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私と笑顔とケータイと

作者: 雨後 穹

1.

 突然だが、私こと沢村舞子は"(笑)"という表現が嫌いだ。というか今この瞬間に嫌いになった。

 身の毛もよだつ、腸がねじれるくらい、私が"(笑)"に嫌悪感を持つようになった理由は、今も240×320ピクセルの液晶画面に臆面もなく居座っている。


『05/8/12 19:18

 FROM 三浦 将也

 件名 (笑)

 本文

 だぁかぁらぁ(笑)

 マジでゴミンって

 ホント反省してる

 このとーり(笑)

 今度ブランジェのミルフィー

 ユおごっちゃるからそれで機嫌

 直せって(笑)        』


 私はできる限りの憤りを込めて、ベットにケータイを叩きつけた。

 アイツとおそろい、ピンクのイルカのストラップが宙に踊る。

 まったく、これが反省している人間の言葉とは思えない。

 いつだってそうなのだ、将也はテキトーで、イイワケばっかりで、笑ってごまかす。

 今日だって付き合いはじめてちょうど1周年だというのに、電話はおろかメールもないから、もしやなにかあったのでは心配して電話してみたら、開口一番『あ、ごめん。寝てた』ときたものだから私が怒るのも当然といえるだろう。

 挙句、1周年のことなど頭の片隅にも残っておらず、更にはケーキをエサに懐柔を試みトドメと言わんばかりに"(笑)"だ。ふざけるなってーの。

 怒髪天を衝く、今の私の怒りは、たとえわが町が誇る有名菓子専門店ブランジェのほんのりとした甘さに仕上った、絶品『自家製ソース 夏みかんのミルフィーユ』(¥640)でも抑えきれるものではない。


 はぁ、なんだってこんな奴と付き合ってんだろ、私。


 身を投げ出すようにベットに横たわる。

 付き合って1年になる私の彼氏、三浦将也という人物を形容する言葉は、いくらでも思いつく。

 優柔不断、適当、道楽人間、バカ、お調子者、嘘つき、エトセトラ。

 私は一体コイツの何処がよかったんだろう。

 いや、待て。そもそもどうして付き合いはじめたのか? あれは確か、ちょうど1年前の今日、8月の湿っぽい暑さが、蝉の鳴き声で更に増幅されて感じるような日だった。

 確かまだ2年生だった私たちは強制参加の夏期講習の帰りで一緒になって、告白は将也からで、そう。告白の言葉は……『なぁ、俺の彼女にならねぇ?』だったっけ?


 ――――冗談じゃない。どうして私はあの時断らなかったのだ。

 ああ、きっと夏の暑さで脳が茹っていたに違いない。ひと夏の過ちと言うやつだ。

 そうでなければあんなロマンチックの欠片もない告白を受けるはずがなかったのだ。

 出来ることならあの日の私にバケツで水をかけてやりたい。そうすれば太陽熱でどろどろに融解していた脳細胞も少しは形を取り戻して冷静な判断が出来たはずだ。


「……はぁ」


 真っ白な天井を見上げて、独りため息をつく。将也がこういう適当なやつだってことは分かってたのに。

 壁際には今日1周年を祝うために用意したプレゼント用の時計。将也がずっと欲しいって言ってたから、バイトしてお金貯めて、やっと買ったのに。

 ホント、バカなのは私だ。

 そういえば告白からそうだったけれど、アイツは一度も私に『好きだ』って言ってくれたことがない。いや、私も一度も言ったことがないけれど、そこはやっぱり男の子から言って欲しいのが女の子という生き物なのである。


 あーもう。思い出したらムカっ腹たってきた。


 私は相変わらず"(笑)"が鎮座しているケータイを机の上に放りなげると、タオルケットを頭からかぶって、ふて寝を開始した。



2.

