到着と開始
「──はぁ、すっきりする……」
「先程から水の精霊連中が慌てていますね。流石は精霊王様です」
「ははは……」
睡蓮滝、と名前の付いた滝は、桃源郷にでもありそうな美しい滝だった。
ごうごうと流れ落ちる透き通った水が道なりに沿って大きな泉を作り、そこに蒼い木陰が綺麗に映り込む。水面には白や桃色の睡蓮が浮き咲いて、水が流れ落ちる度にふわふわと白い吹雪が桜吹雪のように舞う。京都とか奈良でもなかなかお目にかかれない絶景だと思う。
ちなみに、どうしてここだけ花の名前や滝の名前が僕の元いた世界と同調しているのかはガーネットにも不明瞭らしい。
……変な所で現実味を帯びるよね、偶に……。
そんな絶景スポットで僕達が何をしているのか、というと。正確に言うと、僕とガーネットだけれど。
「風呂、っていう概念を色々あり過ぎて忘れてたなぁ……日本人失格かもしれないね、僕」
「アーヴァローネでは水浴びが主流ですよ……風呂は、上流階級の人間が入る物です」
そう、水浴び。
アクアマリンの「折角天然の泉ガあるナら、水浴びしておキタい……」なんて呟きがなければ危うく頭から消去される所だった入浴。前世でも体を洗う行為で娯楽では無い、みたいな扱いで風呂を見ていた僕にとっては、この世界で馴染もうとする内に消えてしまった項目の一つだ。
ただ、そんな僕でも痒いくらいは感じる。森で寝転がったりしていたせいか、アクアマリンの一言で痒さを認識した身は思ったより汚れていたらしい。……うわぁ、本格的に日本人失格かもしれない、僕。
という訳で、アクアマリンが先に水浴びしている内に僕達も準備をして、現在水浴び中、という事だ。
でも、気持ちいいなぁ、これ……泥水を一片でも浴びた魚なら拒絶反応が出るだろうね。そのくらい綺麗で、透き通っていて、濁りが無い。
「……そういえばガーネット」
「はい?」
「僕のいた世界だと、精霊って基本的に目に見えない印象があったんだけど……アーヴァローネは、違うのかい?」
「そうですね……最下級の精霊は、同族にも見えません。気配を感じる事は可能ですが、人間には気配すら感じられません。下級精霊は光として認識されますが実体はなく、上位の精霊になれば実体を得ます」
「へぇ……なら、見えないだけでこの森にも、思った以上の精霊がいるんだろうね」
「はい。可視化すれば、とんでもない事になるでしょうね」
透き通った水を掬って髪を洗いながら、ガーネットは他にも説明してくれた。
上位の精霊になればなる程、姿をどうするか自由に弄れるらしい。例えばペリドット。アクアマリンやガーネットは、人間と接する事を考えて人間に限りなく近い姿を取っているけれど、ペリドットは森に棲むから、同族を怯えさせない様に鹿の姿をしている。
……ちなみに僕も、やろうと思えば姿は弄れるそうだ。人間の姿が結局は一番馴染むから、僕は暫く弄る予定は無いけど。
水を掬い上げて、ガーネットと同じ様に髪を洗う。透き通った水には精霊の関係で洗浄作用があるらしく、不思議な事に撫でる様に水を浴びせるだけで蔓延っていた痒さが消えて行く。
前世では縁がない、白銀色の、適度な長さに揃った髪。異世界、を自覚させられた気がして、自然に笑みが零れた。
「────やッと、着いタ」
目の前に広がる風景を見つつ、アクアマリンがポツリと呟いた。
水浴びを終え、幾つか食料を確保し、清涼な空気に元気を貰って歩き続けて、体感二時間半。
漸く──漸く、アキバシの森に辿り着いた。
獣道の様に細い、人が踏み続けて出来ました、とばかりの禿げかけた小道が、遠目に見てもかなり広大な森の奥へと伸びている。小道の隣には小さな看板。
【この先、アキバシの森】
大分古びているし、朽ちかけていて、小さい。
随分古い頃、測量ついでに建てました、感が否めない看板。人の気配も微塵も感じない。本当に、あれだけ地図にでかでかと載っている癖に知られていない森らしい。
ガーネットもアクアマリンも、ぐぅ、と伸びをして達成感のある目で森を見ていた。ポーカーフェイス気質な二人だが、道中エメラルドに苦戦し、森に泊まり、予定ルートから大きく外れて四苦八苦しながら辿り着いた森に至っては表情も出るらしい。
「────よし!」
声を出すと、視界が明瞭に煌めいた様な印象を覚えた。
二人が、口の端だけ上げてそっくりの笑みを見せる。一見すれば単に口を持ち上げただけの、けれど確実に微笑を形作る表情。
さぁ、やろう。
