第七話 未来を紡ぐもの
アザミという客はしばらく来なくなり、トラブルもなく数日過ぎた。季節は春を終え、夏がやってきた。中庭に咲く桜の木は未だ桃色の花を咲かせているが、風は暖かい。
シオンはそれを見てふと疑問に思う。
なぜ桜は夏になっても散らないのだろうか。
そういえば、散って緑色になるのを一度も見たことがない気がする。
シオンは、ひとまずその謎を解明するため近くで見ようと中庭に向かった。
丁寧に手入れをされた草原に、佇む桜の大樹。近づくにつれてその大きさの壮大さがより感じられる。桃色の花びらがあたりに散り、シオンを出迎えていた。
木漏れ日がわずかに地面を照らしている。その光景に思わずシオンは口走った。
「……きれい。」
大樹の距離が後一メートルと縮まったとき、ふと石碑が目に留まる。かなり長い月日が過ぎたのか、かすかに皹が入っていたり、変色が起こっていた。だが、表面は今でもつやつやだ。
その場にしゃがみ石碑の文字に目を通す。その紫の目はいつにもまして真剣だ。
そこにこう書かれていた。
この桜、戦乱の世に植えられしもの。
散る花は、過ぎし日々の記憶を映し、
咲く花は今を刻む。
ここに立つ者よ。
過去に縛られることなく
今を生きよ。
記憶の声を聴き、人々を導く者となれ。
初代記憶の管理者 エル
シオンはその文字を一周、二周何度も読み返した。まるで自分に言われているもののように。
「……過去に縛られるな。」
自分の記憶は何日も何か月も過ぎてもいまだ思い出していない。だからこそこの言葉が胸に刺さる。
何を糧にして前を向けばいい?
何を目標に皆を導けばいい?
しばらくそこで考えふけっていた。空が曇っていくのにも気が付かず。
石碑の文字を目で追っていると、目の前に影が落ちた。上を向くとそこには傘をさす使用人の姿が。まだ、名前のわからない使用人だ。それに……そもそも姿を見たことがなかった。
「……主。風邪をひきますよ。」
シオンはいったい何のことかと首をかしげると、使用人は空を指さした。
次の瞬間。
ザァーッという音を立てて雨が降る。先ほどまで香っていた桜のにおいなど、瞬殺するように湿ったにおいが漂った。
シオンはというと、使用人が傘を差したおかげでぬれずに済んだ。思わず息をのむ。
なぜこの使用人はここにいるのを知っていたのだろうか。
それから、なんで傘を持って出てきて、降る時間まで把握しているのか。
目線を上に向けてようやく目が合った。赤紫色の髪を下ろし、帽子をかぶる女性。左目にやけどの跡が残り、淡い紫色の目をしていた。
「ところで、主。ここにいるなんて珍しい。桜の木に何か用事だったかな?」
「……あの、その……。」
あまりの驚きで言葉に詰まる。その女性の使用人は傘を差し出しながら優しく笑う。
「落ち着いてくれ、主。誰も置いていかないから。」
彼女の言葉に少しずつ、落ち着いていったのか、ゆっくり立ち上がる。差し出された傘を手にして前を向いた。
女性の使用人の名前はアヤメ。普段は裏方担当でめったに会うことがないと言っている。シオンは彼女に尋ねた。
「アヤメさん。この桜の木は夏になっても咲いているのですね。一体どうしてですか?」
「ああ。そのことか。いいぞ、ただしここでは体を冷やしてしまう。中へ入ろうか。」
その提案にシオンは乗る。コクリとうなずいた。
アヤメが案内するように建物へ戻っていく。
服装は他の使用人とは異なり茶色のコートである。帽子をかぶっているのもアヤメだけだ。
なぜだろうか。
ふと気になったのかシオンはもう一つ質問を重ねる。
「アヤメさんは普段どこにいるんですか?」
ちらりとアヤメが振り返る。とてもやさしい目をしていた。再度前を向き歩きながら、教えてくれた。
「私は、監視室にいるよ。君を狙う輩をいち早く見つけるためにね。でも、今日はブルーが代わって見張りをしてくれている。」
シオンは首をかしげる。自分が働いているときに侵入者を一度も見たことがなかったからだ。それについて尋ねようとしたら、またもや先手を打たれた。
「最近は特にひどくてね、主に気づかれる前に退治しているつもりなんだが……魔法を撃ってきたり、槍を投げるだけで引き返したり。もう大変だよ。」
「……え、いるんですか?」
そもそも、敵がここに乗り込んでいたという事実に驚きである。先ほどまで疑問に思っていた桜の木の秘密が薄れるほどの威力だ。困惑したシオンの声を聴いたアヤメはクスッと笑って言う。
「安心しな、主。私らは強い。主は玉座で鎮座しているだけでいいのさ。もちろん、時によっては先陣を切ってもらう場合もあるが……」
その言葉にシオンはさらに不安そうにしていた。自分は記憶はおろか、戦い方も知らずに職務にすがっている。それ以外を知らない。「え」とか「あ」とか言葉とも言えない声を漏らしている。アヤメは肩を落とすと優しい声色で訂正した。
「まあ、そんなことはないように努力はする。一応覚悟はしなくてはな。」
「は、はい……そうですよね。」
それを聞いても、シオンはどこか不安そうだ。
ようやく室内に入る。シオンの分の傘もアヤメの分の傘も近くに立てかけられ、二人の影が窓辺に並ぶ。アヤメは後ろを振り返り、桜の木を眺めた。
「さて、本題に戻ろうか主。桜の木について聞きたいんだろう?」
アヤメの言葉にコクリとうなずき、自分も振り向いた。
桜の木は雨が降っていても桃色の花をきれいに咲かせていた。いや、それ以上に花々が光っているようにも見える。シオンがそれに気づき目を細めているとアヤメは言う。
「あれは記憶の書のようなものだ。まず記憶の書とは何なのか、覚えているかな?」
シオンはそれを聞かれて、顎に手を当てて考える。
「ええと……記憶の機能そのものが備わっている書物ですよね?あとは、人の人生そのものや魂の行きつく果てとか言われているんですよね?」
解答を聞いたアヤメは小さくうなずく。「その通り。」といった。そして桜の木を指さした。
「あの桜も、同じ。何かを備えている。では、一体何か。」
シオンはアヤメの楽しそうな声色に視線を向ける。アヤメも主の視線に気づいて目を合わせた。
アヤメはシオンに手を差し出して言う。
「では、主。一つ目の問題だ。記憶の管理者は代々、どのように受け継がれてきただろうか?あの桜は初代の記憶の管理者から見守ってきたんだ。さて、何だと思う?」
その問題は、シオンにとって知りもしないものだった。それにそれが桜の木と何の関係があるのかわからない。
だが、なぜか知っている。
いや、なぜかわかる気がした。
外ではまだ、雨が静けさを放ちながら降り続けている。




