第十六話 一番大事なもの
保護という形ではあるものの、新たに加わった追憶蝶。しかし、名前がわからないことから呼び方を考えることにした。シオンの隣でそれが決まるのを今か、今かと待ちわびている。
食堂。食事前に新たな一員になる追憶蝶がみんなの前に現れた。まだ、不安そうだがシオンのそばで飛んでいる。記憶の書が保管されている塔で確認されたということしか知らされていないのか、使用人はどう反応したらいいかわからないようだ。
近くにいた銀髪の使用人キュラはぼーっとその蝶を見つめた。
「なんだか、不思議な気配だね。」
と追憶蝶に話しかけている。シオンは首をかしげながら同じく視線を向けた。
ふわふわと漂う蝶は淡い紫色の羽を持っている。普通の追憶蝶と比べることはできないが、とても綺麗だった。
赤紫色の髪の使用人アヤメもじっと見て言う。
「確かに……なんというか、落ち着く感じがするな?」
みんなが思い思いに、その蝶を観察していた。その近くにいたシオンも同時に見られている感覚がして肩身が狭く感じる。
ふと、金髪の使用人マリーが尋ねた。顎に手を当てて首を傾げる。
「しばらくここにいるってことだよね。追憶蝶、追憶蝶ってちょっと堅苦しくない?」
その質問にみんなは少しコクリと頷く。種族名で呼ばれてもあまり嬉しくないだろう。だが、追憶蝶の名前はまだわからない。そこでマリーは考えた。
「シオン様は、お目目が紫でシオンの花が紫だからってことにしたけど……」
マリーがそう、顎に手を当てながら話していると慌ててアヤメがとめた。
「まてまて、マリー。名前はその人にとって一番大事なものなんだ。あのときはシオン殿が欲しいと言ったから命名したが……その追憶蝶様が欲しいかどうか聞いてからにしないか?」
アヤメの話は間違っていない。むしろ、正しい。
魂に刻まれる最初の記憶は誰しも"名前"なのだ。名付けがされなかったとしても、天恵として与えられる場合がある。
だから、勝手に名付けるのはタブーとされていた。それを一番知っているのは記憶の管理者たちだ。
マリーは先走ってしまったようだが、しっかり覚えている。
「そうだよね!ごめーん!」
申し訳なさそうに胸の前に手を合わせて、ペコリとお辞儀をした。
追憶蝶はそれを見てそっと近づく。大丈夫だよと言いたそうに。
マリーはそれを見てぱあっと笑みを浮かべた。
「優しいなぁ、この子。」
机のうえで頬杖をつき、じっと見つめている。
しばらくすると、追憶蝶はシオンの元へ行くとあの石板に触れる。会話手段がそれしかないのか、シオンが気遣って持ってきていた。それを追憶蝶も理解しているらしい。
〈名前、僕も欲しい。〉
みんな、その文字を見た。
マリーをはじめとした使用人が互いに顔を見合わせる。
「名前欲しいの?」
マリーが再度訪ねた。蝶はそうだと言わんばかりにシオンの肩に留まる。
彼女はぱぁっと笑みを浮かべた。
「じゃあいいよね?アヤメさん!」
キラキラとして真ん丸な瞳をアヤメに向ける。その目をアヤメは見つめ返し、自分も小さく微笑んだ。
仕方がないというように。
「本人が望むのでしたら、そうしましょう。みんな、異論はないね?」
『はい!』
声が重なり、この蝶を迎えるにあたり名前を与えることが決定したようだ。
しかし、蝶である以上見た目での判断が厳しい。白髪の男性であることは分かっているが、年齢やその他の情報がなさすぎる。それに、今の見た目は紫色の蝶。
内面もまったくわからない。
名前を与えるというのは、かなり難しいことなのだ。
「とりあえず、みんなの案募っていく?」
キュラが呑気にそう言うと、みんな渋々頷く。否定しないというのは案がないということだ。
