翠緑と道筋
アクアマリンとガーネットが勢い良く振り向く仕草を横目に、ぞく、と背筋を威圧感が迸る。
大敵に邂逅した時と酷似してはいるが、正しく言うなら少し違う。周囲よりも、下手をすればアクアマリンやガーネットですら超すかというくらいの存在と邂逅した瞬間の威圧感だ。
『然程、慌てる必要も無し____私も精霊の一つ。そなたらに害を加える必要は皆無』
そこに居たのは、半透明の大鹿だった。
無論、普通の鹿と比べてはいけない姿を惜しげもなく晒し、凛とした佇まいを崩さずに此方を見詰めている。
【霊位補佐官:ペリドット】
霊位。
その言葉に、冷たい鳥肌が危機感を訴えた。落ち着けようとしても、どす黒いあの目と不気味な笑い声が耳朶で反響を繰り返す。
『此度は____私が補佐していた彼奴が、精霊王様を襲撃したと聞いて、参った。お怪我は、無いか?』
半透明のしなやかな身体と逞しい四肢。頭部から張り出した立派な角。その周囲に舞乱れる精霊達。
その清純な姿を見ている内に、漸く焦りが沈黙する。堕ちてしまったエメラルドとは違う____と漸く理解する。
「無いで……無いよ」
敬語を使いかけた瞬間、ガーネットから「こいつ敬語使わせやがって斬り倒してやろうか」みたいなものを感じたのでとりあえずタメ口にしてみた。
気にした様子もなく、大鹿____ペリドットは僅かに声をたてて淑やかに笑う。それは何とも、熟年の者特有な、包み込む抱擁と安心感を覚えさせる笑み。
『それであれば良かった。____ガーネットよ、主は相変わらず誇らしい忠誠心、私も安堵した。おかげで身が竦む____』
身が竦む、とか言いながら全く余裕そうなペリドット。
『____しかし、エメラルドが堕ちるとは____我が主として、情けない』
「……ペリドット、エメラルドが堕ちた理由に心当たりはあったりするかい?」
『______否____ガーネットには及ばぬが、あれも相当な忠誠心を精霊王様に誓っていた____貴方に危害を加える理由が解らない____』
「……洗脳されたという線は?」
洗脳、とは聞いてみるが、この世界に洗脳魔法なるものが存在するのかは知らない。それに、あったとしても恐らく、エメラルドの称号はかなり上位。補佐官であるペリドットですらこれ程の威圧を持つというのに、そう易く上位精霊が洗脳されるものなのか……それには一切、確証がないのだ。
可能性の薄さを示して、ペリドットが小さく瞬きした。
……うわっ、睫毛長くないかい? 女性なのかな。
もとい、ペリドットの回答を待つ。
『存じ上げぬと思うが____アーヴァローネには確かに、洗脳魔法が存在する____しかし、精霊王様、貴方の思われた通り、エメラルドは上位精霊____そう易く、精神に干渉はされぬ筈____』
「……霊位を洗脳出来るとしたら、そレより上」
「……位が上だとしても、並大抵の努力では洗脳し切れない筈です。簡単に洗脳に堕ちるとすれば……」
「エメラルドが、精神的に弱っていた、のかもしれないね」
地球でもそうだったけれど、生き物は精神に強く影響される。普段はそんな事する人じゃないのに、みたいな状況の原因は、大抵が本人の精神だ。
この世界にそれが適用されないとは、限らない。
『____否、それは一つの結論に過ぎず』
エメラルドが洗脳されたという事実は未だないに関わらず、いつの間にか「エメラルドは精神が弱っているところを不意打ちで洗脳された」みたいな結論に至り始めている空気に最初に気付いたらしいペリドットにビシッと言われ、慌てて居住まいを正す数名。
……いや、八割原因僕だけどさ。話し始めたの僕だし。
何処と無いアクアマリンの視線は出来るだけ知らないフリをしながら、置いてけぼりの果物群に意識を向けて、ぱんっ、と手を叩いてみる。
うわー何か先生っぽい。
「とりあえず、食べないかい? 話し合いで夜を明かしても、収穫が無かったら不毛だろうし……腹拵えしておいた方が、何かと良いんじゃないかな」
僕が手を叩こうと身動ぎした瞬間にぴーんと背筋を伸ばして純粋な瞳をしていたガーネットの努力にも報いたいので、尤もらしい事を言ってみると、効果覿面というか……アクアマリンもペリドットもその場に座りなおす。
……あっ、ペリドット刺激強い果物好きなんだね。……うわーがっついてる……我無くしてない? 違うよね?
ガーネットと一緒に果物に喰らい付くペリドットの様子(ガーネットは幾分マシだったけど)を生暖かく見守る僕とアクアマリン。シュールだね。
「……精霊王様。比較的、こレが刺激少なイ」
暫し「むしゃむしゃ」やら「もぐもぐ」やらとあまりにも典型的な咀嚼音の共鳴に固まる僕とそれとなく果物を掠めて差し出してくるアクアマリン。
我先にと争い混じりに貪るガーネットとペリドット。
何だろうね、この空気差。
先程までの何処かシリアスで凍りを含んだ冷気の話し合いは何処へやら、いつの間にか謎の空気になる不可思議な余裕さにいつの間に慣れている事に、思わず苦笑が零れた。
「うん、ありがとう」
「……気にシない。ガーネット、……見栄っ張リナダけ」
あれむしろ我を忘れてるレベルだよね?
「…………忘れテナイ」
再度読心スペシャリストと化したアクアマリンの前に「何言っても認めんぞ」みたいな娘を取られる父親のような壁を感じる。
……見栄っ張りなだけ。うん。
「……それヨり、どう?」
「んー……ちょっと酸っぱいね。不味くは無いんだけど……」
差し出されたのは、熟していないリンゴのような色合いのレモンのような形をした果物だった。名前は「アップモン」というらしい。
ミントに似た清涼な香りが鼻腔をくすぐるけれど、口に含んでみると味は青リンゴに近かった。レモン程酸っぱくはないけれど、確実に甘くは無い。
「……口、合わナい?」
「ううん、そうじゃないさ。逆にそんなに甘い物食べた経験がないから、これくらいの方が口に合うよ」
「……そウ」
何故アクアマリンが目を細めたのかは解らないが、世辞では無かった。
前世は甘い物より酸っぱい物を食べる事が多かったから、あまり甘い物には舌が拒絶反応を示すと思う。
静かな虫の声を伴って、森の夜は静かに更けていった。