そろそろ、自分で誰かを助ける様に、ならなくちゃ、ね。
「発炎!」
指先で、バチッ、と赤が弾け飛ぶ。
目標にしていた木の葉に赤色が命中し、一瞬で炎が葉を舐め尽くした。炎の舌に削り取られ、芽吹いていた緑は灰色に変わる。
「──流石は精霊王様。筋が良いですね……まさか一日で、下級とはいえ魔法を命中させられる様になるとは……」
「……うン。お世辞抜キで、筋、良い。コントロールが上手イシ、魔力の量も、思ってタヨり、ずッと多イ」
魔法練習を始めて、どのくらい時間が経ったのだろう。
地平線の向こうに煌々と輝きながら紅い太陽が沈んで行く。赤い一欠片の光が、灰をちかりと照らした。前世よりもずっと明澄で、透き通った夕焼けの色だ。
僕達三人は、宣言通りに魔法練習に励んでいた──というか、僕が魔法を使えないせいで二人にまで励ませてしまった。……申し訳ないよね、これ……早く精霊王らしく魔法が使える様になれたら良いんだけれど。
……やっぱり、塵も積もれば山となる、か、急がば回れ、だよね……。
まずガーネットが、アーヴァローネには「魔法」と「精霊術」の二つがある事を教えてくれた。
曰く、精霊から精霊力という力を借りて行使するのが「精霊術」。これは人間にはあまり使えないらしいが、精霊にはお手の物だ。……まぁそりゃ、自分から直接力を汲み取って使う様なものだしね……。
職業の一つである「精霊術師」は、精霊から直接精霊力を借りられる人間しか就く事は出来ないらしい。
そして、精霊が振り撒いた力を体内の回路で使える様に練り直して行使するのが「魔法」。言ってしまえば、精霊が移動したりする過程で落とした力を拾って、体の中で魔力に変換し、魔法にする、って事らしい。これはとある精霊術師が人間の為に開発した術だ。
で。
僕達精霊は基本的に精霊術を使うのだけれど、精霊術を使う為には「精霊力」、魔法を使う為には「魔力」が必要。精霊には生まれつき高い精霊力が備わっていて、魔法はあまり使えない個体が殆ど、とも聞いた。ここまでは序章。
アクアマリンが見た所、僕も例に漏れず精霊術に特化しているらしい(「物凄ク、精霊力モ魔力も多い……歴代の精霊王様、凌いでル」との事らしい。流石魔法チート予備軍)。ので、最初は精霊術を学んで、魔法は後付けで頑張る事にした。
「まず、精霊力のコントロールからですね。基本的に、精霊力は一度制御出来れば後は勝手に思うがままに操る事が出来ます。絶対魔法を使っても倒れる事は無くなるでしょう。それで、イメージなのですが……」
ガーネットは暫く悩んで、悩ましげな表情が板に着く程悩んで、捻り出した。
「────精霊力はいわば血潮。常に巡っているものです。恐れずに、そっと掬って……後は詠唱が属性を固定化してくれます」
恐れずに……精霊力は僕の一部、常に巡っている、……それを掬い取って自分の力として吐き出すだけ。怖くない、出来る。絶対に出来る──。
要は気の持ち様なのだ。自分を巡っている力、怖くない、ただ掬い出すだけ、と認識すれば精霊力はその通りに動く。逆に恐れれば、コントロール出来ずに暴発したり、予期しない所で使えたりしてしまう。だから僕は、怖くない、怖くない、と何かのおまじないの様に内心で跳ね上がる鼓動を押さえつけて、一番力が込め易い炎の精霊術を行使出来る様に励んだ。
「発炎!」
「……精霊力の制御を一回で成功させるとは……! 流石は精霊王様」
「……暴発してるみたいに燃えてるけど……」
「……消しテオく」
精霊力や精霊術の制御は案外直ぐに成功したのだけれど、威力や規模の微調整が、なかなかどうして上手くいかない。一度目は荒れ狂った火が危うく森を半分焼く所だった。
「発炎!」
「少し、弱過ぎましたね……」
「……燃えてスラナい」
気持ち少なめに精霊力を掬ったのだけれど、少な過ぎて失敗したり。
「発炎!」
「……発水」
威力に集中し過ぎてコントロールがとんでもない事になったり。
「発炎!」
「カッ飛んで行きましたね」
「……ナイスショット」
今度は高度に失敗して炎が遥か上へかっ飛んで行ったり。
そして、漸く成功──という訳だ。精霊力も大分上手く扱える様になって来て、疲れたけれど倒れる程じゃない。自惚れは禁止。でも、少し喜色を浮かべるくらいはきっと、許されるよね。
嬉しそうに拍手しているガーネットと、早々と野営の準備を始めたアクアマリンに感化されて。
記念すべき初魔法の夜は、刻々と過ぎて行った。




