12話
◇夜域南側
中央の水盤が、唐突に波打った。
カワはいち早く気が付く。
「ねえねえ、百目が何か拾ってきたよ」
俺も近づき映るものを見た。
「こいつら、神殿のやつらか?」
いつの間にかそばにいた雪が答える。
「ええ、この紋章ですと可能性が高いですね」
凛も物珍しそうに覗き込む。
「あたいが一発ぶちかましてやろうか?」
相変わらず脳筋なヤツだ。
俺は、思わず笑いそうになる。
「今はその力、貯めておいてくれ」
「頭がいうんじゃそうしとくよ」
まったく妙なところで素直なんだよなコイツは。
今は、地下拠点に皆が集まっている。
俺たちの百鬼夜行の新たな本部だ。
塗り壁と土蜘蛛たちが今は、地上を建設しはじめている。
カワは興味深そうに拡大して見ていた。
「なんかこの人間たちって、白い色で統一されているね」
凛は楽し気に言う。
「あたいの赤とは正反対だな」
雪は少しばかり怪訝な顔をする。
「今日はいつもより霧が低く薄いですね」
「何か思いたあるか?」
「いつもより、森が怯えている気がします」
「怯えか?」
「ええ、彼ら何かをしでかすつもりかもしれません」
森もただの木々じゃねぇ。
あれはもう、ひとつの生き物だ。
侵入してきたのは甲冑だけじゃない。
司祭と思わしきローブの連中も複数いる。
しきりに会話をしている。
だが、百目は映すだけだ。
音も、気配も、感情も拾わない。
司祭がしゃがむ。
地面に円を描く。
銀粉が舞う。
何か詠唱を始めやがった。
白い紋様が走り、霧が薄くなる。
「ん? 削られているのか?」
雪の副官の霧が違和感をいいだした。
「雪さま、あの白い光で森が痛がっています」
「そう。やはり」
水盤に映る彼らは、術がうまいこと運んでいると見える。
雪が静かに言う。
「向こうの術は機能しています」
霧が焦りをにじませる。
「外縁三百歩、夜域の反応が弱まっています。……効いています!」
案外、脆いな。
俺は思わず口をついて出そうになった。
その瞬間だった。
森の奥が鳴る。
低く、一度地響きのようだった。
地面が、応じた。
凛は少し驚きを隠せないでいた。
「あれ? 真っ白じゃんか」
地面一帯が、雪のように白く染まる。
霧は晴れたんじゃない。
潰された。
カワの配下泡が楽しそうだ。
「これ押し返している! 人間らたいしたことないね」
地面が白い光に呼応し、押し返す。
雪のような場所が再び地面と木の根に戻る。
◇神殿側
「結界が安定したか?」
「均衡は維持されています」
……嘘だ。
その瞬間――
地面が震える。
空気が重くなる。
紋様が軋む。
騎士が膝をつく。
「……重い……!」
紋様の白が、わずかに濁る。
司祭の詠唱が乱れる。
「均衡を維持せよ! 式を保て!」
だが銀粉が黒く染まり始める。
それは焦げではない。
侵食じゃない。
圧だ。
見えない何かが、上から押し潰してくる。
まるで水底に沈められたように、
呼吸が遅れる。
「数値が跳ね上がっています! 止まりません!」
白い紋様が、地面に“埋まる”。
そして霧が戻る。
先ほどより濃く。
先ほどより静かに。
「後退だ! 外縁まで下がれ!」
騎士団長が叫ぶ。
だが足が重い。
地面に刻まれた紋様が、完全に消えている。
いや――消えたのではない。
埋まった。
「式は破壊されていません……」
「均衡は崩れていません……」
「ならばなぜ戻らぬ!」
誰も答えられない。
静かすぎる。
……違う。
見られている。
上から、何かに。
「撤退。記録を持ち帰れ」
松明が揺れる。
誰も振り返らない。
団長は低く言った。
「……あれは森じゃない」
「敵の拠点だ」
「俺たちは踏み込んじゃいけない場所に入った」
◇夜域
ここは静かすぎた。
森の音が一瞬、消えた。
地下が静まる。
外の気配が、薄く伝わってくる。
中央の水盤だけが月光を拾っている。
水面は動かない。
水面に波紋が走る。
霧の森が映る。
甲冑の銀が動く。
松明の灯りが揺れる。
司祭は魔法陣を用意し聖印を刻む。
一時、霧は薄くなるが
再び濃さがすぐに戻る。
雪が呟く。
「……深くなりました」
俺は言う。
「それって、押し返したんじゃないのか?」
雪が言う。
「……深くなりました」
「外縁三百歩の防衛線、厚みが倍化しています」
「倍?」
「はい。浄化圧を吸収し、内側へ変換しました」
水盤の映像が変わる。
外縁の霧が、
ただ濃いのではない。
層になっている。
一層目が受け、
二層目が絡め取り、
三層目が圧を返す。
「……防壁が自律化しました」
「次に来た場合、侵入は三倍困難になります」
地下の空気がわずかに冷える。
ぬりかべが締まる。
カワが深くなる。
凛は無言で剣を握り直す。
水面を見つめる。
水盤の中で、
霧が重なっている。
薄い霧の下に、さらに濃い霧。
その奥は、底が見えない闇だった。
夜域は広がったんじゃない。
分厚くなった。
小さく息を吐く。
「測りに来たな」
水面がわずかに揺れる。
百目の視界が一瞬乱れ、
その奥に、底の見えない闇が見えた。
「半端に触るからだ」
怒りじゃない。
確信だ。
雪は一歩前に出る。
「外縁はまだ管理圏内です。押し戻せます」
俺は、静かに水面を見つめる。
波紋が、もう一度だけ揺れた。
「まだ遊びだ」
水面は映す。
雪が隣に立つ。
揺らがない。
雪は静かに告げた。
「同じ形では、もう通じません」
◇神殿側
夜。
帰還兵は甲冑を脱いでいた。
同僚が言う。
「お前、声が低くなったな」
「そうか?」
兵は自分の喉に手を当てる。
鼓動が鈍い。
床に落ちた影が、
わずかに伸びる。
兵は無意識に北を向く。
森の方角。
一歩。
自分でも気づかぬまま、
足が出る。
同僚が笑う。
「まだ森が怖いのか?」
沈黙。
胸の奥が沈む。
森を思い出す。
あの沈む感覚。
そしてなぜか――
足が、北へ向く。
足取りが、迷わない。