「おはよう、舞子」

 長い髪を後ろで縛ったポニーテールを揺らしながら、前田友里恵が走ってくる。

「おはよう、友里恵」

 昨夜はあまりの怒りでよく眠れなかったせいか、壊れたサウナのような熱気が辛い。

「お? なーんか元気ないねー。ひょっとして恋の病ですかぁー」

 私の顔が映るんじゃないかと思うくらいの白い歯をむき出しにしながら、友里恵が私の顔を覗き込んだ。このテンションは嫌いじゃないけれど、いまだご機嫌が斜角60度に傾いたままの私にとってはうっとうしく思えて仕方ない。

 おそらく眉間に皺でも寄せていたのだろう、私の表情から冗談が通じないことを汲み取った友里絵はポニーテールを揺らしながら再び私の横を歩きだした。


「また三浦君とケンカしたんだ。まったく仲がおよろしいこと」

「どこが! あーもう聞いてよ友里絵、アイツってばもう信じらんない。1周年のお祝い約束してたのにすっぽかしてさ、挙句反省の色ナシっ! もう、今日こそはぜぇぇったい別れてやる!」

 握り拳を震わせながら、決意を口にする。とは言っても、

「舞子さ、そのセリフもう50回近く聞いてるよ」

 友里絵の言うとおりで、別れると言ってみても結局将也の笑顔に負けて元の鞘なのだ。

 ケンカ、別れ話、仲直り。まるで同じところをぐるぐる回っているように、私たちは進歩がない。

 なんだって、こんな不毛な循環に陥ってしまったのだろうか。


「でも、今回ばっかりは頭にきたわ! 絶対に、ぜぇぇぇったいに今日別れてやるっ!」


                    ◇



 賑う教室の中に、将也の姿はなかった。

 アノヤロウ、逃げたな、と私が舌打ちすると、友里恵がクスクスと笑った。

「来るよ、三浦君学校休んだことないじゃない」

 そう、健康がとりえのあのバカは、学校を休んだことがないということだけが人に自慢できることだった。

 ったく、来るなら早く来なさいよね、間をおかれたらこっちの勢いが削がれちゃうじない。……ひょっとしてそれが狙いか? あーそう考えたら腹たってきた、お前はいつから宮本武蔵になったんだってーの。私は佐々木小次郎とは違うってことを思い知らせてやるからね。


 ここにはいない将也に向けて、フン、と鼻を鳴らすと私は自分の席に座った。

 窓から覗く空は、ムカツクくらいに青くて、遠い。

 もくもくと大きな入道雲が空を泳いでいる。

 ホント、将也は雲みたいだ。すぐそこにあるように見えて、手を伸ばしても届かない、触れることができない。ふわふわと、私の前を漂うばっかり。


 将也は本当に私が好きなの?


 私は本当に将也が好きなの?


「もう、わかんなくなってきたよ」

 ため息は、窓越しに聞こえる蝉の鳴き声に掻き消された。


「オイ、沢村、大変だよ!」

 机にへばり付くようにして、窓の外を見ていた私の肩を、クラスメイトの男子が強く引っ張った。

 あんまりに強く引っ張られたものだから、椅子から転げ落ちそうになるのを堪えて、思わず「うおっ!」なんてマヌケな声が出る。

 友里絵を始め、クラスメイト全員が何事かと私たちを見た。

 その男子生徒は、相当急いできたのか、肩で息をして、相当焦っているようだ。

 一体何がそれほど大変なのか、というか何故私を名指し?

「はぁ、はぁ。――――い、今職員室で、たまたま先生が電話してるの聞いたんだけど」

 崩れたバランスを整える。

「何よ? どうしたの、そんな慌てて、」

 私の肩を掴んでいた手が離れる。

「将也が!」

「将也がどうしたの?」

「…………」

 掌から、汗が滲む。背骨がキシキシと軋む。

 目の奥が痛い、喉が乾く、耳鳴りが随分遠くから迫ってくるような気がした。


「将也が、今朝交通事故にあった」


3.

「じゃ、行ってくるね」

 コンコンと、ローファーのつま先を叩きながら、背後に立つ、只今絶好調夏休みを満喫中の弟に呼びかける。

「おう。姉ちゃん……今日も三浦さんの家寄って来るんだよな」

 俯き加減で喋る弟の表情は暗い。そういえば将也と弟はいやに仲がよかったっけ。

「うん、講習は昼までだけど、多分帰りは夕方を過ぎると思う。昼ごはんはいらないから母さんにもそう言っといて」

 軽く、髪を撫で付けて、私は玄関のドアノブに手をかけた。


「姉ちゃん、あんまり無理すんなよ……」


 将也の告別式から、3日が経った。

 式のとき、私がどんな顔をしていたか、どんな気持ちだったかは、はっきり言ってほとんど憶えていない。

 思い出せるのは、将也の顔。

 棺桶のなかの将也は、品のいい人形みたいなすまし顔で、らしくなかった。

 顔には傷一つなくて、生きていたときのまま。けれども、将也の笑顔しか知らなかった私は、無表情のまま眠っている彼が、将也であるとは思えなかった。


 それが理由なのかどうかは、分からないけれど、私は一度も泣かなかった。

 悲しいはずなのに、涙が出なかった。

 いや、本当は悲しくなかったのかも知れない。私は、本当に将也のことを好きじゃなかったのかも知れない。

 悲しいといえば、それが一番悲しかった。


 ねぇ将也、アンタはどうだったの?


