統括精霊、アクアマリン
恐ろしい程の沈黙が幕を降ろす。少女はそう長々と喋った訳でも無いはずだが、長々と難しい話をされて内容理解が追い付いていないような表情をしている者が僕の隣に一名。
いや、出来るなら内容理解が追い付いていないで欲しかった。何を言っているのか解らずじまいに事がうやむやになれば良いと本気で願った。
現実は残酷だ。
僕の隣で呆気に取られたように口を開け、誰も居ない位置に視線を漂わせていたミワは僕にゆっくりと視線を移す。
「せ……精霊王……?」
「…………」
ミワの呟きに、その言葉が持つ響きに、僕は沈黙しか返せない。
畏怖、恐怖、疑問、困惑
様々な感情が押し込められ、圧縮され、通常の言葉なんかよりよっぽどの重圧と疑問を以て空気を揺らす。
濁った硝子より、池を輝かす氷より、固く張った殻よりも張り詰めた、冷たく重い空気。
僕は知ってる。
精霊王の話題を出した時、存在を拒絶するようにミワが顔をしかめていたのも。
精霊の事を説明してくれた時、声が低く張り詰めていたのも。
ミワにとって精霊は、精霊王は、快い存在じゃないんだろうとその時に察した。
それはきっと、人間が常識の範疇から外れたモノを畏怖し拒絶するのとはまた違うんだろうという事も。
だから。
知られたく無いと、願ったのに 。
「……精霊王様、どうシた」
青い目の少女は、空気を察さずにそう尋ねてきた。
無邪気で、悪意も害意も無い声……湖のように澄んだ、柔らかい声。
ああ、逆にイライラしてしまうよ。
『統括精霊アクアマリン』
ふと、そんな言葉が頭に流れ込んだ。
瞬時に目前の青い目の少女の名前だと理解する。ミワや衛兵の時は無かった現象だ、精霊王の特権のようなモノなんだろう。統括精霊、だなんて肩書きが付いているくらいだ、上位の存在なのかもしれない。
全然嬉しく無いなぁ。歓喜も何も無いし。
「精霊王様……?」
アクアマリンは、沈黙する僕を見てそう声をかけてくる。名前から察するに水の精霊か何かだとするならば、湖のように澄んだ声はアクアマリンという名前を背負うに相応しいなとふと思った。
「ヤヅキ……」
ミワの声が遥か彼方から聞こえてくる、ミワの姿もぼやけて見える。頭が、考える事を放棄して眠ろうと計っているように感じる程の眠気。
ああ、こんな場面でさっきの眠気が再発する事無いじゃないか……全く。
「……あんた、精霊王だったのか」
「……ごめんなさい」
馬鹿だな、僕は。謝罪以外にも気のきいた口上くらい容易に宣ったって良いじゃないか。
しかしミワも、意外にすぐ信じたね、僕が精霊王だという話。アクアマリンとミワって、関係が長いんだろうか。
「……精霊王様、何故謝ル?」
まずアクアマリンだからね、元凶……そう言ってジト目をしてやりたいのを抑え、人生最大とも言えるくらい深い溜め息をつく。
今更気付いたが、統括精霊というくらいだ、アクアマリンも精霊なのだろうな……というかじゃなきゃ精霊王「様」なんて言わないだろうに。
……あっ。
「ミワさん……アクアマリンが精霊だって、知ってました?」
恐る恐る尋ねてみる。アクアマリンを見て気付いた……というか思い出したが、確かに僕はアクアマリンと対面している。
……襲撃されたという何とも微妙な理由で。
更にその後、僕は長く眠っていたようだし……その間にアクアマリンとミワが話をしていて、尚且つアクアマリンが自らが精霊である事を告げていたとしたら?
精霊が人間を「精霊王様」と呼ぶ等あり得ないだろう。聞いた感じだと人間と精霊はあまり関係がよろしくないようだし。それを考えれば、ミワが僕を「精霊王」だとすぐに信じたのも頷ける。
予想通り、ミワは何とも物悲しげに頷いた。
「ああ。あんたが寝ている間、こいつに話を聞いてな。……というかあんた、アクアマリンって名前だったのか」
ああ、言って無かったんだ名前……
アクアマリンはミワを見て小さく頷き、再び僕に旋毛を晒して跪く。
……いい加減跪くの止めてほしい。
「あの、アクアマリンさん」
とりあえず止めて貰おう、とアクアマリンに声をかけた瞬間、アクアマリンの瞳が驚愕に見開かれた。
「精霊王様、我ラ、さん……要らナい」
…………我ラ、さん要らナいってどういう意味だ?
我ラ、さん要らナい……
あっ、さん付けは止めてくれって事か。
……何か初対面を呼び捨てっていうのも性に合わないけど……アクアマリンが良いというならそうしよう。
「ああ……えと、アクアマリン。跪くの止めてくれないかい?」
呼び捨てに便乗して敬語が外れたが、アクアマリンが不機嫌な様子は無いのでまぁ良いのだろう。
そう思いながらアクアマリンに言った瞬間、アクアマリンはおずおずと立ち上がって頭を下げる。また馬鹿みたいに丁寧な仕草で頭を下げるなぁ……侍女か何かか、アクアマリンは。
「……良いノか?」
アクアマリンに頷いて返しながら、若干置いてきぼりになっていたミワに視線を向ける。
唇を噛み、酷く沈痛な面持ちで俯いていたミワは僕の視線に応えるように顔を上げた。
「……ヤヅキ」
言葉も仕草もする事が出来ずに重苦しい沈黙を作ってしまった僕に、口を開いたのはミワだった。
「あたしは、親を精霊に殺された」
本当なら驚くだろう。
奴隷のような、力を奪うだけの存在の精霊に何故、と思う輩だっているだろう。
だけど僕は、心の欠けたピースが嵌まるように納得した。
ああ、そうだったのか……って。
喉の小骨が取れた気分にすらなった。
「親はな、精霊使いだったんだ……ある日、人間のあまりにもな扱いに暴動を起こした精霊の魔法に巻き込まれて、ぽっくり」
暴動。
人間から見れば、奴隷の暴動だ。
精霊使いから見れば、従者の暴動だろうか。
ミワは、自らが助けた相手が親を殺した存在を纏める存在だと知って、どんな思いを感じただろう。
いきりたっただろうな。
殺したくなったかもしれない。
こんなに淡々と親が死んだ事実を話していられるような精神状態では無いのかもしれない。落ち着いているミワの様子は、逆に驚愕する輩だっているだろう。
いや、本当は落ち着いてなんてすらいないだろうか……荒れ狂う嵐のような心を、必死で宥めすかしているのかもしれない。
一旦回りだした暗い考えは瞬く間に嵐を巻き起こし、心を飲み、脳を飲み、体を乗っ取っていく。
「……だから、ヤヅキが精霊王だというのは正直……信じたくないんだよ」
まだ会ってから一週間も経たないけれど、理不尽な異世界で優しくしてくれたミワは僕の恩人だ。
だから、僕だって信じたくない。
なんて理不尽な世界だと、世界の考えを奪い取って引き裂いてやりたい。
なんて理不尽な転生だと、何もかもを恨んでやりたかった。
「だが……」
ミワが言葉を紡いだ瞬間、僕は無意識に魔法を発動していた。
自らを包む金色の光に、口が自然に命じる。
「……テレポーテーション」




