復讐の美学
“このネタ、温めますか?”という短編集においていた作品です。
ジャンル変更にともない、短編として投稿することにしました。
机の上に置かれた無残な姿の本を見つめ、秋野鈴は自分の中の何かが音を立てて千切れる気がした。
(あ、あああぁぁぁ……っ、私の、柳楽先生が……っ)
もう放課後だからと油断したとしか言えない。
学校に持って来るのはマズいと分かっていたが、どうしても続きが気になっていた鈴の敬愛する推理小説家の新刊本は、今は到底読めるような状態ではなかった。ページがかなり千切られ元の厚さの半分になっているだけでなく、表紙も裏表紙もご丁寧に靴痕が付いている。
微かに震える手で適当なページを開くと、そこには見慣れた悪口雑言が並んでいた。
(ブス、根暗メガネ、ガリ勉……ハッ、語彙少な。自分達が知能の低さを露呈させてるのが分かんないの?)
心の中で頭の悪いクラスメイト達を嘲りながら、鈴は小さく深呼吸を繰り返すことで湧き上がる怒りを堪える。感情のままに行動してはアノ女の思う壺だ。それに、そんな醜態を晒すことは鈴のプライドが許さない。
鈴はゆっくりと振り返り、今まで背を向けていた諸悪の根源を見つめる。悪意を隠そうともせず、クスクスと笑いながらこちらを見ている集団の中で、一際底意地の悪そうな顔をしている女――雛谷愛生を。
◇◇◇
イジメなんてものは人間が三人以上集まれば、程度の差こそあれ、どこにでも起こりうるものだと鈴は思っている。
だから、ここ、市立冨波中学校二年一組でイジメが横行するのも、ある意味仕方のないことだろうと傍観していた。……自分が、イジめられる側に回ったときも。
鈴のクラスにはお姫様がいる。
女子なら大半の子が羨ましがるであろう小さな顔は、月に一回行くという噂のエステのおかげなのかニキビ一つないし、アーモンド型の大きな目はくっきりとした二重瞼だ。それを縁取る睫毛は目元に幽かな影を落とす程長く、髪はシャンプーのCMに出られそうなサラサラのロングヘアーという“お姫様”と呼ぶに相応しい美少女である。……見た目だけは。
普段はお嬢様ぶって――いや、彼女の家は間違いなく金持ちだが――大人しいキャラを作っているが、素の性格の方は、チヤホヤされるのが大好きで、自分が一番じゃないと気が済まないという“魔女”そのものだった。もちろん、ワガママでプライドも高い。
鈴からしたらあんなバレバレの猫被りに引っ掛かる方もどうかと思うが、気づけないらしいバカな取り巻きが多数いるのも事実だ。
そんなお姫様――愛生を中心に、二年一組という小さな世界は回っていた。
クラスで何かを決めるときは愛生の了承がいる。
どんなに素晴らしい提案であろうとも、彼女が“却下”と言えば、それは絶対に実現することはない。
初めは、本当に些細なことだった。
冨波中学校の校則では靴下の色は白のみだと決まっている。ただし、式典等の公式行事以外でならワンポイントは許可されていた。
ヘアゴムまで指定されている厳しい校則の中で、背伸びをしたい盛りの女子生徒達が唯一おしゃれができるのが、ワンポイントの靴下だったのだ。
あるとき、一人の女子生徒が自分で刺繍したという凝ったデザインのワンポイントの靴下を穿いて来た。クラスのほとんどの女子がその生徒のところへ行き、口々に“可愛い”と褒める。実際に、その刺繍は今まで誰が穿いて来た靴下のワンポイントよりも可愛かった。
『……そういうの、穿いて来るのダメだと思う』
それをつまらなそうに眺めていた愛生が、そうポツリと一言漏らした瞬間、クラスに沈黙が落ち……その生徒のもとからはさあっと人がいなくなった。まるで、先程まで騒いでいたのがウソだったかのように。
クラスでイジメが始まったのはこのときからだ。
以来、愛生はそれとなく取り巻きやクラスメイトを使い、自分が気に入らない生徒や少しでも目立つ行動をした生徒にイジメを行っている。いや、“イジメを行っている”というのは正しくない。彼女は一度も誰かをイジめろと命じたことはないのだから。
しかし、鈴を含め数名の生徒達は気づいていた。愛生はイジメの主犯ではないが―――――諸悪の根源ではあると。