                    ◆



 気がつくと、授業の終わりを告げるチャイムが鳴っていた。

 将也がこの教室からいなくなってからは、そんなことが多くなったと思う。

 いつもなら、ずっとアイツが居眠りをしていないかを監視して、もし居眠りしていたら後で怒らなきゃいけないし、アイツのぶんのノートも取らなきゃいけなかったから。

 だからいつも、私の鞄には人の2倍のノートが入っていて、重たかった。


 ――――軽い鞄を持つ。


「舞子、今日も寄って帰るの?」

 目の周りが腫れたままの友里絵が、私の顔を覗き込む。真っ直ぐに伸びたポニーテールも、心なしかいつものつややかさをどこかに忘れてしまってきたようだ。

「うん」

「そっか……あのね、舞子、あんまり無理しないでね」

 俯き加減のまま、友里恵がボソボソと言った。やめてよね、アンタにそんな顔似合わないよ。

「大丈夫、無理なんかしてないよ。変だね私。全然悲しくないの。一回も泣いてないの。

 自分がこんな冷血人間だったなんて、思ってもみなかった」

 なにか言いかけた友里絵が、口をつぐんだ。


 放課後の教室をでる。

 いつもアイツは、クラスの前の廊下で友達とプロレスしてたっけ。高校生にもなって恥ずかしいからやめろって、部活に遅れるって言ってるのに、アイツはいつまでもふざけてて、終いには私が怒鳴って、無理矢理部活に連れて行く、それが日常だった。


 ――――静かな廊下を横切る。


 2人で一緒に帰った道、将也はとにかくよく喋った。飽きもせずにベラベラと。

 私は適当に相槌を打ちながら、なぜか笑ったら負けだと思い込んで、必死に笑いを堪えていたっけ。

 夏の太陽は肌を刺すようにギラギラと燃え盛っている。

 蒼い空と蝉の声。

 そこにはもう終わることを知らない話し声はない。


「こんにちわ、おばさん」

 インターホンを鳴らすと、おばさんはいつもの優しい笑顔で迎えてくれた。

 古い武家作りの家は風通しがよくて、開け放たれた縁側から流れ込む風が気持ちいい。

「舞子ちゃん、本当に毎日ありがとう。舞子ちゃんみたいな子が彼女だなんて、将也にはもったいなかったわ」

 笑うおばさんの目じりは、真っ赤に腫れていた。

 ふすまを開けて、将也の部屋に通される。

 本当に変わらない、最期にこの部屋に入ったのは、まだ1週間くらい前の話、あの日からこの部屋はかわっていない。


 将也のベット、シーツはくしゃくしゃでタオルケットがベットからずり落ちている。

 将也の本棚、漫画で埋め尽くされていて、中には私が貸した漫画も置いてあった。

 将也のCDラック、パンク、ヘビメタ、ポップ、オーケストラ、ジャズ。将也の人柄がよく現れていて、色んなジャンルがごった混ぜだ。

 将也の机、教科書とプリントが乱雑に置かれている、机の真ん中に置かれたケータイには、私があげたおそろい、ブルーのイルカのストラップが付いていた。


 なにもかもが、あの日のまま。


 ――――けれどもそこに将也はいない。


 将也の部屋を通って、居間に入る。

 そこにはちっぽけな箱に詰められてしまった将也と、全身で笑っている将也の写真。

 いつもの将也の笑顔。

 アンタはいつも笑ってたね。私にメールを打ってるときでも、笑ってたの?

 "(笑)"って、ホントに笑いながら打ってたの?

 アンタの笑顔は、誰に向けたものだったの?


