最後のキス ~弘樹と恵美~
前回のオムニバス「バレンタイン狂想曲~チョコチップマフィン~」のその後の話になります。付き合い始めて10年で彼と入籍することにした恵美。
婚姻届を出しに行く前に弘樹と二人きりになった所から始まります。
「ようやく、二人きりになれたな」
「うん、でも婚姻届出しに行くんでしょう?」
私は弘樹の腕の中にすっぽりと収まっている。
10年前のバレンタインに告白した時は私の方が背が高かった。
なのに、今は…立っていると首をかなり曲げないと顔が見えない。
「そうだよ。だから少しだけな。最後の山中恵美を堪能させて」
私の方に顎をのせて、弘樹は甘い言葉を紡いでいく。
「うん。10年って早かったのかな?」
「さあな。この1年が一番離れていたんじゃないか?」
弘樹がシミジミという。私達の10年はほとんど一緒に過ごした。
中学3年間は同じクラスで高校も自宅から近い丘の上の高校に
したっけ。3年生では隣になったけど、選択授業は同じだったし、部活が終わって一緒に帰っていたから寂しさはなかった。
大学も…学部は違っても一緒にいることが多かった。教職課程の
私の方が彼を待たせることが多くて、図書室で待ってもらうことが多かったっけ。
就職で、彼は商社に就職して、私は自分の出身の中学の家庭科の
教師になることができた。
弘樹は本社の服飾部門の営業職で、私の見えない所で頑張って
いたと思う。仕事柄休日も合わなくなって…少しずつ隙間が
できた。お互いを理解していたはずなのにそれは上辺だけの理解
でしかないことを痛感させた。
ようやく、今の生活に慣れた1か月前のこと。
「俺…名古屋に転勤になったから。恵美と一緒に行きたい」
突然のプロポーズに私は困った。新任1年目で担任も持って授業も
持ってる。辞めるにしてもそんな急には辞めれない。
仕事はなりたくて必死になって叶えたから…弘樹のプロポーズを
断って別れてもいいと思っていた。
彼に待ってくれって言えないから。
折角戻った仲がまだ気まずくなって、1カ月。
校長先生が私の授業を公開授業にしてしまって、校長先生は彼を
呼んで私の授業を見て欲しいと言ったらしい。
…ってことは、この1カ月はそんなに自分らしくない自分でいたと
いうことになる。今になると恥ずかしい限りだ。
授業が終わって、最後の後片付けの最中に弘樹からもう一度…
プロポーズされた。ただ…少しだけ違っていた。
「俺の奥さんとして、1年ここで待ってくれ。結婚しよう」
彼の名古屋赴任は1年だから、入籍をして単身赴任をすると言う。
「私…仕事してていいの?」
「あぁ、お前がすげぇって思った。かっこいいんだぜ?」
「教え子が卒業するまでは仕事したいだろ?」
彼は私の本音を探し当てたみたいだ。
「うん…ごめんね。私だけがわがままを言って」
「違うよ。だから…これをつけてくれ」
一度彼に戻した、輝く石がついている指輪をジュエリーボックス
から取り出して、左手の薬指につけてくれた。
うっすらと目に涙が浮かぶ。
そんな私を見て、彼はほほ笑んで指で涙を拭う。
「泣き虫恵美は…卒業しろよ?」
「うん…今日だけ…今だけ泣かせて」
私は彼の背中に腕を回して力を込めて抱きついた。
「弘樹、お願い…キスして」
私は滅多に弘樹にキスをねだることはしないけど…どうしても
今したかった。
放課後の家庭科室。このなかにいるのは、私と彼だけ。
彼は目を丸くしている。彼は気がついているのだろうか?
これから婚姻届を出す私達は、恋人としては最後のキスになる。
「どうした?おまえらしくないぞ」
彼は私のウエストを持って、テーブルに座らせる。
ちょうど目線が同じになる。私のおねだりの意味が分かってない
みたいだ。
「私と…山中恵美と最後のキスをして下さい。弘樹が戻ったら…
私は高石恵美になっての最初のキスがしたいから」
言っていることがキザめいて、恥ずかしくなって私は俯いた。
弘樹はクスリと笑って柔らかな笑顔を私に向ける。
「そうだな。言われてみれば。それよりもお前覚えているか?」
「何を?」
「何かの始まりは…全て家庭科室だったのを」
そう言って弘樹は少しだけ意地悪く笑う。
告白も、抱擁もキスも喧嘩も嫉妬も…初めての事はほとんどが
家庭科室の中。家庭科室から始まった恋と言っても間違いでは
ないだろう。
今日は2回目のプロポーズを受けた。さっきは婚姻届にサインを
した。思い出してしまった私は顔を赤くして頷くしかない。
「あはは…何年たっても恵美はかわいいなぁ。さあ、こっちを
見て…最後のキスをしよう」
弘樹は私の顎に手を添えて少し上に引いた。
近づく弘樹の顔に私はホッとする。
「愛してる…弘樹」
「愛してる…俺の奥さん」
どちらともなく、私達は唇を合わせる。
恋人としての最後のキスは、ほんの少しだけ涙の味がした。
唇が放れて弘樹の顔を見ると弘樹の目にも涙が浮かんでいた。
今、私達は同じ気持ちを共用しいると思いたいなぁ。
「恵美…最後のキスを貰ったからな。10年…サンキュ。
これからは奥さんとして一緒に歩いていこう」
そう言ってから、私達は再び唇を合わせる。
これから一緒に歩いていく彼と最初のキスもかすかに涙の味が
したのだった。
kiss kiss kiss 二人で生きていこう
今回も、全年齢で展開します。次はどんな風景?