邂逅(終幕)
sideヤヅキ
「……すー、すー」
「ヤヅキ」
「……すー、くー」
「……」
ベシリ、と音が響く。
あまり痛くは無いが、心地好い眠りを妨げるには十分過ぎるくらいの衝撃だった。
当然、そう眠りに執着している訳でも無い僕は身体精神まとめて叩き起こされる事になるのは明白だ。
……地味に不愉快だよ。寝かせてよ。
脳内でぶつくさ言いながら目を薄く開けると、予想に違わぬミワの姿が映った。短い髪をガリガリと掻きながら酷く疲れきったように僕を見下ろしている。
どうかしたんだろうか、とうとう気でも病んだか?
「んん、おはよう……」
朝にはおよそ相応しく無い思考を巡らせながらとりあえず挨拶をしてみる。ミワは「ああ、おはよう」とだけ端的に返して溜め息をついた。
これはいよいよ、気でも病んだ説が有力になってきたな。
「ヤヅキ、体の調子はどうだ」
「体の調子……? 悪くは無いですが……いささかだるいです……ふぁぁ」
ありのままを返答しつつ欠伸が出る。
ああ、眠い……
「だるいか……」
「はい……どうかされふぁした?」
言葉と欠伸が中途半端に混じった人語なのかすら最早不明の声が口から零れる。ミワが呆れ返った表情で見ているが知ったこっちゃない。こっちは酷い気だるさと眠気でいっぱいいっぱいなのだ。
そう反論を込めた目でミワを睨み付けてみるが……ミワは華麗にスルーしつつ話をし始めた。
「あんた、二日も眠っていたんだぞ。普通なら体が大丈夫か心配するだろう。まさか二日前の事を全く覚えていない訳じゃあるまい」
呆れ返った表情から一週回って心配そうな表情に変わったミワは赤茶色の目を静かに潤ませ、そっと掛けられていた毛布に手を伸ばす。
……いや、二日って言った?
なんだろう、数時間しか寝た気がしないよ。体が酷くだるい上に重くて、体の所々に痛みがあるし。
そしてついでに言うと、二日前の事は記憶がおぼろげ……というかほとんど覚えていない。前世で「三歩歩くと数分前の記憶を犠牲にしてる」と評された僕の記憶力をなめないでほしい。
ふんっ。
いや、ふんぞり返る事じゃ無いけどね。
「……覚えていない訳じゃあるまい?」
なんだろう、「覚えていないなら殺るぞ」的な威圧を感じるのは僕だけだろうか……ただ、その威圧にたじろがずありのままを答えるとするならば、答えは「YES」だ。それに、僕は威圧にたじろいで嘘を言う人種では無いと確信と共に言い放つ事が出来る素直な人間……まあ、逆を言えば嘘が言えぬ手先も口も不器用な人間である。
素直に言おう。殺られても未練は無いよ、きっと。
「覚えてません」
「…………」
不気味かつ痛々しい沈黙が降り、僕とミワの間の空間を埋め潰していく。
数秒の沈黙の後、ミワの唇が静かに開いた。
ああ、今気付いたけれど……ミワ化粧っ気無いな、まあ着飾らないタイプの人間なんだろう。そういう人種は嫌いじゃない、着飾る奴は少々苦手だ。
そう思いながらミワの顔をじっと注視していたおかげで約0.1秒で気付いたが、眉間にはシワが寄り唇はびくびくと痙攣するミワの表情はおよそ機嫌良さそうには見えなかった。
「……あんた、人を散々心配させたくせにそれを忘れたってのか?」
ああ、怒ってるね、うん。
見事なまでのお怒り状態だよ、本当に見事。頬はこれでもかというくらい紅潮し、引き結ばれた唇はわなわなと震えているし……挙げ句の果てには握った拳がブルブル震えているが、僕の身の安全は保証されるのだろうか。
「……全く覚えていないです。ごめんなさい」
うじうじしていても仕方ない、腹を決めよう……最悪殴られて死んだら僕はどれだけ貧弱なんだって話になるけれど、きっと問題無いよ。
そんな覚悟とやけくその名の元にミワに事実を告げて、ほぼ反射的に目を閉じる。
「はぁ……マイペースだな、あんた。まあ元気ならそれで良い」
殴られて……無い?
恐る恐る顔を上げ、ミワが居るであろう方法に目を向けて思わず瞬きした。
ミワは、何とも言えぬ優しい目線で僕を見ながら苦笑していたのだ。慈愛に満ちた、見守るような目はおよそミワのキツいイメージとかけ離れている……というか、形容する言葉が天使以外に見当たらない。そんな驚きの事実に押し黙った僕を、ミワは苦笑混じりに見つめたまま声をかけてくる。
ちょっと、今は止めてよ。ミワのハスキーボイスで天使が台無しになるじゃないか。
「ったく、相変わらずだな……ほら、朝飯だ。お前に紹介したい奴もいる」
ふむ、紹介したい人か……ならハスキーボイスは無視して急がないとね……ってはぁ!?
「ちょっと待って……ください。紹介したい人ですか? どなたです?」
「何を驚いているのか知らんが……あんたも会った事あるぞ、僅かな時間だが」
「え、僕もですか?」
「ああ。ほら、来い」
おぼろげな記憶の中に存在しない事を言われ、混乱の極みの中で暴れる僕を気にも留めずミワは端的に言って踵を返す。
まあ、ボケーっとしていても埒が明かない。着いていく事に異論は無いし、ちょうど酷い空腹を感じていた頃だったので素直に従った。
「……おはヨうゴザイます」
中途半端な片言で喋る青い目の少女が、僕をじっと見ながら頭を……まるで格上の存在にするそれのように、丁寧に丁寧に頭を下げた。
なんだろう、礼儀正しいにしてはやり過ぎじゃないか?ミワもきょとんとしているのを見ると、少女が異常に礼儀正しいとかそういう訳では無さそうだ。
……いや、それますます謎だよ。意味不明を通り越して不気味だし。ミワと仲良く混乱している最中も、少女の青い目は下に向き、頭はしっかり僕に向けて旋毛を晒していた。
「え、えと……」
とりあえず間を持たそうと僕が口を開いた瞬間、少女が頭を……尋常では無いスピードで頭を上げると同時に跪く。例えるなら、ご主人様の命令を待つ忠犬……お座りをしてハッハと舌を出している犬のような雰囲気がするのだ。だいぶ可笑しな例えだが、現在の僕の語彙力ではその表現が精一杯なのだ、悲しい事に。
それは置いといて、なんだろうか、この言葉を待っているような様子は。そっとミワを見やると、ブンブンと首を振る。必死で「あたしは知らない」と訴えてきていた。
「どうして跪いてるんだい?」
ああ、と跪くのを止めてくれたらという期待を多分に込めた僕の言葉に、少女は全く望んでいなかった反応を返す。
……最も返して欲しくなかった答えを。
「……跪く、当たリ前……我らノ愛シき、精霊王様」