 箱の中に詰め込まれた将也に手を合わせると、おばさんが冷えた麦茶を持ってきてくれた。

「うふふ、この箱のなかに将也が入ってるなんて、信じられないわ。あの子がいなくなてからまだ4日しか経っていないのに、うちの家は凄く静かなの。

 あの子、1人でうるさかったからね。いつもいつも、笑って、成績もよくなかったし、勝手な子だったけど、それでも人を泣かせることはしない子だったのにね。

  最期の最期に、こんな……最低の親不孝者だよ」


 そう言ったおばさんの目には、涙が浮かんでいた。

 将也はテキトーで、ウソもついたけど、人に嫌われるやつじゃなかった。

 人当たりがよくて、いつでも笑ってて、そのうちにみんなもつられて笑ってしまう、そんな奴だった。

 笑っていなかったのは、私だけ。正確に言うと、ニコニコと機嫌良く笑うことが出来なかった。

 将也が誰にでも笑って話すのが、おもしろくなかったから。

 私はホントに、可愛くない彼女だったね。将也は私のどこがよかったの?

 将也はホントに、私が好きだったの?

 私――――わかんないよ。


「ごめんなさいね、急に。そうだ、舞子ちゃんよかったら将也の遺品、なんでも持っていって頂戴。そりゃ全部ってわけには行かないけれど、いくつかあなたに持っててもらった方が将也も喜ぶと思うの」


4.

 ドアを閉めて、暗い部屋の中、将也の部屋から持って帰ってきたCDをデッキにセットして、私はベットに身を投げ出した。

 スプリングが勢いよく、私の体を跳ねさせる。

 将也の好きだったポップスが、軽快なリズムで流れてくる。バカみたいに陽気なヴォーカルが、これまたバカみたいに元気よく歌っているのが、妙に耳障りだった。

 どうして私は、毎日将也の家に通っているのだろう?

 くだらない責任感からだろうか?

 私は傷ついていると、周りに示したいからだろうか?

 それとも、ただの自己満足なのか?

 答えなんて多分見つからない。理由なんてないんだから。

 ただなんとなく、私がそうしたかったから。写真の中の固まってしまった将也の笑顔がみたかったから。


 なぜ笑うの?

 どうして私と付き合ってたの?

 それも今更、聞きようのないことで――、


 チカチカと、部屋が僅かな光で照らされた。机の上で私のケータイが鳴っている。

 ブルブルと細かいバイブレーションに合わせて、イルカのストラップが揺れた。

 きっとまた、友里恵か他のクラスメイトからの励ましと慰めのメールだろう。

 私のメールボックスは、興味半分同情半分のメールでもう一杯一杯だ。

 気持ちは嬉しい、けれど私は大丈夫だし、そっとしておいて欲しいのだ。

 ナメクジみたいにベットを這って、机のケータイに手を伸ばした。

 電気もつけていないくらい部屋のなか、ケータイの液晶画面だけがぼんやりと光っていた。


『05/8/17 17:21

 FROM 三浦 将也

 件名 よう!

 本文

 うぃーす。元気か?

 俺がいないからって寂しく

 て泣いてないか?

 泣きたいなら俺の胸で泣き

 なーってまぁ、そりゃ無理

 かぁ(笑)        』


 目を擦る。あーきっと私疲れてるんだ。

 いや、そうに違いない。そうじゃなかったらきっと夏の暑さで脳細胞が超特急で死滅しているのだろう。

 もう1度、ケータイの液晶画面を見た。

『FROM 三浦 将也』

 私のケータイに登録されている『三浦将也』は、記憶に違いがなければ、あの三浦将也だけ。いや、冷静になれ、私は疲れているんだ、だからこんなメールが来ただなんて夢想しているに過ぎない。

 寝よう、それがいい。枕に顔を埋め、私はうたた寝を開始することにした。

 が、ほんの少しまどろんだかと思ったそのとき、

「ひゃいっ!」

 ケータイが再び振動したものだから、私は素っ頓狂な叫びを小さくあげて、ケータイを取り落としてしまった。

 恐る恐る、ケータイを拾い、液晶を見る。


『05/8/17 17:26

 FROM 三浦 将也

 件名 

 本文 おーい(笑)

 あ、やっぱビビッた?

 オレだよ、オレ、オレオレ

 ってこれじゃ振り込め詐欺

 みたいだな(笑)将也だよ

 ビックリしただろ?でもメ

 ールは返してくれよな

 それともアレですか?涙で

 画面がみえないとか(笑)  』


 あ、なーんかカチンときた。なんだこの底抜けのテンション。

 しかも相変わらず"(笑)"ですか、誰が涙で画面が見えないって?

 必殺の両手持ちで、すばやくキーを叩いて返信する。


『05/8/17 17:28

 TO 三浦 将也

 件名 誰が!

