第100話 見覚えのある背中
――女冒険者視点――
朝。
ギルドの扉を押すと、
昨日の空気が、まだ残っていた。
戦いの余韻――
ではない。
もっと薄く、
もっと曖昧なもの。
(……静かだな)
掲示板へ向かう前に、
足が、わずかに止まる。
受付の前。
小柄な背中。
(……あれ?)
一瞬、視線を留めただけだ。
顔を思い出せるほどじゃない。
声を聞いた覚えも、ない。
それなのに――
何度か、見ている気がする。
(……昨日だけじゃない)
気のせいではない。
この町に来てから、
同じ時間帯、同じ場所で、
視界の端に入り続けていた背中だ。
子ども。
十歳前後。
木剣一本。
だが――
立ち方が、妙に落ち着いている。
(……変だな)
危険に慣れた人間の匂いじゃない。
だが、無防備でもない。
“近づかない”ことを知っている立ち方。
受付の声が響いた。
「――カナ」
その名に、女冒険者は足を止める。
(……ああ)
自分の名前だ。
振り向くと、
受付が書類を一枚、持ち上げている。
「昨日の件、問題なし」
「報告、受け取った」
「……了解」
短く答える。
やり取りは、それだけだ。
だが――
戻る途中、視線が自然と、
再びあの背中へ向かっていた。
依頼書を差し出す手つき。
署名の迷いのなさ。
(……読み書きができる)
年齢を考えれば、
それだけで珍しい。
(……村育ち、か)
掲示板へ向かう。
銀貨札は少ない。
今日は無理をしない。
そう決めていた。
背後で、紙の音。
下段の札が一枚、剥がされる。
距離が短く、
人目のある依頼。
銅貨四枚。
(……そっちを選ぶか)
派手じゃない。
だが、続ける前提の選択だ。
受付の声。
「問題なし」
それを聞いた瞬間、
胸の奥が、わずかに動いた。
評価ではない。
だが――
無関心でもない。
女冒険者は、
もう一度だけ、その背中を見る。
(……戦う気配は、ない)
(……でも、逃げる気配もない)
どちらでもない距離。
だからこそ、
視界に残る。
外套を直し、扉へ向かう。
(……今は、まだいい)
話しかける理由はない。
名も、立場も、違う。
だが――
覚えてしまった。
それだけで、十分だった。
ローディス王国領の町、
オーレム。
女冒険者――カナは、
まだ名を知らぬ少年の存在を、
はっきりと“認識した”朝を迎えていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
小さな選択の積み重ねを意識して書いています。
何か感じた点があれば、感想で教えていただけると嬉しいです。




