素直にI'm sorry
仕事ですれ違いがちな時に偶然彼の社内の様子を知ってしまったら?
揺れ動くのが女心というものです
-ごめん、今日は会えない-
彼からのメール。現在の時間は午後6時。終業時間だ。
「仕方ないよね。仕事だろうし」
シンプルなメールの時は業務中である証拠。
分かってはいるけれども…つい出てしまう溜め息。
「主任、溜め息付くと幸せが逃げちゃいますよ?」
後輩が私のしぐさに気がついて笑いかけてきた。これ以上幸せは減らしたくない。
「今日はもう帰ってもいいわよ。私ももう少ししたら帰るから」
今の時代、満足に残業代もでないから後輩に帰宅を促した。
私も来週のスケジュールの確認だけだから、PCで勤怠管理を実行する。
ここからは世間的にはサービス残業になるけれども、あまり気にはしてない。
自宅から歩いて通える距離の鉄鋼メーカーの秘書課勤務。
本来の私の在籍先は東京の本社のはずなんだが、自宅から近い千葉の製鉄所担当の
秘書さんが急遽退職してしまい、その為の異動になった。
本社の方が始業時間が遅かったのに、家を出る時間は今の方が遅い。
この異動が私と彼のすれ違いを作る原因になるとは思いもしなかった。
異動のきっかけは直属の上司が千葉の製鉄所の管理部勤務になることが内定した時だ。
直属の秘書がつくとは聞いていたが、つく予定の人が急遽実家に帰る事になってしまい、
空いたポストに自宅がほど近い私に白羽の矢がたったのだ。
海外事業部から総務部秘書課への異動はかなり珍しく、千葉に来た当初はかなり
陰口をたたかれた。そりゃそうだ。管理部からの異動ではなかったから。
でも、決まった事はやらないといけない。秘書と言っても業務は海外事業部の頃と
全く変わりはない。敢えて言えば、上司と外出が増えた程度だ。
「私も帰ろうっと」
無事に必要な業務確認とメール送信を終わらせて、私はPCの電源を落とした。
7月なので、外はまだ明るい。本当ならば今日は彼と会社の側の映画館で映画を見る予定だった。
「いいや。ショッピングモールに買い物に行こう」
私は映画館に併設されているショッピングモールに行く事にした。
その行動があとで後悔することになることを私は知らなかった。
週末のショッピングモールは家族連れやカップルでかなり混んでいた。
私は本屋に寄ってから自宅に戻ろうとしていた。そんな時に…見慣れた顔があった。
残業のはずの彼が数人の人と共に歩いているところを。
銀行勤務の彼は今は都内の支店に勤務していたはず。私達の地元には支店はない。
私は慌てて彼から背を向けてやり過ごすことにした。
「なぁ、お前、新人に告られたんだって?」
「いいよなぁ、出世頭はさ」
少し前に彼から、同じ支店の新人の子から告白された事は聞いていた。
断ってきたと彼は言っていたけれども…違うのだろうか?
