14話
数刻。
外縁にまで後退したか。
神殿の騎士団たちは硬く口を閉じている。
おいおい。
そのまま後退しちゃっていいんだぜ?
我慢は体に毒だ。
て言っても無理だよな。
どう見てもマジだ。
これって紛争だよな。
というか、力で現状変更はよくねぇよ。
でもな。
ここはそういう世界か――
俺たちが見つめる水盤が揺れる。
来やがった。
整った隊列で動く。
前回より無駄がねぇ。
何だありゃ。
高く掲げている。
司祭たちが一斉に投げ出す。
おいおい、森にゴミ捨てちゃいかんぜ。
ドン!
聖水の瓶に見えた物が爆散。
ヤベッ!
同時に霜が蒸発。
地面が裂ける。
思わず声に出しちまう。
だが、あくまでも冷静を装う俺。
「今、消えたな」
雪は急ぎ俯瞰して水盤を見る。
「この力は想定以上です。凛行ける?」
ニヤリとする凛は頼もしい。
「ああ、いけるよ! 嫁候補行きます!」
俺は一言伝える。
「生きてもどってこい」
「お頭の嫁になるから、あったりまえ」
ガッツポーズをして、焔と一緒にこの場を去る。
配下の小鬼たちはすでに地上で多数待機中だ。
ドンッ! ドンッ! ドンッ!
連続できやがった。
あいつら好き放題投げてやがる。
あの勢いじゃ、さうがにきつい。
自然発生した妖怪たちは消えちまう。
木の根元から木っ端みじん。
爆発の衝撃はそれだけ強い。
違う。
ただの爆発じゃねぇ。
残っている。
爆心の周囲。
白い何かが、
空間に貼り付いている。
霧が、
そこだけ入らない。
侵食できない。
……消してる。
存在ごと、
削っている。
これ、
ただの攻撃じゃねぇ。
領域を、
削りに来てやがる。
削れている。
じわじわと。
一発ごとに、
確実に。
消えている。
妖怪が。
霧が。
地面が。
夜域そのものが、
薄くなっていく。
戻らない。
再生が追いつかない。
……これ、
長く持たねぇ。
正直描いていない連中のことは知らない。
でも、胸の奥は冷える。
ぬりかべの応答が遅れているな。
夜域が軋んできたぞ。
ここからが問題だな。
凛、お前たちだけで……。
水盤に映る凛。
方々に散らされている百目は凛を捉える。
凛は、二度目の出陣だ。
力強く踏み出すと、前に出る。
今回は戦利品の武器もちだ。
ダブルスピアを肩にかついでいる。
なんだかんだと気に入ったみたいだな。
角がわずかに伸びたか。
炎が膨らむ。
隊列が揺らぐ。
だが崩れない。
読まれている。
聖術師が一斉に動いた。
白い光が収束。
嫌な軌道。
止めろ。
間に合わねぇ。
聖槍が凛の腹を貫く。
血。
思わず俺は叫ぶ。
「凛ッ!」
炎が揺れる。
凛が膝をつく。
それでも、
倒れない。
膝をついたまま、
顔を上げる。
目が死んでいない。
歯を食いしばる。
炎が、
まだ消えていない。
……あいつ、
立つ気だ。
折れてねぇ。
まだ、
戦うつもりだ。
血が落ちる。
止まらない。
腹を貫かれて、
立っているだけで異常だ。
それでも、
前を見る。
一歩、
踏み出そうとしている。
……無茶だ。
だが、
止まらねぇ。
あいつは、
あきらめる気がねぇ。
ここで。
俺の手が、水盤に触れる。
無意識に。
立ち上がっている。
行く。
初めて理性より先に体が動く。
止まらない。
考える前に、
足が出る。
距離も、
配置も、
全部無視している。
……まずい。
これ、
判断じゃねぇ。
衝動だ。
このまま行けば、
助けられるかもしれねぇ。
だが、
同時に終わる。
俺だけじゃない。
ここにいる全員。
夜域ごと、
終わる。
――分かってる。
分かってるのに、
止まらねぇ。
焔も小鬼たちも凛をまもるべく動く。
雪が俺の前に出る。
「零さま」
声は冷静。
だが目は揺れている。
俺は睨む。
「どけ」
地下の空気が凍る。
だが。
水盤に映る白紋様が拡張している。
固定領域が広がる。
今出れば、包囲される。
俺だけじゃない。
全員だ。
今行けば凛を助けられるかもしれない。
だが本体が来る。
ここで撃たれれば、夜域が割れる。
クソッ!
拳が震える。
呼吸が荒い。
歯が軋む。
水盤に映る凛は、まだ立とうとしている。
俺を見ることはない。
それでも分かる。
まだ折れていない。
理解している。
あいつは、
勝ちに行っていない。
持たせに行っている。
一秒でも、
一歩でも、
長く。
そのために、
立っている。
……時間を、
稼いでいる。
白紋様が固定。
霧が侵入できない。
ぬりかべが押せない。
包囲が完成する。
俺の中で何かが沈む。
雪がもう一度言う。
「零さま」
長い沈黙。
そして。
「……削らせろ」
選んだ。
見捨てるんじゃない。
切り捨てるんでもない。
背負わせる。
凛に。
時間を。
痛みを。
全部。
……クソが。
分かってる。
これが、
一番きつい選択だ。
声が低い。
冷静ではない。
押し殺した声。
戦場は続く。
俺は誰もいない方へ歩く。
拳を壁に叩きつける。
血が滲む。
呼吸が乱れる。
くそ……。
初めて感情が漏れる。
小さく。
持て。
凛へ。
俺が、
そうさせた。
俺が、
前に出なかったからだ。
判断だ。
間違いじゃねぇ。
……だが、
楽じゃねぇ。
全部、
背負わせている。
だから、
次は俺だ。
絶対に、
取り返す。
水盤の紋様がさらに精緻化。
本式準備の兆し。
次は俺が出る。
足が止まる。
いや、止めた。
これ以上進めば、
もう戻れない。
助けるか、
全部を守るか。
両方は、無理だ。
……分かってる。
最初から、
分かってたはずだ。
頭では、
何度もなぞってきた。
こういう状況が来るって、
想定していた。
だが、
実際に来ると、
違う。
重さが違う。
選択の“重み”が、
こんなにもあるとはな。
喉の奥が詰まる。
言葉が出ない。
呼吸だけが、
やけに大きい。
視界の端で、
凛が揺れる。
まだ立っている。
まだ戦っている。
……俺が止めた時間の中で。
拳を握る。
震えは止まらない。
止める気もない。
これは、
忘れるための震えじゃない。
刻むための震えだ。
この選択を。
この瞬間を。
逃げたわけじゃない。
見捨てたわけでもない。
――預けた。
あいつに。
信じた。
あいつが、
持たせると。
だから俺は、
次で終わらせる。
必ずだ。
ここで削らせた分、
全部、
取り返す。
息を吸う。
吐く。
少しだけ、
視界が澄む。
迷いは、
消えていない。
だが、
揺れは止まった。
それでいい。
完璧じゃなくていい。
ブレなきゃいい。
俺は静かに呟く。
「待ってろ」
誰にも聞こえない声。
だが、
確かに届くはずだ。
あいつなら。
水盤の光が、
一段強くなる。
戦場はまだ続く。
だが、
次は――
俺の番だ。




