第75話 名前を呼ばれる距離
連続投稿です。
73話からお読みください。
朝。
昨日とは、
違う時間に動く。
日の出より、
少し遅く。
人が増え始め、
だが――
流れが固まる前。
(……この時間帯)
子どもは、
目立たない。
大人は、
まだ忙しい。
ギルドへ向かう。
正面からは、
入らない。
一度、
通りを外れ、
裏口側へ回る。
(……入口は、
“覚えられる”)
中に入る。
掲示板。
昨日より、
紙は多い。
だが――
目に留まるのは、
別のもの。
(……視線)
左。
年配の男。
冒険者ではない。
職人でもない。
服は、
町の者。
だが――
“暇”な立ち方。
(……見てるな)
掲示板を読むふりを続ける。
薬草。
清掃。
配達。
いつもと同じ。
紙を剥がす。
その瞬間。
「……トア、だっけ」
呼ばれた。
心臓が、
一拍遅れる。
(……やられた)
振り返る。
知らない顔。
だが――
知っている声。
昨日、
配達先で聞いた。
「字、
読める子だよな」
“評価”の声。
(……良くない)
「……はい」
短く答える。
嘘は、
つかない。
だが――
足さない。
男は、
顎を撫でる。
「小さいのに、
よく働くな」
「……仕事だから」
それ以上、
踏み込ませない。
男は、
少しだけ笑った。
「いい返しだ」
だが――
距離は詰めてくる。
「この後、
暇か?」
(……来た)
断る理由は、
ある。
だが――
断り方が重要だ。
「……依頼が、
決まってます」
半分、
嘘。
半分、
保険。
男は、
肩をすくめた。
「そりゃ残念」
引く。
だが――
完全には、
離れない。
(……覚えられた)
紙を受付に出す。
依頼は、
溝掃除。
銅貨二。
女が、
印を押す。
「……声、
かけられたな」
低い声。
「……はい」
「深入りするな」
それだけ。
だが――
十分だった。
外へ出る。
空気が、
少し変わる。
(……町は、
人が近い)
村では、
顔と名前は、
守りだった。
町では――
逆だ。
仕事は、
問題なく終わる。
印をもらい、
戻る。
銅貨二枚。
だが――
気持ちは軽くない。
夕方。
いつもの空き地。
今日は、
座らない。
通り過ぎる。
(……場所も、
変える)
川沿い。
人通りは少ない。
だが――
逃げ場がある。
水袋を確認する。
残り、半分。
(……まだ、
余裕はある)
保存食を食べる。
(......最後の、
ひとつ。)
夕日。
町が、
影を落とす。
名前を、
呼ばれた距離。
それは――
危険ではない。
だが、
安全でもない。
(……次は、
“顔”だな)
顔を覚えられ、
次に来るのは――
素性。
それを聞かれる前に、
動かなければならない。
夜。
町の灯りを、
少し離れた場所から見る。
近づきすぎない。
離れすぎない。
(……生きるには、
この距離だ)
ローディス王国領の町、
オーレム。
少年は、
初めて理解した。
名前を呼ばれるということは、
もう“無名”ではないということだ。
そして――
無名を失う者から、
町は試し始める。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
小さな選択の積み重ねを意識して書いています。
何か感じた点があれば、感想で教えていただけると嬉しいです。