「俺だったら遊びでも付き合うな…ったく、羨ましいぜ」
彼はその事に対しては何一つ発言をしないから真意は分からない。
「でもさ、お前高校からの彼女がいたよな?」
「あぁ、本社から地元の工場の秘書に異動したが」
「だったらさ、お前が支店であの子を食っても関係ないだろ?」
「その話は終わった事だ」
そのやり取りが私の心を凍らせた。
その後、どう戻ってきたのか分からなかった。
いつもなら彼にメールするんだけど、それすらする気が起きなかった。
私の知らない彼を見せつけられたことに対してのショック。
まだ…浮気している訳ではない。そんなことは分かっている。
でも、天邪鬼で意地っ張りな私が捨てられることは今までの経験から分かってる。
今の彼と付き合うまでは、かわいいのは見た目だけといって別れを繰り返したから。
携帯の着信音が聞こえる。この音は彼からだ。出ないと自宅まで来るだろうから
仕方なく私は通話ボタンを押した。
「お疲れ様。今日は仕事だったんでしょ?」
「そうだったんだが、先方のキャンセルが現地で発生したんだ。ごめんな」
「そうだったんだ」
一応、彼は嘘をついていなかった事にはなる。けれどもさっき目の当たりにした
光景がフラッシュバックする。
「ねぇ、あなたは優しいし、仕事ができるから女の子にモテルでしょう?」
「いきなり…何を言うんだ?お前は?」
「うーん、何となく。昔からそうだったでしょ」
「お前…焼きもちやいてるのか?」
「何で…私が焼きもち焼かないといけないの?」
素直に気持ちを出せればいいのに…いつもこうして意地を張る。
「なぁ、そんなことよりも明日は会えるか?」
彼からお誘いがかかる。明日は…休日出勤もないし、空いている。
「会えるよ。待ち合わせはいつもの所でしょう?」
「あぁ、そうだな。じゃあ、明日な」
着信が途切れた。私は深い溜め息をついた。
「はあ、また…やっちゃった」
明日は彼と出かけるから、夜更かしするわけには行かないから私はすぐに寝ることにした。
翌日、彼のデートの為に私は自宅を出る。待ち合わせはターミナル駅の彼の銀行の支店前。
ちょっと時間より早く着いたのにもかかわらず…彼は女の子と話していた。
女の子といる彼は、にこやかな笑顔で話をしている。
私よりも他の子といた方が彼にとってはいいことなのかもしれない…。
そんなことを私は漠然と考えていた。彼は私に気がついて私に近寄る。
「何だ…来てたなら来ればいいのに」
「ごめんなさい。お知り合いの方?」
「はじめまして。同じ支店で勤務しています。彼女さんですか?」
女の子に早速質問されて私は曖昧な笑顔で返した。
彼の同僚とはいえ、そんなプライベートな質問に答えたくなかった。
「お前…図々しいぞ。ほらっ…行くぞ」
そういうと彼はウエストに腕を回して私を引きよせてから歩き出した。
いつもはこんなことをする人じゃないのに、私にそうしてくれるのが嬉しかった。
やっぱり…私の考えすぎだったのかな?
「悪いけど…ネクタイ買いたいんだけども」
「私が見てもいいの?」
「いや、お前のセンスを信じてるからさ」
私達はデパートのネクタイ売り場にいる。すらりとした彼にはやはり細身のネクタイが似合う。
いつもは白いシャツを好んで着ている彼を想像して何本かネクタイを選んでいた。
そんな中、私は1本のネクタイに目がついた。空色の生地にランダムに白い模様があるネクタイ。
あの夏の日に教室の窓から見えた風景を私に思い出させた。
「ねぇ…これは?」
「ちょっと個性的だけども…いいなぁ。これ」
いつもはチェックとかストライプが多いから意外になるかもしれない。
「ダメかなぁ?」
「いいんじゃねぇ。じゃあ、これにしよう」
そう言って彼は支払いを済ませた。
「お前は何か欲しいものはないのか?」
「本屋に行ってもいいかな?」
私達はゆっくりと本屋に向かう。私はちらりと彼の顔を覗こうとする。
少なくても私から見える彼は期限が悪いわけではないようだ。
「何を…買うんだ?」
「ちょっと…業界の本?知っていた方がいいのかなと思ってね」
「異動は大変か?」
「…いろいろね。女の子特有のから、一般的のまでね」