 本文

 泣くか。何よアンタ、何様

 のつもりなの?この私が泣

 く?は!ヘソがコーヒーを

 沸かすわ!っていうか(笑)

 ←これやめろ!ムカツク!』


 送信しました、の文字が液晶に映し出される。程なく返信が来た。


『05/8/17 17:33

 FROM 三浦 将也

 件名 何様って?

 本文

 将也様ですが、なにか?

 じゃそのコーヒーはブラッ

 ク(に砂糖とミルクを混ぜた

 もの)でいただく事にして、

 よかったよかった

 思ったより元気そうじゃん(笑)』


 "(笑)"についてはスルーですか。

 呆れながらも、急いで返信しようとして、その手を止めた。

 ……私は今、誰とメールしてるの?

 そんなはずはない。これは幻覚だ、夢だ。私が将也とメールしてるはずがない。

 だって、だってもう将也は……。


『TO 三浦 将也

 件名 ホントに

 本文

 ホントに将也なの?

 それとも誰かのイタズラ?』


 震える手を制して、

                             ――――聞いていいの?

 送信ボタンを、

                                ――――本当に?

 押す。

                        ――――もし将也じゃなかったら。


 慌てて、中断ボタンを押した。

 『メールは送信できませんでした』の文字が画面に浮かぶ。

 聞けない、それを聞けば、夢から覚めてしまうような気がして、聞けなかった。

 ウソでも、イタズラでも、幻覚でも、夢でもいい。

 将也と、話がしたかった。

 話が、したかった。


5.

『05/8/20 19:15

 FROM 三浦 将也

 件名 ちぃーす

 本文

 はいこんばんわー!将也君

 とのメールの時間でぇーす

 今日は学校どうだった?み

 んな元気してるか?山本は

 相変わらずバカか?朝田は

 ?前田は?       』


『05/8/20 19:18

 TO 三浦 将也

 件名 うーんと

 本文

 みんなはまだちょっと元気

 ないよ。急にアンタがいな

 くなっちゃうからさ。山本

 君と朝田君はクラスを盛り

 上げようって空回りしてる

 し、友里絵は私を気遣って

 無理に笑うし。私は大丈夫

 なのに。        』


『05/8/20 19:22

 FROM 三浦 将也

 件名 そっか

 本文

 ほんとに悪いことしたなー

 俺だって急に死ぬなんて思

 ってなかったしな(笑)山本

 と朝田が空回りなのは前か

 らだろ(笑)前田は気遣って

 るとすぐ顔に出るからな

 んで、お前はどうなのよ?』


『05/8/20 19:23

 TO 三浦 将也

 件名 どうって?

 本文

 どうって、どういうこと?

 大丈夫かってこと?   』


『05/8/20 19:25

 FROM 三浦 将也

 件名 例えばだなー

 本文

 将也がいなくて寂しいとか、

 将也が愛しいとか、将也との

 間に出来たおなかの子をどう

 すればいいのーとかさ   』


『05/8/20 19:26

 TO 三浦 将也

 件名 はぁ?

 本文

 断じてない。特に三番目。

 特に三番目が絶対無い。  』


『05/8/20 19:28

 FROM 三浦 将也

 件名 えー

 本文

 同じ屋根の下で夜を過ごした

 仲なのにぃ(泣)      』


『05/8/20 19:29

 TO 三浦 将也

 件名 はい?

 本文

 いや、そんな憶え1度もない

 から!身に憶えがございませ

 んから!         』


『05/8/20 19:32

 FROM 三浦 将也

 件名 ん?

 本文

 俺は林間学校とか修学旅行の

 話をしてるんだけどナー?

 舞子ちゃん、ナニを想像した

 のかナー?        』


 思わず、チッと舌打ちをしてしまった。コイツ、全然変わってない。相変わらず反省の色も見られないし。

 将也が私の前から消えて、初めてメールが来た日から3日目。

 夜はいままで通り、将也とメールすることになっていた。

 日によって時間はマチマチだけども、どこから見ているのやら、私が夕ご飯を食べて自分の部屋に戻ってしばらくするとメールが届く。

 そうして空が白んでくるまで、こうして下らない話を続けるのだ。

 朝は夏期講習がある。個人的に休むのはあまり好きじゃないし、なにより将也が学校の話を聞きたがるのだ。だから休むわけにはいかない。

 昼からは将也の家に行って、将也に手を合わせておばさんと話す。

 で、夜はメールだからちょっとばっかり睡眠不足だけど、でも将也と話したかった。


 将也とのメールは、すごく楽しかったから。

 それにメールなら、言えるような気がしてた。将也に言えなかったこと、私が言いたかったこと。

 メールを続けていれば聞けるような気がしてた。

 将也に言って欲しかったこと。私が聞きたかったこと。


 だから私は、毎晩毎晩、朝までメールを続けた。


6.

