最後の嘘
この話で最後になります。
放課後の生物準備室。アルコールランプでビーカーで沸かすお湯から
ほのかに出ている湯気。いつもと同じ光景で私はホッとする。
「先生?コーヒー飲みますか?」
「あぁ…淹れてくれるか」
先生の為に私はコーヒーを沸かす為にコーヒーメーカーをセットする。
コポポ…コポッ。コーヒーが沸き始め、コーヒーの香ばしい香りが部屋に
広がる。
「入りましたよ。どうぞ」
マグカップに沸いたコーヒーを淹れて手渡す。
マグカップを受け取る彼の指が私の指に触れる。
ほんの些細な行動なのに、私の全神経は指に集中してしまう。
「何…照れてるんだよ。相変わらずだな…お前は」
そう言って先生は、私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
付き合い始めてもうすぐ1年になるのに、未だに子供扱いされる。
確かに社会人の彼に比べたら…高校生の私はお子様なんだけど。
「なぁ…最近何か変わったことはないか?」
「うーん、特にありませんよ。私自身ですか?それとも私達?」
「俺達だな」
「多分平気だと思います。携帯のメモリも分からないようにしてますから」
そう、私と彼が付き合うには障害が多い。だって、先生と生徒だから。
そこのところは私達も十分気をつけているつもりだ。
校内で合うのは、生物準備室のみ。生物準備室は校内のはじっこで校舎でも
北側に配置されているから、寒いのを理由に生徒は寄りつかない。
生物部でさえ、実験以外は生物室には来ない。それってどうなの?
「そうか。ならいいんだ。ちょっと気になる事があってな」
「デートの時に見られたんですか?」
「多分…な。でもデートの時のお前はちょっとじゃ分からないだろ?」
「そうですね。先生と付き合う為に校内では眼鏡をかけておさげ髪ですから」
先生は私の眼鏡を外す。本当な視力がいいので眼鏡は必要ない。
それもおしゃれ眼鏡ではなく、地味さが出るデザインのもの。
「それにこのおさげだって。これは校則だからいいんだが」
先生は私のおさげ髪をほどいていく。徐々に広がるゆるくウェーブのかかった髪。
ゆるい癖っ毛なので、校則通りに纏めれば誰も気がつかない。
プールはあるにはあるけれども、去年の地震でプールの底に亀裂が入って
私達が卒業するまで授業はできないらしい。
先生とデートの時は、出かけるときはおしゃれをする。少し大人びた服。
少しヒールのある靴。きちんとメークを施した顔。ウェーブを強調した髪。
先生との自宅デートの時は…いつものままだけども、絶対に外出はしない。
誰かに知られたら…私達の恋は終わってしまう事を私達が一番知っているから。
「先生だって…いつもはこんなにボサボサでヨロヨロな白衣着てるけどさ」
「その事も誰にも気づかれてないんだからいいだろ?」
先生は…たまにメンズ雑誌のモデルをこっそりとしている。
公立高校なら…大変だろうけど…私立だから副業している先生もいる。
「だって、モデルの先生はフェロモン全開なのに…学校でのギャップが
ありすぎて…反則です」
「お前だけだものな。モデルの俺を見抜いたのは。教師になって5年たつけど
見抜かれたのは初めてだそ。お前には…フェロモン前回なはずなんだが」
先生はいつのまにか私の後ろに立って…耳元でセクシーに囁く。
分かってて…やっているんだもの。こうやっていつも翻弄されてしまう。
でもその時間が私にはとっても幸せな時間。
「生徒会副会長が、教師と交際しているのがバレたら大変だよな」
「そのセリフを今…ここで言いますか?反則ですよ」
そんなことを言いながら、先生は私を両腕で包みこんでいる。
言っていることとやっていることが一致していない。
大人の様で子どもの部分が残っている彼が可愛い。
「もう少し、緊張感をもって学校生活を送りますね。帰ります」
私は彼の腕からすり抜けて、鞄を取って準備室から出た。
多分…私達のデートが見られてるんだと思う。
女性が私かどうか分かっているかどうかが問題だけども。
多分…気付かれていないと思うけれども、彼のあの調子じゃ…
暫くデートは完全にお休みだな。
予餞会もあるし、卒業式もあるし、定期試験もあるし…。
学年末はどうしても一気に行事が続くからすれ違いが続く。
今の状況で…すれ違うのは少し不安だった。
-テストが終わったら、出かけようか?-
久しぶりに先生からのメールに私の返信は一つしかない。
-楽しみにしてますね-
テスト中だから、勉強しないといけないけど、メールが嬉しくて
どうしても勉強が進まなかった。
無事にテストが終わって、いつもの待ち合わせのコンビニで私は
待っている。
駐車場に彼が運転する車が入ってくる。私は駐車場にかけ出した。
「じゃあ、出かけようか」
ゆっくりと車は車道を走りだす。今日はどこにいくんだろう?
