瓶をあおった。足元がふらついている。


「ああはなるなよ」


 彼女が言った。ぼくは思わずその酔っ払いを見つめていて、はっと気づいた。先行く彼女の後を追う。離れないように。人がどんどん増えてきたからだ。


 建物が密集し、建物と建物の間には道らしきものがあった。どんなにその道が細くても、明かりが絶えることはなかった。上に提灯を吊るす為の線が巡らされていた。


 広い通りに入ると、キャンプ用の壁があるテントや運動会に使うような四本足のテントなど、様々なテントが密集し、人が集まっていた。ぼくの人生で、今まで見たことがないほどの人の群れだ。全校集会で生徒が集まった時よりも声や小さな音が集まって、にぎやかな雑音になっていた。


 テントの下では物が売られている他、色々な遊びが行われていた。どうやら賭け事が多いらしいと、人々の声や表情を見てわかる。喜んだり、泣いたり、その場の感情は主に二分されているように感じた。その二分された感情を出した人達で、辺りはうるさく、まるで大きな突風が吹き続けているような騒ぎだ。


「賭け事で、あんなに感情的になれるものかな」


 ぼくが言うと、彼女がこう返す。


「あれは感情的になっているというより、感情のねじが外れっぱなしなんだ」


 どちらも同じように思えた。


 テントの下を見ているうちに、気づけば人並に押されて階段を上っていた。階段の上にもテントはあった。まるで、空いている場所を人とテントで埋めつくそうとしているようだ。


 あるテントで炎を見た。彼女と同じ、人の手のひらから出る炎だった。


「あれは」


「真術ではないな。マジックだ」


「魔術?」


「おとぎ話の術ではない。写真の真に術で真術だ。マジックは知っているだろ」


 彼女の男らしい話し方には慣らされてしまった。驚くことが多すぎて、一つ一つ噛むように、現実だと頭へ命令していく。彼女の話し方なんて微々たることで、ぶっきらぼうでも彼女は凛々しく、たくましく、華がある。


「その、真術を、下川さん、は、使えるんだね」


「その話はもうするな。奴がいるかもしれない」


 奴。誰のことか、と考えてよみがえる記憶。光る黒い目。ナイフ。担任教師。足に震えが走る。階段で、うずくまってしまった。


「しっかりしろ」


 なんてことだろう。一歩も動けない。


「ごめん、歩け、ない」


 言葉もしっかりと出なかった。


「待ってろ」


 彼女は素早く雑踏に消えた。


 階段に座りこみ、下を見た。人と人の間からときおり見えるのは、きらびやかな町と、その下に広がる真っ黒な景色。これが、夜の世界なんだ。昼の世界はどこへ行ってしまったのだろう。太陽の下には、もう帰れないんじゃないだろうか。ぼくは慣れ親しんだ世界との別れを薄っすらと感じていた。




 この世界のことを昼と呼ぶ。そのことは学校で習うし、その前には両親から当たり前のように教えられている。


「この世界は昼と呼ぶんだ。太陽は偉い。もし太陽がなかったら、昼は真っ暗になってしまうんだよ。何もなくなるんだ」


 父さんの言葉を思い出した。父さん、この世界は、もっと複雑みたいだ。


「行くぞ」


 戻ってきた彼女は、ぼくの手を引いた。


「もうすぐそこだ」


 階段の途中に人一人やっと通れる道があった。そこだけは暗闇が守られている。さっきまでは暗い所に少し怖い気持ちを抱いていたのに、ほっと一息つける気がした。


「この先に、じじいとばばあの基地がある。運がいいな」


 細道の突き当りで彼女がドアを開けた。


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