第106話 名を呼ばれない距離
昼過ぎ。
ギルドの空気は、
朝よりも少し緩んでいた。
仕事を終えた者。
次を探す者。
様子を見る者。
それぞれが、
自分の場所に戻っている。
トアは、
掲示板の前に立っていた。
上段は、
動かない。
下段が、
一枚だけ減っている。
(……今日は、もう十分だな)
銅貨五枚。
疲労も、
判断も、
許容範囲。
“欲張らなかった”感覚が、
体に残っている。
受付へ向かう。
木札を返し、
今日の区切りをつける。
「……トア」
呼ばれた。
足が、
一瞬だけ止まる。
(……何だ)
責める声でも、
急かす声でもない。
ただ、
名前を確認するような響き。
受付の女が、
書類から目を上げた。
「明日、朝一で来られる?」
条件を、
先に言わない。
それが――
少しだけ、
今までと違った。
「……はい」
「距離は、少し伸びる」
「人目は少ないが、ある」
「でも……一人でいい」
一拍。
「無理なら、断っていい」
断れる。
それを、
はっきり言われたのは、
初めてだった。
(……判断を、預けてきたな)
「……行きます」
即答は、
しない。
だが――
迷いも、
なかった。
受付は、
短く頷く。
「じゃあ、明日」
それだけ。
ギルドを出る。
夕方の町。
人は多い。
声もある。
だが――
いつもより、
少しだけ遠く感じる。
(……一人でいい、か)
特別扱いではない。
だが――
“条件付きで任せる”位置に、
足がかかった。
路地を曲がる。
いつもの寝床。
壁に背を預け、
荷を下ろす。
今日の銅貨を、
数える。
父から渡された分も含めて、
減っていない。
(……まだ、戻れる)
それが、
何よりの余裕だった。
少し離れた通り。
ギルドの出口を、
一人の女が見ていた。
杖を肩に担ぎ、
人混みに紛れたまま。
名前は、
呼ばない。
声も、
かけない。
ただ――
“明日の札”が、
誰に渡ったかだけを、
確認する。
(……やっぱり)
女冒険者は、
小さく息を吐いた。
早すぎない。
遅すぎない。
踏み込まない。
逃げない。
(……面倒な子だ)
だが――
嫌ではない。
むしろ、
久しぶりに見る種類だ。
夕陽が、
町を染める。
それぞれが、
別の場所で、
同じ一日を終える。
ローディス王国領の町、
オーレム。
少年は、
まだ名を呼ばれない。
女冒険者も、
まだ名を告げない。
だが――
同じ依頼の“次”を、
同時に見ていた。
距離は、
まだある。
だが――
その距離は、
意図的に保たれていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
小さな選択の積み重ねを意識して書いています。
何か感じた点があれば、感想で教えていただけると嬉しいです。