「でもようやくなれた秘書だものな」
「うん、頑張るつもりだよ」
彼は私の頭をポンポンと撫でた。
「お前が頑張っているから俺も頑張れる」
彼は私が探している本を一緒になって探してくれたけど見つからなかった。
「今度…都内に行こうかな」
「タイトルが分かれば俺が買ってくるぞ」
「…その時はお願いするね」
ランチは彼の支店の側のイタリアンにした。
私には量が多いんだけども、男性にはちょうどいいようだ。
互いに食べたいものをチョイスしてシェアしている。
「ねぇ、さっきの女の子ってさ」
「あぁ、お前が気にしている事と同じさ」
彼は溜め息をついて私を見つめていた。
「諦めきれませんって?」
「そうだな。しつこくて迷惑してるが、同僚だからな」
「そうね、下手に傷つけてパワハラとかセクハラとか言われても
困るわね。銀行はそういった事にはシビアだものね」
「お前はどうなんだよ?」
彼が珍しく私の職場について聞いてくる。
「私?気が強い女だから相手にされてないよ。気にしすぎよ」
「本当か?」
「私、プライベートのパソコン持ち歩いているけどスクリーンセーバーは
高校の時に取った写真だから。あれ見ると誰も何も言わないわよ」
そう、たまに仕事の持ち帰りもあったりするから私は自分のノートパソコンを
入社時から持ち歩いている。
スクリーンセーバーは付き合い始めた彼と取った写真にしている。
長い付き合いであの写真が一番私達らしい気がするから。
食事後私達は指を絡めて、ゆったりと歩き出す。
このまま散歩を楽しんでもいいし、途中のカフェでお茶をしてもいい。
どこに行くわけでもなく、のんびりと歩いて行く。
本当は、女の子に対する彼の態度に焼きもちを焼いていた。
けれども、それを認めたくなかった。
昔はもう少し素直に感情を出せたのに、いつから出せなくなったんだろう?
たまには…素直になった方がいいのかもしれない。
このまま意地を張っていたら、彼と亀裂ができてしまう。
「…ごめんね」
「うん?どうした?」
「私が天の邪鬼で意地っ張りだから」
「知ってるよ。そんなこと。お前、朝のやり取りに焼きもち焼いたんだろう?」
「うん、でも…私がそんな子供らしいことをしたらあなたに迷惑かけると思った」
「そんなことねぇよ。むしろすっげぇ嬉しいし」
彼は私の顔を覗き込んでから軽くデコピンをした。
「…いちゃい」
「不意打ちするとお子様めいた言葉言うのかわいいし」
「ぬううう」
彼に反論したいのに、素直になろうと決めてしまった今では反論しずらい。
「私といて幸せ?」
ずっと心に蓋をしていたけれども…漠然と思っていた不安を口にした。
「幸せだぞ。お前が頑張っているから、俺も頑張れる」
「うん…これからはもう少しだけ素直になるね」
「期待して待っております」
彼が覗き込んで私を見つめる。ちょうどスクランブル交差点で待つ時間が長い。
私は顔を少しだけ傾けて彼の顔に近付く。ちゅっと小さくリップ音が奏でる。
「ごめんなさい」
キスしたくてキスをした自分の事を謝っておく。彼に怒られる前に。
「…不意打ちは反則だぞ…たっちぃの癖に」
彼が久しぶりに高校時代のニックネームで私を呼ぶ。
その顔を真っ赤とはいわないけど、頬をほんのりと染めていた。
「素直に謝ったのに…何で…」
私は普段の自分らしくない行動に照れが出てしまって俯いた。
「まぁ、そんな所もかわいいんだけどな。空を見てみろよ」
「えっ?」
彼に促されて私は空を見ようと顔をあげた。ふっと何かがよぎった。
ちゅっ…彼に不意打ちキスをやり返されたことに気がついた。
彼の顔越しに見えた空はさっき買ったネクタイの様な空だった。
「…ごめんな」
「もう…でも許す。恥ずかしいけど」
私は繋いだ手に力を込める。この手から想いが伝わればいいのに。
「分かってるよ。お前の想い位。愛してるよ」
彼はぶっきらぼうに言うと青に変わった信号を渡り始めた。
天邪鬼の私がいいと言ってくれた彼に、今度はちゃんと想いを伝えよう。
きっと今日みたいな不意打ちキスがいいのかもしれないね。
不意打ちって予測がつかないですよね。
さて…次はどんな二人が出てくるでしょう




