髪の毛よりも睫毛が長い弟の話
私の弟は、髪の毛よりも睫毛の方が長い。
我が家は四人兄弟で、上から私;春咲れんげ→妹→弟→妹といった構成だ。いや、これはちょっとあまりにも私個人の視点に偏った見方かもしれない。まぁとにかく上から女→女→男→女という構成には違いない。つまり、弟は四人姉弟の黒一点なのである。
私と妹たち二人とはそれぞれ三歳分と十歳分離れていて、その間に挟まる弟は私とは八歳差。私は今十九歳なので、八コ下の弟は十一歳の小学六年生男子ということになる。これだけ離れていると喧嘩するということもなく、とにかく可愛がるしかない。「目に入れても痛くない」というのは誇張表現だと思うし、そもそも「じゃあは人はコンタクトレンズを可愛がっているんだろうか?」と変に穿って的外れなことを言いたくなるような性格の私だけれど、それでも弟妹には真っ直ぐに愛情を注いでいるつもりだ。弟なんて可愛くって仕方ない。彼が生まれた時には私は八歳で、小学校低学年だったのだ。ちびっ子目線でもちびっ子である。生後すぐなんてお猿さんみたいだったのに。
そんな彼が我が家の「彼女」たちの誰よりも豊かで長くボリュームのある睫毛を有しているというのは、ちょくちょく家族のなかでも話題に上がることだ。なにしろ存在感があるというか、凄みがあるのだ。前に弟が頬に張り付いていた自分の睫毛の長さを定規で測っていたことがあったが、一・五センチもの長さがあった。十五ミリである。バッサバサと表現しても過言ではないだろう。そのまま手で摘めてしまいそうなほどである。下の睫毛も充分に長いので、上の睫毛と下の睫毛なんてくっついてしまっている。彼の視界には生まれつき薄く陰がかかっているのだろう。いち一般人女性の私としては、見ているだけでビューラーであげたくなってしまうのだが、そんなことをしても当人にとっては違和感でしかないに違いない。
スーパーで売っているお寿司パックの中にはよくプラスチックでできた緑色の草が入っているけれど、弟はあれの先端が両の瞼にくっ付いているようなものである。と、以前この話を家族の前でしたら三コ下の妹に「つけ睫毛みたいだよね」とひと言で片付けられてしまった。私よりも格段に綺麗な喩えを出されたことが悔しかったので「へえ、世間ではバランみたいな睫毛のことをつけ睫毛って言うんだね」と、とぼけたことを言ってみた。すると白けた目を向けられた挙句に「ははは、」と乾いた愛想笑いを漏らされた。全く姉に対する敬意が足りない。十コ下の妹は「バランってなあに?」と母に尋ねていて、当事者である弟はお味噌汁に入ったあさりを殻から剥がすことに注力していた。伏せられた睫毛が頬に影を落とす様が繊細で美しい。そう、まるでバランのように。
もうひとつ、彼のチャームポイントは頭である。髪型と、頭蓋骨の形だ。弟は生まれたときからとくべつ頭の形が綺麗で、くるっと磨きあげた丸氷のような曲面は凹凸もなく縦横の比もちょうどいい。髪型はいわゆる丸坊主、いがぐり頭というやつで一般的な人の多くが「高校球児」と言われてイメージするようなプロトタイプなそれである。頭の両側面を三ミリ、頭頂部を六ミリのバリカンで刈り上げている。弟の睫毛の長さは十五ミリほどなので、髪の毛の短いところで五倍、長いところでも二・五倍は睫毛の方が長いというということになる。
髪の毛は少し太めで、硬くてしっかりとした質感をしている。短く揃えられた毛が敷き詰められたまあるい頭の触り心地は何とも気持ち良くて、かりたての芝生みたいな瑞々しさがある。ちなみにこれは実体験に基づいている。私は実際にかりたての芝生を触ったことがある。
ここまでの流れを客観的に分析すると「八コ下の弟の頭の形と髪の毛の感触について熱弁する姉」というたいそう不気味で気色悪い図が露呈しているということになる、なる…けれど!それはどうか許して欲しい。私、春咲れんげは生物の骨格が好きなのだ。そう、例えば見た目からは想像出来ないほどしっかりと長いペンギンの脚の骨、頭蓋骨を一周するキツツキの舌骨、哺乳類してるシャチの格好いい骨格、お腹あたりがスッカスカで殆ど発達していないマンボウの肋骨。えへへ、まあなんて唆られることでしょう。骨格フェチです、なんて自称するつもりは毛頭ないのだけれど。