 寝不足の目に、ギラギラ光る太陽が痛い。

 体がぼうっと熱くて、窓越しに聞こえる蝉の声が、頭の中でがんがん反響する。

 眠い。

 でも寝るわけにはいかない。だって将也が、学校の話を楽しみにしているんだから。

 たとえ先生の下らない自慢話でも、一語一句聞き逃すわけにはいかないんだ。


                    ◇



「舞子、顔色悪いけど、大丈夫?」

 窓の外を眺めていた私に、友里恵が声を掛けてくれた。授業中なのに大丈夫なのだろうか?

「舞子? 大丈夫? 今日の授業もう終わったよ?」

「え? 何言ってるの友里恵? だってまだ1時間目始まったところ……」

 時計に目をやる、時刻はすでに午後1時前だった。

「うそ! 私、なんで! 授業は?」

 慌てて立ち上がると、目の前が一瞬真っ暗になって、脚に力が入らなくて、後頭部に鈍い痛みが――、

「ちょ、舞子! 大丈夫!?」

 私を支えてくれた友里絵の声に、遠くなりかけた意識が呼び起こされる。

「大丈夫……そんなことより今日、おもしろいことあった?」

「そんなことよりって! うわ、舞子アンタ凄い熱だよ! ちょっと男子! 先生呼んで来て!」

 どこか遠くで、誰かが叫んでいる。バタバタと、誰かの足音が聞こえる。


「ねぇ友里絵……おもしろいことあった? ねぇ、将也が、将也が楽しみにして、今日も、メール、」

 友里絵が見える。すぐ傍にいるのに、触れられない。体が言うことを聞かない。

 声が遠い、足音が遠い。

 蝉の鳴き声だけが、やけに近くで聞こえた気がした。


7.

 目が覚める。

 そこには、自分の部屋の天井があった。

 時計を見る、時刻は9時。

                                 ――――眠い。

 窓の外はもう暗くて、耳障りな蝉の声も聞こえない。

 体が重い、まるで自分がベットの中に沈みこんでいくみたいだ。

                             ――――何か忘れてる。

 頭の中で鈍い痛みが夜店のスーパーボールみたいに跳ね回っている。

 目の奥が痛い。指先がチリチリする。

                               ――――何だっけ?

 バネ仕掛けの人形みたいに、急いで跳ね起きた。

 メール、そうメールだ。この時間なら将也からメールが着ているはずだ。

 もう9時をまわってる、急いで返信しなきゃいけない。


 部屋の中をドタドタ走り回ってケータイを探す、どこ? ケータイどこに置いたっけ?

 頭がぐるぐる回る、胸の中心が痛い。


 ああ、そうだ、私、学校で……。


 学校の鞄をひっくり返すと、ケータイが出てきた。床の上に、おそろいのイルカが投げ出される。

 ケータイを開くと、メールはまだ来ていなかった。


 フラフラと、自分のベットに向かい、倒れこむようにして横になった。息をするたびに胸が痛い。

 今日、話題どうしよう……。学校のこと、ほとんど憶えてないし……。


 暗い部屋の中、全身が心臓になったみたいにドクンドクンとうるさい。

 時計の針が進む音が、やけに大きく聞こえる。


 ケータイが鳴った。


『05/8/21 21:15

 FROM 三浦 将也

 件名 舞子、

 本文

 コレを読んでるってことは

 もうわかってるんだろ? 』


 なんだろう?いつもと雰囲気が違う。

 私はもう一度注意深く画面を見た。この短い文のどこかに笑えないギャグが入っているのかと思ったが、そんな気配はない。


『05/8/21 21:22

 TO 三浦 将也

 件名 分かってるって、

 本文

 何の話?私が何を分かって

 るの?         』


 胸が痛い。

 時計が時間を刻む音がうるさい。


『05/8/21 21:28

 FROM 三浦 将也

 件名 聞いてくれ

 本文

 三浦将也は、もういないんだよ

 もう死んだんだ。もう舞子

 に笑いかけることも、冗談

 を言うこともないんだ。舞

 子を喜ばせることも、笑わ

 せることもできないんだ。

 わかってるんだろ?わかっ

 てたんだろ?      』


 三浦将也は、もういない?

