大好きだよ理子ちゃん/黙れロリコン野郎
僕こと、健全な男子高校生の平賀麟太郎には、心に決めた女性がいる。幼い頃から家が隣同士の、所謂『幼馴染』という存在だ。
「理子ちゃん、今日も小動物みたいで可愛いね!」
「なんだ、うるさいなこのロリコン野郎。喧嘩売ってる?」
……少々口が悪く、背の低いちんまりとした女性。僕が昔から片思いをし続けてきたのが、彼女、小山内理子である。
理子ちゃんは僕のことを鋭い眼光で睨みつけながら、子犬のように八重歯を剥いている。僕としては最高の褒め言葉であるつもりなのだが、理子ちゃんはどうもそれが気に入らないらしい。因みに僕はロリコンではない。
僕の脇腹をドスドスと小突きながら、隣に並んで歩く理子ちゃん。こんな悪態をつきながらも、なんだかんだ長い付き合いになるもので、毎日一緒に過ごしている。切っても切れない腐れ縁というやつだろうか。僕は毎日プロポーズをしているのに、一向に応えてくれる気配がないことが残念で仕方ない。
ふと隣を歩く理子ちゃんの顔を見ると、不意に目が合った。彼女はぷくりと頬を膨らませ、何かに怒っている様子だった。
「なになに、可愛いね。リスのモノマネ?」
「殺すぞ」
昼休み。理子ちゃんと共に、比較的人通りが少ない、体育館裏の空き地に向かおうと弁当を抱え、立ち上がった時、前方からニコニコと笑みを浮かべた生徒がやってきた。
「ねえねえ、平賀くん。今日の委員会のことなんだけどさ」
「ん……どうしたの、野瀬さん」
クラスメイトで、同じ委員会に所属する野瀬さん。いつもニコニコと笑っていて、怒っているところを見たことがない。クラスのアイドル的存在ではあるものの、正直、あまり親しくはない。
野瀬さんは両手を合わせ、少しだけ頭を下げると、わざとらしく片目を閉じた。
「お願い! 委員会が終わった後、ちょっとだけ勉強教えてほしくて……平賀くん、英語得意だったよね?」
「ああ、まあ、人並みには……」
僕の成績は、良くて上の下といったところ。特別頭が良いわけでもなく、かといって、全く勉強ができないというわけでもない、絶妙な塩梅。野瀬さんが、どうしてそんな僕に勉強を教わりたいなどと言っているのか、僕には分からなかった。
ただ、近々テスト期間が始まるということもあって、自身の苦手科目を補強しておきたいのだろう。僕は一人で勝手に納得すると、渋い顔をした。
隣を見ると、理子ちゃんは恨めしげな表情で僕を見ている。一体何を求めているというのか……これっぽっちも分からない。
「お願い、人助けだと思って……!」
より一層、深く頭を下げる野瀬さん。事情は分かるが、|今日は……少し、都合が悪い。
「……ごめん。今日、お墓参りの日だから。早く帰らないといけないんだよね」
僕がそう告げると、野瀬さんは『やってしまった』という風に、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「あっ……そ、そうなんだ。私こそごめん、そんなこと知らなくてっ……」
「ううん。手間じゃなければ、分からない問題とか範囲とか、ノートにまとめてくれてたら、暇な時間にでもアドバイスを書き込んでおくよ」
「本当? ありがとう、平賀くん。忙しいはずなのに……」
「気にしないで」
そう告げると、野瀬さんは最後に一度だけお辞儀をして去っていった。隣にいる理子ちゃんに、脇腹を突かれる。
「……この女たらし」
「なにを。僕の本命は理子ちゃんだけです。分かってるくせに」
「ロリコンだしね」
「違います」
小声でそっと否定すると、僕たちは空き地へと向かった。
昼食をとって教室に戻ってくると、今度はまた別の人物が僕たちの前に現れた。
「お」
その人物は僕の姿を認めるや否や、大きく手を振った。
「おーい、麟太郎」
クラスメイトの山田だ。一年の時も同じクラスで、その時から仲良くさせてもらっている。
「なに、山田」
「今日の放課後、この四人でカラオケ行くんだけどよ。お前もどう?」
そこにはクラスメイトの男子が三人。何故か期待を込めた眼差しで、僕の方を見ている。僕は渋々、首を横に振った。
「今日は無理だね。用事あるから」
「用事? ……あー、今日アレの日か」
「アレの日だね」
一年の時から友人である山田は、僕の事情をある程度理解している。即座に今日が墓参りの日であることを察して、軽く舌打ちをした。
「ちぇっ。ダメか。お前の顔面目当てに女子も来るかと思ったのに」
「僕のこと顔枠で連行するの好きだね、山田」
「おう。麟太郎がいるだけで女子の釣れ方が違う」
「カスじゃん、こいつ」
悪辣な理子ちゃんのツッコミに動じることもなく、山田は次なる計画を立て始めた。彼女を作ろうと張り切っているらしいが……彼女ができない一番の原因は、こういうところにあるのかもしれない。
そうして、放課後。やけに揺れの激しい古びた電車の車内で、僕と理子ちゃんは二人、隣り合って座っていた。僕たちのいる車両には他に誰もおらず、しんと静まり返っていた。
