第十話 夢の中で触れる欠片
いつもの営業を終えたシオン。後片付けや夕食を済ませて自室に戻った。窓の外は暗闇で、ぽつりぽつりと星が輝いている今日。
シオンが記憶を失い、ここにきてから二年目を刻んだ。
シオンはベッドの上でしばらく星空を眺めた後、横になる。明日も仕事だ。そう思って目をつぶる。
深く深く沈んでいく。夢という名の世界へ。
目を覚ました。いや、夢の中なら気が付いたといったほうがいいだろうか。そこは何もない暗闇だった。まるで先ほど見た星空のように。
ここ最近、シオンは夢を見る。毎回この暗闇で目を覚まし、まっすぐ歩いているのだ。
結局、ここでは何を見せたいのだろうか。
夢は記憶を処理するため見る。他にもストレスや不安を軽減するともいわれるが……ここ最近空っぽな夢ばかり見る。
確かに二年の月日で何も進歩していない。ただ仕事をする毎日。本を読んだり、散歩をしたりして何かと記憶を思い出そうとするが、あるのは虚無であった。
自分は何者なのだろうか。
本当に記憶の管理者にふさわしいのだろうかと。
自問自答を繰り返している。
カツカツと自分の足音が鳴り響いていると、ふと見慣れないものを見つけた。
空中に留まる水色の水晶。それが派手に破片を散らしていた。その水晶はどこか、普段左耳に着けているイヤリングの形と似ている。
石英の性質を生かして作られた魔石。それが、イヤリングにつく蝶のアクセサリーの下に鎮座している。魔力効率が高く、代々記憶の管理者とともに受け継がれてきたのだ。
その魔石に似たものがシオンの夢では壊れている。それもかなり巨大でまばゆい光を放ちながら。
シオンは目を細めながら近づく。確かにまぶしいのだが、それよりもシオンはこう思っていた。
懐かしいと。
暖かいと。
そして、ついに破片が触れられそうな位置までやってきた。
破片は触れれば怪我をしてしまうほど鋭利だ。シオンは紫色の瞳でその破片を見つめていた。
次の瞬間。誰かの記憶が脳内に流れ込んできた。ぼやけていて、誰なのかはわからない。
誰かの荒々しい息が聞こえる。見えたのはどこかの森の中。雨が降っていた。
「はぁ……はぁ……。」
夢で痛みを感じるはずがないのに、胸が焼けつくように痛んだ。
張り裂けそうな熱が胸の奥を締めつけ、息を吸うたびにつんざく苦しみが走る。
雨の冷たさが気持ち悪い。
こんな痛み知らない。
そのまま現実に引き戻された。なんの抵抗もなく、何の手掛かりもなく。
ただただ痛かった。寂しかった。
「はぁ……はぁ……。」
熱い。息が乱れている。額に手を当てると、汗で湿っていた。視線を窓の外へ向ける。まだ、夜明け前のようで相変わらず真っ暗だ。
ゆっくりと体を起こして状況を整理する。
今の痛みはなんだ。
あの場所はなんだ。
森の中、雨が降っているということしか理解ができなかった。それよりも体がだるくて仕方がない。
「あの記憶は……いったい誰の……?」
ぽつりと疑問が漏れる。もしも自分だったのなら、覚えているはずだ。あんなつらい思いを二度としたくない。じゃあいったい誰の。
そう自問自答をしていると、不意に扉がコンコンと音を立てた。使用人が気づいたのだろうか、シオンが起きたことを。外から声が聞こえる。
「……シオン様。起きていますか?」
女性の声だ。ひどく心配しているようだ。シオンは声を出す。
「はい……すこし、夢を見て……」
シオンの言葉を受け、使用人はしばらく黙った。そして再度声をかけてきた。
「……なるほど。入ってもよろしいですか?」
その言葉にシオンは少し身構える。だが、さすがにこればかりは頼らないときつかった。
熱い。体中が燃えるように。
シオンは「はい、どうぞ。」と使用人を招き入れた。
数分後、入ってきた赤髪の使用人は体温計を見て眉をひそめた。
「高熱ですね……。いったい、どんな夢を?」
「ええと……その、森の中……雨の日に苦しんでいる夢でした。」
断片的にしかわからず、あいまいなまま口走ってしまった。彼女は困ったように言う。
「なるほど……。とりあえず、シオン様。ゆっくり休みましょうか。」
彼女は、シオンの額に濡らしたタオルを優しく置き看病をしてくれる。シオンはぼんやりしていて誰だか分からなかった。
次第に、また眠くなり瞼が重くなっていく。彼女の名を思い出せないまま意識を手放した。
シオンの呼吸が静かに落ち着き、完全に眠りへ沈んだのを確認すると、赤髪の使用人、アイカはそっと息をついた。
熱くなったタオルをまた冷水に浸して再度額に置く。その繰り返し。
アイカは先ほどの言葉に少しだけ既視感を感じていた。
森の中、雨の日。
「シオン様が、倒れていた日がまさに……」
シオンが見つかったのは、森の中記憶の図書館の道沿いだった。その日は大雨で、シオンは雨でぬれていた。外傷は見当たらず、記憶喪失だった。
しかし、一つだけ引っかかっていた。
「……魔力が切れていたんですよね。確か。」
魔力暴走で記憶を失うことはあるらしい。だからその路線も考えたのだが……なにしろ、シオンが来た時には記憶の管理者も行方不明だった。
だから、どうあがいても記憶を思い出すことはできなかったのだ。
アイカは汗でぬれたシオンの前髪をよけながら、またタオルを交換する。慣れた手つきだが、表情は硬い。
「……これが、初めて思い出した記憶ですか。先は長そうですね。」
誰かに向かって声をかけるように、言葉を漏らした。
先は長い。
ゆっくりでいい。
だが、その記憶がもしシオンを傷つけるようならば。
使用人たちはそんな悩みを抱えながら、今夜も静かに主の安全を守り続けるのだった。