 何を分かってるの? だって現に私は、将也とメールして、冗談だって一杯言ってたじゃない。受信箱にもちゃんと残ってる。それともこれも冗談なの? だったらたちが悪すぎるよ。ぜんっぜん笑えない。


『05/8/21 21:33

 FROM 三浦 将也

 件名 舞子、

 本文 舞子、もういんだ。もう辛

 い思いをしなくていいんだ

 もうこんな風にメールしな

 くてもいいんだ。こんなこ

 としなくていいんだよ。三

 浦将也は死んだんだよ。だ

 からもう、いいんだ。さよ

 ならなんだよ。    』


 そんな勝手なことばっかり! 将也はいつだって勝手決めて、勝手に引っ掻き回して、私のことなんか眼中にないってカンジで! 自分の都合ばっかり! 大っ嫌い! アンタなんか大っ嫌い! さよならなんて、そんな大事なこと勝手に決めないでよ、気安く言わないでよ!


『05/8/21 21:46

 FROM 三浦 将也

 件名 ……

 本文

 これが、最期のメールにな

 ると思う。だから聞いてく

 れよ。三浦将也はいつでも

 、舞子の傍にいるから。舞

 子の心の中で生きつづける

 から。だから舞子は、ちゃ

 んと生きてくれよ。前向い

 て生きてくれよ。結婚して

 、子供産んで、幸せになっ

 てくれよ。将也はさ、お前

 に笑っていて欲しかったん

 だ。誰でもない、お前に。

 だから舞子は笑ってなきゃダ

 メなんだ。将也を忘れずに

 笑って、幸せに生きなきゃ

 ダメなんだ。      』


「何よ……それ、何勝手なことばっかり言ってんのよ。バカだバカだと思ってたけど、なんでアンタはそこまでバカなのよ! 笑えるわけないじゃない! アンタがいないのに!笑えるわけないじゃない!」


 ケータイを床に投げ付けた。思いっきり投げたつもりだったけど、体に力が入らなくてケータイはごろりと、床に転がっただけだった。


 コンコンと、ノックの音が部屋に転がり込んだ。

「姉ちゃん、友達来てるよ。前田さん。入ってもらっていいよね」


 友里絵が? また私を心配して来てくれたんだ……。ありがと友里絵。でも誰にも会いたくないよ。

 もはやそれを声にする力もでなくて、私は枕に顔を埋めた。


「舞子、大丈夫?」


 ベットに誰かが腰掛けた振動が私の体を揺らした。


「大丈夫じゃないかも……。あのね友里絵、来ないの。将也から、メールが来ないの」


 枕から顔を起こして、友里恵を見る。友里絵が点けたのだろう、蛍光灯の無機な光が眩しい。


 暫く私の頭を撫でていた友里絵は何かに気がついたように目を見開いて、それから俯いて唇を噛み締めた。


 ぽたり、と涙が落ちた。


 ――――泣いている。


「舞子……私、メールって、なんのことだか、わ、わからなかったけど……」


 友里絵の震える声が狭い部屋の中、妙に響いた。


 一体何を見たのだろうと、私も友里絵が見た方向を見た。

 ベットの、枕もとに置かれたケータイ。なんだ、ケータイか。ケータイならさっき私が床に投げつけ――――。


 友里絵が、私を強く抱きしめた。

「ごめんねっ! ごめんね舞子! 気付いてあげられなかった、私、私、舞子は泣かないですごく強いって、ホントに悲しくないじゃないかってさえ思ってた! ごめん、ごめんっ、ごめん……なさい」


 どうして?

 どうして?

 どうして?

 どうしてケータイが2つ?

 1つは床に転がった私のケータイ。将也とおそろい、色違いのイルカ、ピンクのイルカ。

 1つは枕もとに置かれたケータイ。私とおそろい、色違いのイルカ、ブルーの――――。


『コレを読んでるってことはもうわかってるんだろ?』


『わかってるんだろ? わかってたんだろ?』


『舞子、もういんだ。もう辛い思いをしなくていいんだ。もうこんな風にメールしなくてもいいんだ。こんなことしなくていいんだよ』


『三浦将也はもういない』


『三浦将也は、もう――』


「わ、わた……私、ケータイ、ふた」


 ぎゅっと、私を抱きしめる友里絵の力が強くなる。


「もう、いいの。もう我慢しなくていいの。私ホントは分かってた、三浦君が、笑ってる舞子が一番可愛いって言ってたから、だから舞子は泣かなかったんだって。でも、もういいの。悲しいときは、泣いていいんだよ?」


 ――――笑ってるときは、舞子もかわいいよなー。

 ――――まーたムスッとしてー。笑え! 笑えコノ!