事の発端がなんだったのかは分からないが、半月程前からイジメのターゲットが鈴になった。……そういえば、この間の課題テストは数学で満点を取ったのは鈴だけだった気がする。まさか、教師から名指しで褒められたのがいけなかったのか。愛生はいつも通り赤点ギリギリだろうから、それがイジメの理由ならクラスの半分以上がターゲットになるはずだが。
実際、イジメの内容自体はなんの独創性もないつまらないものだった。
クラス全員から無視されたり、物を隠されたり、連絡事項をわざと伝えられなかったり。すれ違い様に小突かれたり、意味ありげに笑われたり……用具室に閉じ込められたり。
元々、鈴は本があればそれで良いと思っているので無視されるのは苦じゃないし、物を隠されたら探せば良い。連絡事項なんて周りの様子を見ていれば大体予想が付く。
バカな連中に笑われたって気にならないし、一階の用具室に閉じ込められたところで窓から外に出れば良いだけで、上履きが汚れるくらいの被害しかない。
一々反応するのも面倒臭くて、自分へのイジメをただ傍観していた。自分があんなバカな連中にしてやられるなんてありえないと……そう、思っていたのだ。
◇◇◇
もう一週間もすれば十月だというのに、五時を過ぎても高い位置にある太陽を見ながら、誰もいなくなった教室で鈴はぼんやりと自分の席に座っていた。
この半月で落書きだらけにされてしまった目の前の机には、ボロボロになった本が置いてある。鈴の敬愛する推理小説家・柳楽閑真の新刊本だ。
一か月3000円という小遣いしかもらえない鈴に、税込で1890円するこの本をもう一度買うお金はない。
(……るさない。絶対に、許さない)
正直、鈴はここまでされるとは思っていなかった。
今までのイジメは悪ふざけ的なものがほとんどで、我慢していれば済むレベルのものだったし、鈴以外の他の被害者もこんな風に“イジメの証拠”が残るような方法をとられたことはないはずだ。
さすがに、ここまでの実害が起これば鈴とて傍観などできない。
無残な姿に変えられた本を持ってイジメの事実を訴えに職員室へと行ったが、担任には「あー、お前の気の所為とかじゃないのか」と取り合ってもらえなかったのだ。
気の所為で本がボロボロになるんですかと聞こうかとも考えたが、頑なに鈴の方を見ようとしない姿に、担任のことは早々に見限ることにした。
『イジメは傍観者も同罪だよ。今まで散々他人を見捨てておいて、自分だけ助かろうなんて虫のいい話、ある訳ないじゃない』
職員室を出るとすれ違い様にそう言い、エントランスへと駆けて行った二番目にイジメのターゲットにされた女子生徒の背中を思い出して、鈴はその顔に呆れたような表情を浮かべる。
(はあ? イジメは傍観者も同罪? イジめられてるのに助けてもらえないような人間関係しか築いてこられなかった方に問題があるんじゃない? どうでもいいヤツを助けたりしないよ)
だから、鈴は今まで誰も助けなかったし、自分がイジめられる側になっても誰かに助けてもらおうだなんて思わない。
(私は、泣き寝入りして陰で文句を言うことしかできないアンタ達とは違う)
これまでただイジメを享受していたのは、愛生達が怖かったからではない。バカな連中と同じ土俵に立つ気がなかったからだ。
しかし、発売の三か月も前から楽しみにしていた本をあそこまでボロボロにされて許せる訳がなかった。
愛生への煮え滾るような憎悪を抑え込みながら、鈴は復讐を決意する。尤も、愛生と違いお金も兵力もない鈴に取れる手段は限られているが。
(復讐するにしても、まず作戦を練らないと。目標は……一週間以内に雛谷愛生に謝罪させて、本を弁償させる、で良いかな)
敵は愛生一人だが、アノ女には多くの手下がいる。あまり時間をかければ、不利になるのは鈴の方だろう。
(絶対、アノ女のたっかい鼻っ柱をへし折って、“申し訳ありませんでした”って謝罪させてやるっ!)
こうして、秋野鈴の華麗なる復讐劇は幕を開けた。
“復讐してねぇ!?”というツッコミは甘んじて受けよう。←偉そう。
えー、本当はしっかり復讐するところを書いて連作短編っぽくしようかなと思っていたんですが……。復讐のネタに詰まったんで、短編であげちゃいました。テヘペロ♡
誰かがステキな復讐の方法を教えてくれたら、続きを書くかもしれません。