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お宿


「……あいツト同じ宿、嫌デシょ?」



アクアマリンの言葉に強制的に足が止められたのは、冷やかし歓迎!の看板に苦笑いしながら店から出た瞬間の事だ。


あいつ。


もしかしなくても、ミワの事だろう。


縄のように、檻のように胸を締め上げる罪悪感の鎖に、意図せず表情が歪んだのが解った。

そんな僕を表情すら変えずに見つめるアクアマリンは、何も悪気は無さそうだ。


きっと、親切心から言ったんだろうな。

そんな至極単純明快な答えが叩き出されるまで、かなりの時間を要した。



「ちょっと気が引けるのは確か……だね」



間を持つための苦笑いも、誤魔化しの言葉も言えないまま、僕はありのままを答える。

そんな僕の答えを聞いたアクアマリンは、「そウ」とだけ酷く端的に返して踵を返す。



「なら、あノ宿にしヨう」



「あの宿……?」



アクアマリンの唐突な「お宿提案」に若干驚愕したのは否めないが、ゼロから宿を探すよりずっと楽なのも否めない。

アクアマリンの「あの宿」を探してキョロキョロと視線を漂わせてみるが、宿らしきものは見当たらなかった。


見当たるといえば、ボロも良い所の掘っ建て小屋のような建物に人混みくらい。一体どこに宿があるんだろうか。


……まさか、ね。

ふと浮かんだ推測を、即座に理性が否定する。そうでもしないと叫び声をあげそうだったからだが、アクアマリンの青い目が見つめる方向には、明らかに嫌な推測を肯定する存在。


「ね、ねぇアクアマリン……? 宿ってまさか……「あれ」じゃないよ……ね?」



ほとんどすがるような思いでアクアマリンを見つめてみるが、アクアマリンは何をすがっているのかと言いたげな面持ちで「あれだヨ」と言った。

アクアマリンが「宿」と表現したのは厩の方がまだマシであろう掘っ建て小屋。貧相という言葉もまだ豪勢に思えるくらいの、虫に雨漏り必須と思われるボロ小屋だったのだ。


もはや厩に泊まった方が断然マシである。



「…………」



理解する事を拒絶した僕の頭は、体に対する命令義務すら怠り沈黙したようだ。

口を中途半端に開けたまま固まる僕に違和感を抱いたのか、アクアマリンは僕を覗き込んできた。



「どうシタの……我の金では、こノ宿で限界……我慢、すル」


「う、うん……」



我が儘を言っている場合では無いのは解るが、未だに現実を受け入れない頭は「こんな場所で良いのか! いや駄目だ! なんなら武力行使してでも……」と熱論し始める。せっかく宿代を支払ってくれるアクアマリンに我が儘は言えない、と強制的に押さえつけて溜め息でやり過ごした。



「じゃア、行こウ」


宿には頓着が無いらしいアクアマリンの後に、僕はとぼとぼと着いていく事になった。


***



「こんにチは」



「こんにちはー……」



アクアマリンの起伏無い声と僕の悲観したような沈み声が反響し、誰も居ない宿の空気中を小気味良く揺さぶる。

シーン、なんて効果音がしっくり来そうな宿の中は、客もスタッフの姿も無く、廃墟か何かのように静まり返っていた。


「すみまセーん」



すっかり人間風のアクアマリンが幾度か繰り返し呼び掛けても反応は無く、もはや宿として機能しているかもあやふやだった。

僕も呼び掛けてみるが相変わらず反応無し、一目で壊れたと解るラジオやボロボロのタぺストリーが掛かった壁、継ぎはぎだらけの絨毯が虚しく沈黙を返すだけだ。



「居ないのかい……?」



だとすればあまりにもなオチだ、少しは憐憫を垂れてほしい。


「……?」



と、その時、パタパタと小麦粉をはたくような音がして端正な顔立ちの少女が駆け込んできた。

夕日を切り取ったような濃い橙色の目に茶色い髪、浅黒い肌に頭部から飛び出した耳。



……耳?



「いらっしゃいませっ……すみません、気付けずに。少々仮眠を取っておりましてっ」



馬鹿正直に仮眠を取っていた事を伝えながら、獣耳少女はカウンターと思われる瓦礫の残骸のような物体の後ろ側に回る。


……いわゆる「獣人」だね。


首筋を覆うように生えた赤茶色の毛は馬のたてがみにも見える。獣人といえば犬や猫がポピュラーだが、もしかするとこの少女は馬なのかもしれない。

馬の獣人、かぁ……ちょっと面白いね。



「こんな宿ですが……お泊まりならどうぞごゆっくり!」



懇切丁寧な対応では無いが、明るく親しみやすさを感じさせる笑顔は可愛い妹を連想させる。少女はにこにこと笑いながらアクアマリンにも声をかけた。



「受付はお済みですか?」



済んでいないに決まっている。

済んでいたら何のために待機していたんだ僕らは。



「……いエ」


アクアマリンの短い返答に「そうですかっ」と明るく返した少女は、麻で織ったようなごわごわした紙を取りだし、丁寧に折り畳まれたそれを開いてアクアマリンに示す。

名前、宿泊日数を書く欄のみだ。ずいぶん簡潔な受付だ、というのが第一印象だった。


アクアマリンは名前に自分の名前を記入してから僕に半ば押し付けるような形で紙を渡してくる。アクアマリンが少女に何かを話している間に名前を書き終えてアクアマリンに紙を返すと、宿泊日数を書いていないにも関わらず少女に紙が渡される。


あれ、と思っていたが、「……何日宿泊するカ決まってナイカら」というアクアマリンの耳打ちのおかげで、少女に無駄な質問をして赤っ恥をかく危険が潰えた。



「では、お荷物を……あ、大丈夫ですか。ではお部屋にご案内しますね!」



お荷物を、と言いかけた少女だが、僕らがほぼ手ぶらだと言うのに気付いたせいか口元に曖昧な笑みを浮かべて焦ったように話題の方向転換を図る。


そのまま踵を返した少女に案内され、内装もボロい掘っ建て小屋もとい宿の中を進んだ。

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