それぞれが考える名前を机のうえに並べていく。
紫色だからそれに派生した紫色の花の名が並んだ。シオンの時もこうして選ばれた。
花を名前に使うのには理由がある。
追憶蝶が自身の記憶を探すには、最終的には自分から導かなくてはならない。
だから、普通の蝶が好きな花を名前に当てることでその”導き”のきっかけを作る。シオンが花の名から来たように、追憶蝶も花の名をつけてあげる。自然な流れがそこに来ていた。
キュラはその名前を読んでみた。
「コスモス、アネモネ……うーん、どうしよう。ピンとこない。」
ふと、マリーが人差し指を立てて立ち上がる。
「もう、本人に決めてもらわない?いっぱい出たからどれかあるかもでしょ?」
それを聞いたシオンは目を丸くした。
「本人に。」
シオンのつぶやきを聞いたマリーはコクリとうなずく。
「そう、本人に。」
シオンは静かに、肩に乗っている蝶を見た。そして首をかしげる。
「あなたが決めていいんですって。」
そう、優しく声をかけた。追憶蝶は羽を震わせる。
胸がくすぐったいような、不思議な感覚がしたようだ。
すると、肩から追憶蝶は飛び立ち、その文字列が並ぶ用紙の前にいった。どれにしようと悩むように飛んではとまる。とまっては、また飛び立つ。
姿が蝶だから、どんな人間かはわからないが戸惑っているようだった。
そして、しばらくしてとある文字にとまったようだ。
アスター。星のように咲く紫色の花。
花言葉は追憶。なぜかしっくり来た。
「アスターか。」
マリーがそうつぶやいてコクリとうなずく。
「うん。似合ってるね!紫色の花だし、記憶を思い出したいって理由にもつながる!」
アヤメも目線を向けた。
「いい選択だな。」
と小さく笑みをこぼして腕を組んだ。こうして紫色の追憶蝶の名前はいったん”アスター”と呼ぶことになった。外はもう暗く、台所にいた青色の使用人が顔を出す。
「……ええと、そろそろご飯できるので、片付けましょうか。」
机はたくさんの花の名前が書かれたカードで、ごちゃごちゃだ。しぶしぶ、みんなで片付けた。
淡い電球があたりを照らしアスターの歓迎会が始まった。保護でも、記憶の管理者の一員として大歓迎する。揚げ物やサラダなど、様々な料理が並ぶ食卓に、みんなが顔をそろえた。
「それじゃあ、主様。合図をお願いします!」
シオンは周囲を見渡して渡されたグラスを手にしている。そしてそれを少しだけ上に掲げて言う。
「アスターさんの歓迎を祝って……乾杯!」
『乾杯!』
カランとガラス製のグラスが鳴る音がする。ここからは宴。記憶喪失という問題も今だけは忘れて楽しむ時間だ。
食べながら、キュラがふと言った。
「アスターくん。いつまでもシオン様に石板出してもらうのもあれだね。道具作ってあげるから待っててね。」
まるで、呼吸をするようにさらっとキュラが言う。キュラは普段倉庫整理をしているが、趣味で武器を作ったりしているらしい。それを聞いたブルーは目を丸くした。
「久々だな、キュラがモノづくりなんて。」
「ええー、そうかな?でも、確かに久々。最近あんまり戦闘してないから必要なかったんだもん。そうだ、そろそろシオン様にも作ってあげたいなー。」
ブルーはそれを聞くと「やめろ、無理強いはすんな」とくぎをさしておく。キュラはしょんぼりと肩を落とした。
シオンはまだ、戦闘できるとは言えない。やっていないのだから当然なのだが、そこまでの精神力はまだなかった。
いつか、ともに戦えるのだろうか。
そう思いながら、シオンは静かに水を口に流し込んだ。
胸の奥に、言葉にならない小さな決意が灯っていた。




