異世界時間講座
「では、お部屋はこちらになりますので! 何かお困りでしたら、私はカウンターに居ますから呼んでくださいね。夕食は翠ノ刻からになります!」
終始元気よく笑顔で説明してくれた少女は、立て付けの悪そうな扉を「えいっ」という掛け声と同時に閉めて去っていく。
少女が去っていったのを確認してから、僕はアクアマリンに視線を向けてみる……が。
少ない荷物は薄い毛布が掛けられたベッドに放り出し、店員から貰った地図を熱心に眺めているアクアマリンには何処と無く声を掛けるのが憚られた。
「……何? 精霊王様」
地図から目を上げずに無表情で問われ、何の構えもしていなかった頭が混乱に突き落とされる。 意味の無い繋ぎ言葉をバタバタと溢す僕にようやく視線を上げたアクアマリンは、「……落チ着いタら?」とだけ声をかけ再び地図にご執心。
「うん……アクアマリン、翠ノ刻、ってなんだい?」
地図にご執心しているアクアマリンをなるべく邪魔しないように心がけながら、数分前に閃いたばかりの疑問を投げてみる。
明らかに「今日の夕飯なんだい?」的なテンションで投げ掛けられた僕の疑問に、アクアマリンは過剰なまでの反応を示した。
目を大きく見開き、ご執心だった地図は継ぎはぎだらけの床に投げ飛ばされて無残にシワを晒している。
「……精霊王様、イくら異世界人でモ時間くラい教ワラなかったノ」
「うん……え?」
今アクアマリン何と言った?
いくら「異世界人」でも、って言ったね。
その言葉が含んだ意味を理解しようとショート寸前まで廻る思考に頭痛がしてくる。
異世界人だと、アクアマリンが知っていた?
「アクアマリン……僕が異世界から来たって、知っていたのかい?」
落ち着くために、無駄に深呼吸を繰り返しつつお茶を一口。
やっと落ち着いたか、という辺りでアクアマリンが爆弾を落とす。
「……知ってタけド」
「ぶぐっ」
「…………汚イ」
アクアマリンの爆弾にむせて飲みかけのお茶を吹き出した口元にハンカチを投げながら、アクアマリンは嫌悪感と拒絶を露にした表情で顔を背けた。
アクアマリンが爆弾落としたせいだろ、と全力で非難してやりたい。
何とかむせを押さえながら視界にアクアマリンの嫌悪感たっぷりの表情が入る位置まで顔を持ち上げ、吹き出さないようにお茶を胃に流し込んでから質問する。
「し、知ってたって……どういう事だい?」
「……どうモこうも、言葉ノ通り。シベストリア様、直々ニお伝えになっタカラ、精霊の中デ知らぬ者、居なイ」
「シベストリア……」
確か、このアーヴァローネの神だ。僕に異世界転生権利を与えた張本人……張本神かな。全くの見ず知らず、僕に絶望も希望も与えた神。
慈愛の女神か、絶望の悪神か……なんてね。
下らない考えに自分を嘲笑しそうになりながら、僕を捉えている青の目に焦点を合わせる。アクアマリンはゆっくりと頷いて、続きを語り出す。
「シベストリア様、精霊樹林ニ降臨してこウ言った……「王無きそなたらに慈悲を与えよう。私が呼んだ異世界からの命に精霊の力を与え、そなたらの王としよう」……ト。「案ずるな、王としての器は寛大。きっとそなたらを導く印となる」、とモ」
「へ、へぇ……」
寛大って……シベストリア、プレッシャー掛けすぎじゃないのかな。期待には応えかねるのが僕という存在だというのに。
「だカラ、精霊王様が魔法使っタ時も、倒れた時モ合点が行っタ……」
「倒れた時……? どういう事だい?」
魔法を使い倒れた事は覚えている。二日間の間深い眠りに落ちた事、身体中の倦怠感、様々な感覚がまざまざと甦ってきた。しかし、それと転生と、果てはシベストリアと何の関係があるというのだろうか。
ううん、と頭を捻る僕を表情の読めない目で見据えていたアクアマリンは、やがて溜め息をついて説明……というか、質問をしてきた。
「限界魔力症……正式にハ、魔力限界突破時急性症候群、ってイう症状」
「げ、限界魔力症……? ってなんだい?」
聞き慣れない、やたらと長々しいそれに意図せず眉間にシワがより、表情が歪んだのが理解出来た。アクアマリンはその反応を予測していたのか特に驚く風も無く、淡々と、無機質に説明を始める。
「魔力も魔法のコントロールも出来なイ、いわゆる素人ガ魔法を使った時、稀ニ出る症状。体が身体的ナ疲労に着いていけナくテ、意識を失ったりスルの。精霊王様は使う魔力モ魔法も強大すぎ……だカラ、普通より重い症状が出る」
「あー……なるほど」
要は、熊巨人……もといキラーベアを倒した時の光、アクアマリンに攻撃した時の光、あれはやっぱり魔法らしい。そして魔法に関してド素人も甚だしい僕は「限界魔力症」とやらに襲われて意識を失ったりだの眠ったりだのした、と。
「……そうイう事」
アクアマリンに心を読まれたらしいが、もはや突っ込むのが無意味に思える。慣れって怖い。
等と完璧に路線から外れた話をしている内に、何処からこの話になったのか、元は何の話をしていたのかすら頭から抜け落ちてしまった。
「……デ、翠の刻っていうノは」
ああ、そうだそれそれ。ようやく元に戻った。まだ魔法に関して聞きたい事は山を通り越して海ほどあるが、後で構わない、だろうか。
「こノ世界は、午前0時に当たル時間を常闇の刻、とシテいテ……」
アクアマリンの異世界時間講座は、まだまだ始まったばかりである。
「お休みの所失礼致します! 食事の支度が整いました!」
少女の呼び声にうつらうつらしていた意識が呼び起こされたのは、アクアマリンから教わった異世界時間でいう「翠の刻」、元の世界でいう「午後8時」の出来事だった。早寝が常の僕にはやや遅く感じる時間帯である。
微睡んでいたアクアマリンの肩を揺すり、ギシギシと危ない音をたてる床を半ば摺り足で歩きながら食事場所に向かった。