 ――――笑ってるときの舞子が、一番いいと思うよ。

『将也はさ、お前に笑っていて欲しかったんだ。誰でもない、お前に。だから――』


「あ、ああ……あああああ……」


 いっつも適当で、嘘つきで、優柔不断で、道楽人間でバカでお調子者で、でも誰にでも人気があって、いっつも笑顔で。

 嬉しかった、付き合おうって言ってくれて嬉しかった!

 付き合ってて楽しかった。私はずっと笑いを堪えていた、ホントは爆笑したかった。

 意地っ張りで、素直じゃなくて、頑固者の私。それをいつも、笑わせようとしてくれた将也。

 将也のいない教室も、廊下も、道も、静か過ぎた! どこにいっても将也が冗談を言ってた!

 将也、将也、将也!


「あぁぁぁぁぁぁぁ!」


 絶叫。

 ボロボロと、涙が落ちる。

 堰きとめられていたダムから水が零れ落ちるように、濁流めいた涙が落ちる。


「なんでなのよ! なんで、なんでなんで! なんで死んだのよっ、あた、あだし、い、言ってな、す、すきだっで、言ってな、あぁぁぁ……」


 ぎゅっと、友里絵は泣きながら、私を抱きしめてくれた。

 私が叫んでも、泣いても、ぎゅっと、抱きしめてくれていた。


 コレがリアル。

 泣き叫ぶ私。

 それを抱きしめてくれる友里絵。

 床に転がった私のケータイ。

 枕元に置かれた、将也のケータイ。

 将也とのメール。私が2つのケータイを使って、自分で送信して、自分で返信して、自分でバカ言って、つっこんで……。

 バカみたい、1人で強がって、1人で我慢して、自分で自分を追い詰めて!


 本当に、


 それはもう、終わってしまった事柄で、


 そこにある現実は、どんなに願っても、私が自分を追い詰めても、変わらない。


 ――――将也はもう、いない。


8.

 開け放った窓から吹き込む風は、少し冷たくて、近づいてくる夏の終わりを告げているようだ。

 あんなにうるさかった蝉の鳴き声も、今は随分まばらで、どこか物悲しい。


 今日からは夏休みも終わって新学期。

 将也のいない新学期が始まる。


 でも私は、前向きに生きようと思う。幸せになって、アイツの分もいっぱいバカやって、笑って生きていこうと思う。


 それからきっと忘れない。

 顔を洗って、ご飯を食べて、鏡で身なりをチェックして、軽い鞄を持った。


 机の隅には将也のケータイ。

 最期のメールを送った後、もう電源はつかなかった。

 ブルーのイルカをちょん、と指で弄って、部屋を出る。


 ケータイが、鳴った。


 二つ折りのケータイを開いて、画面を見て、おもわず部屋を振り返った。

 ブルーのイルカは、相変わらず机の上。勿論携帯にだって、私は指一本触れていない。


 パカリ、とケータイを開いて、私は思わず、頬を綻ばせた。

 それはきっと幻想、現実ではなかったのかもしれない。

 それでもいい、このメールは確かに、私のところに届いたんだから。

 勿論返信の内容も決まっている。


 ローファーを履いて、玄関のドアを勢いよく開けた。

 蒼い空、白い雲。

 時間に余裕はあるけれど、今日は走っていこうと思う。だってその方が、気持ち良さそうだからだ。

 そして笑おう。

 沢山、沢山、アイツが可愛いっていってくれた笑顔で。

 歩みは止めない、幸せに向かって走っていこう。

 私の傍にはいつでも、将也がいてくれるから。


『05/9/1 07:15

 FROM 三浦 将也

 件名 無題

 本文

 大好き(笑)       』

『05/9/1 07:16

 TO 三浦 将也

 件名 無題

 本文

 私も大好き(笑)      』


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― 新着の感想 ―
[良い点] …感動しました…。 言葉では言い表せないけど…。 本当に、文章の一字一句がリアルで、 風景が頭に思い浮かびました…。 私今まで、小説を読んで泣いたことないですが、 本当にこの小説は、目…
2012/05/03 00:20 退会済み
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