「今日はどこに行くの?」
「まぁ…いいから」
先生はいつもは話しかけてくれるんだけども、今日は言葉が少ない。
むしろ…言葉を選んで言ってる感じがする。
いつもと同じようでいつもと違う。凄く私は不安になった。
「着いたぞ」
車が駐車場に泊まる。着いた場所は横浜。一度出かけたいと彼に
おねだりをしたことをある。
「ちょっと遠かったから疲れたか?」
彼は不安そうに私を見つめる。
「そんなことないよ…。先生の方が疲れていない?」
「大丈夫さ。お前は気にするなよ」
その後、先生に手を引かれてしばらく町を散策した。
とっても楽しいはずなのに、どこかちょっと違う。
なにか喉に小骨が刺さった感じがして不安が更に募るのだった。
帰りの車の中。自宅にほど近い所で車が止まった。
「なぁ…悪いが、別れよう」
「私…何かしたの?私達の事が知られたの?」
「半分正解で半分間違い。俺に彼女がいるのは知られてて
誰かは知られていない。けれども…時間の問題だろう」
私は唇を噛んでいた。誰に見られたんだろう?
「今日の前を見て、誰も普段のお前を想像しないだろうがな」
先生は少しだけ微笑んでいる。私を不安にさせないためだろうか?
「私は…別れません。先生の事を愛しているから」
「ごめん…そのお前のひたむきさが俺には不安なんだ」
私はハッとした。自然と私の行動が私達を縛り付けたのかもしれない。
子どもすぎる私に彼が疲れてしまったのかもしれない。
「それにさ…いい加減、子どものお守りも飽きてきたんだよ」
先生は徐々に私を傷つける言葉を紡いでいく。
「お前、いい子過ぎるから、キスしかさえてくれないしな」
「俺の事男としては見てないものな。そんなの恋なんて言わねぇよ」
彼の言葉に反論すら出来ないで、目に涙が浮かぶ。
そして堪えていた涙が私のスカートにぽとりと落ちた。
「分かったろ?俺は暇つぶしでお前といたんだ」
「お遊びの時間は終わりだ。お前だって3年になるんだから」
先生に縋っても多分、よりを戻してはくれないだろう。
だったら…別れても、先生を想い続けてもいいのかな?
私がもう一度先生に片思いをしてはいけないって言われてない。
辛くっても、それでもいい。先生を嫌いには…今の私にはなれない。
「…分かりました。別れます。でも…私からキスをしてもいいですか?」
「あぁ、構わないさ。その位。ストーカーにはなるなよ」
「そんなことしません。先生…愛してます」
そう告げてから、私は先生の唇に自信の唇を合わせる。
ただ…合わせているだけのキス。それだけでどんどん切なくなる。
途中で呼吸をするけども、離れることができない唇。深くなる事もない
合わせただけ。急に塩味が加わった。私は泣いていない。
考えられる事は…彼が泣いているということ。
本当は私を愛してくれているということ。でも、私達がこれ以上
交際を続けていたら、私も退学になるかもしれない。
先生が体を張ってついてくれる…この最後の嘘を受け入れよう。
そうすることが、私も彼を守ることになるのだから。
もう、生物準備室に行く事もない。来年は生物を選択しないから。
合わせた唇と離した瞬間から私達は完全に別々の道を歩むことになる。
それで彼を守れるなら、片思いで想い続ければそれでいい。
彼の決意を自分なりに理解して、彼の決意を受け取って私はゆっくりと
彼から離れた。彼の顔を見ることができなかった。
声を出してはいないけど、離れるまで塩味のキスは続いたから。
「ここからなら…一人で帰れます。今までありがとうございます。
さよなら、先生。私の愛した人。今からただの生徒に戻ります」
そう告げてから、私は先生の車から降りた。
自然と私の目からも涙がこぼれる。泣くのは部屋に入ってからにしよう。
彼に悟られたら…彼が更に傷ついてしまうから。
その後、私達は本当にただの生徒と先生に戻った。
会えば挨拶をするだけな関係。それでも私の目をみて挨拶してくれる
彼に再び恋をしていた。
季節は目まぐるしく変わる。そして今日、私はこの学校を卒業する。
無事に県内の外国語大学に進学が決まった。その事を報告に私は
1年ぶりに生物準備室にやってきた。