男の人の骨ばった手を見るとドキドキするという女性の声は「あるある」として処理されるのだから私のこの趣向も充分に理解され受け入れられるものだとは思っている。流石に公言はしていないけれど。思えば、高校時代に好きになった人の外見上で惹かれた点も肩から首にかけてのラインだった。あと肩幅と首の長さのバランスがとても好きだった。「なんとなくこの人の後ろ姿がすきだなあ」と思っていたのを突き詰めて考えると結局はそういうところに収束するのである。ヒトならシルエットとして外から認識できるような骨が好きだ、その他の動物なら「えぇ⁉︎君そんな構造してたの?」と驚けるような中身の(外からは見えない)骨が好きだ。
閑話休題。
ともかく、どこぞの骨格好きのお嬢さんに限った話ではなく弟の頭は多くの人にとって魅力的であることはこの姉である私;春咲れんげが太鼓判を押そうと思う。これは断じて身内贔屓ではない。事実として弟の頭蓋骨の形は綺麗だし、短くした髪の毛の触り心地と相まって無性に撫でたくなるような雰囲気を漂わせているのである。魔性の頭というわけだ。
いつぞやに母がハンバーグを作ろうとしたときなんて、弟は外側の皮を剥かれてツルツルになった玉ねぎを小さな両の掌に載せて凝視したあとに、片手で自分の頭を触ってその丸みを比較・確認していた。その現場を目撃していたのは母と私と三コ下の妹という女三人衆だったのだけれど、私は「同族意識...⁉︎」と息を呑み、母は「あっ、似てるねえ」と明るく感心し、三コ下の妹は腹を抱えて大爆笑していた。自分の弟の頭を玉ねぎみたいだと思ったことはそれまで一度もなかったけれど、言われてみれば確かに似ている。このときに「あの玉ねぎこれから微塵切りにされてハンバーグになるんだけど...」というツッコミが出来なかったことは私の生涯の中でもトップ百に入るくらいの後悔となっている。同じような状況が発生することを願うばかりだ。
また、母が幼い弟を連れて私の授業参観を訪れたときにまだ二歳くらいの弟が帰りの会も終わり人が入り混じるなか、母と間違えて先生の足に「ひしっ」と抱きついてしまったことがあったのだけど(ちっちゃい二歳児の彼には立っていても顔が見えなくてそれが母でないことに気づかなかった)、私の担任の先生はニコニコしながら彼の頭を撫でていた。
それから、夏になって市民プールに行くと健康的に日に焼けてガッチリとした体躯をしたライフガードの兄ちゃんが通りすがりに「よう坊主!」と弟の頭を撫でてきたというエピソードもある。ちなみに初対面だったそうだ。これは兄ちゃんがとくべつに快活でフランクで気の良い男前だったというのも関係していると思うけれど、弟の頭が魅力的であったことも無関係ではないはずだ。
弟自身も頭を撫でられることにはすっかり慣れていて、下りのエスカレーターで私が弟の一段上に立ち(ちょうど良い位置にあったので)無意識に彼の頭に手を置くと、弟が自ら頭を左右に小さく揺らしていたこともあるくらいだ。これは流石に愛おしかった。こちら側がずっと一方的に構い倒してきた猫が気まぐれに擦り寄って来たときの心境が分かった気がする。
とにかく、言いたかったことはひとつだ。丸刈りで生まれつき長い睫毛を持つ弟は、髪の長さよりも睫毛の方が長いのである。「それだけ?」と言われるかもしれないけれど、本当にそれだけだ。すべての話に教訓を求めてはいけない...ということにしておこう。私はくだらなくて実益のないことを愛している。
とはいえ何もないまま終わるのも味気ないかしら?と、思うのも事実で。うーんどうしよっかな...とか首を捻っているうちに他己紹介で一番大事なことにまだ触れていないことに気がついた。
私、春咲れんげの弟の名前は「春咲つくし」といいます。何卒よしなに。