「先生…今お時間いいですか?」
「お前か…久しぶりだな。そういえば大学受かったんだってな」
「はい…先生の自宅のそばの外国語大学なんですけど」
「あそこの英文科ならレベルも質も高いからいいんじゃないか?」
「嬉しいです。それと…先生個人にお話があります。いいですか?」
私はゆっくりと先生の前に立つ。
「もう、私は卒業しました。確かに4月1日までは高校生ですが、
もう校則には縛られません。先生…別れても…先生の事が
忘れられませんでした。また…隣にいることは出来ませんか?」
私は勇気を振り絞って、告白した。これで受け入れてもらえなければ
私は素直にこの恋を終わらせようと思っていた。
「そうだな。もう…生徒ではないな。2年前は俺から告白したよな。
去年は俺から一方的に別れを告げたのに、受け入れてくれた。
辛かったろう?」
彼は私の頭をゆっくりと撫でる。
「でも、あの別れが私を成長させてくれました。感謝しています」
私は彼に微笑んだ。たくさん泣いたけれども…彼を恨んだことはない。
「私は…1年前よりもあなたを愛してます。一時の熱病ではありません」
私の告白に彼は大きな溜め息をついた。そして私をきつく抱きしめた。
「もう、離れない。違う、もう離さない。俺も忘れられなかった」
先生が切なく呟き始める。私はゆっくりと彼の背中に腕を回す。
「学校行事でお前がステージに立つと生徒を見るよりお前しか見れなかった。
俺もずっと後悔していた。お前が気丈に振舞っているのが分かっていたからな」
先生は私の顎を少し持ち上げてから押しつけるようなキスをする。
久しぶりの先生とのキスで私は息が上がってしまう。
「久しぶりだからって、そんな反応するなよ。止まらなくなるだろ?」
「ごめんなさい」
「でも…良く分かったな。俺が嘘をついて別れたの」
「最後のキスで先生が泣いてくれたから…本当の先生を信じてたから」
私は先生に軽くキスをする。
「そっか…分かってたのか」
「うん。結局私だって分かったんですか?」
「いいや。誰も気がつかなかったさ」
先生は苦笑いをしながら答えた。
「でも、それがなければ途中で別れてたと思いますよ。あの選択が
私達には最良の答えです。だから今があるんです」
「そうだな。…で、お前を傷つけたお詫びとして貰ってくれるか?」
先生は白衣のポケットから…ジュエリーボックスを取りだした。
そこにはシンプルな指輪が収まっている。
「どっちの手に付けた方がいい?」
彼はちょっと意地悪く聞いてくる。多分…左手の薬指。
「こっちですよね。いいんですか?」
「いいのかと聞くのは俺の方だ。お前はいいのか?」
先生は薬指に指輪をしてくれた。再度確認される。
「はい、先生じゃないと私を幸せにしてくれないと思います」
「そっか、じゃあ一緒に歩もう。ご両親に挨拶してすぐに籍を入れよう」
「えっ、すぐにですか?」
急な展開に私は流石に驚いた。復縁だけでも十分なのに求婚されてる
自分が今…ここにいる。本当なのかな?なんか信じられない。
「これは現実なんだぞ。お前の一生を俺にくれ。俺の一生もお前にやるから」
「はい…わかりました。一緒に歩いていきましょうね」
私は今までで一番いいと思える笑顔で先生に答えた。
「じゃあ、お前の家に挨拶に行かないと。俺の部屋から通えるようにな」
そんなに急がなくてもいいじゃない。
「ダメ、俺のものってアピールしないとお前は奪われそうだから」
そういって、先生は私の首筋にチクリと痛みを残すキスをした。
「俺のものってしとかないとな。さあ、帰るぞ」
初めて彼と一緒に教室を後にする。もうこの空間にはいられない。
生徒と先生の私達は婚約者という関係に変わるのだった。
最初は、別々の道を歩む予定でしたが、急遽…パッピーエンドに
替えてしまいました。ちょっと残酷すぎる終わりかなと思ったので。
ちょっと少女漫画テイストになってしまい申し訳ないです。
後、プールの記述は私が高校受験直前に関東で起こった地震の際に
近隣の学校で起こった事実です(それもかなり昔の話です)
読んで貰えて嬉しいです。ありがとうございました。
では、連載途中のものに戻ります