「理子ちゃん、わざわざ付いてこなくてもよかったのに」
「一応な」
何のための『一応』なのかはいまいちよく分からないが、好きな人と一緒にいられる時間が増えるというのは、年頃の男子高校生にとっては喜ばしいことだ。
そんなことを考えながら、あまりにも静かすぎる車内の空気感に、少しだけ、気が滅入った。
「……ガラガラだね。昔はもっと人も多かったのに」
「何もないからな。仕方ないだろ」
僕がこの習慣を始めた頃は、これほど人は少なくはなかった。町から遠ざかっていくこの電車が向かう先には、人が集まる施設があるわけでもなく、特別な何かがあるわけでもない。もしかすると、あと数年もすれば、駅そのものが取り壊されるかもしれない。
そうなったら困るな、なんてことを考えながら窓の外を眺める。空はすっかりと夕陽の色に染まっていた。
「ねえ、麟太郎」
「ん、なに?」
不意に、隣に座る理子ちゃんが、僕の名前を呼んだ。
「委員会の時見てて思ったけど……野瀬、完全にあんたのこと好きでしょ」
「え? ないでしょ、それは。たまたま近くにいる勉強できるやつが僕だったってだけだよ」
「あたしにはそうは思えなかったけどな」
理子ちゃんはなんだか複雑そうな面持ちで、窓の外を眺めている。その横顔は、まるで物憂げな表情をする仔犬のようだった。
「麟太郎もさ……あたしみたいなちんちくりんより、野瀬みたいにスタイル良い女の方が、テンション上がるでしょ」
「え、いやいや、それはないよ。僕が好きなのは理子ちゃんなんだから」
「それ、人間的な意味で? それとも、体付き的な意味で?」
「もちろん、両方」
即答すると、理子ちゃんは、露骨にこちらを気持ち悪がっているような視線を向けてくる。
「きも。頭おかしいんじゃないの」
「酷いなぁ」
そうして駅に到着し、降車する。霊園まで歩いて向かい、その入り口付近に停まる一台の車が目に留まった。見覚えのある軽自動車だ。
「あら?」
そのそばに立つ女性と目が合う。近所に住む坂内さんだ。僕の記憶が正しければ、祖父母のお墓がこの霊園にあるのだと、以前話していた。
「こんばんは、麟太郎くん」
「こんばんは、坂内さん」
丁度、今から帰るところだろうか。ちらりと覗くと、運転席には旦那さんと、後部座席にはゲーム画面をまじまじと見つめる男の子が乗っていた。こちらに視線を向けることはない。
僕の視線の行先に気がついたのか、坂内さんは困ったように笑う。
「麟太郎くんもお墓参り?」
「はい。掃除も兼ねて」
「えらいわねぇ。うちの子にも見習ってほしいくらい」
「いえいえ……」
彼は中学生だっただろうか。坂内さんがどんな感情でその言葉を捻り出したのかは、考えなくてもすぐに分かった。
それからすぐに、帰路に着く坂内さん家族を見送り、理子ちゃんと共にお墓へと向かう。綺麗な布で墓石の汚れを拭い、花と線香を供える。パンと手を合わせ頭を下げる僕の後ろで、理子ちゃんは神妙な面持ちをしながら、それを見守っていた。
——それから数日後。またも野瀬さんに迫られ、 放課後の図書室で勉強会が開催された。僕ら以外に参加者はおらず、何故だか妙に距離の近い野瀬さんと、ずっと膨れっ面の理子ちゃんに挟まれ、現在進行形で、言い表すことのできない居心地の悪さに襲われている。
「えっと……ここはこうして……」
「うんうん」
僕が教えるよりも前に、すらすらと問題を解く野瀬さん。どう考えても、内容を理解している人間の解くスピードである。本来なら、勉強を教わる必要もないであろうその様相に、僕は非常に困惑していた。
非常に困惑していたのは、もう一つ理由があり——隣に座る理子ちゃんが、かつてないほどに不機嫌だったことが気にかかっていた。もう、本当に、ずっと機嫌が悪い。
そして、いよいよ、何か限界を迎えたのか、理子ちゃんは勢いよく立ち上がると、図書室から去ってしまった。
思わず立ち上がり、後を追おうとすると、野瀬さんが首を傾げる。
「どうしたの、平賀くん?」
まさか『出ていった片想いの人を追いかけるんです』とも言えず、僕は頭を掻きながら、何とか言い訳を捻り出した。
「……ごめん、野瀬さん。ちょっと、お手洗い行ってくるよ」
「あ、うん、分かった」
深く追及されることもなく、無事に図書室を抜け出した僕は、先に出ていった理子ちゃんを追った。
理子ちゃんがいたのは、二階にある非常階段、その陰になった部分だった。壁に背中を押し当て、腹立たしそうに、一定のリズムで指で壁を突いている。
「理子ちゃん、こんなところにいたんだ」
「……よく見つけたね」
「理子ちゃん、暗いところ好きだからなぁ」
幼馴染故に理解できる行動原理。僕は理子ちゃんの隣に並んで、壁にもたれかかった。
「何かあった? ずっと変な感じだったけど」
「……別に。何もないけど。なんか探ってんの? きもちわる」
「心配しただけなのにこの言われようとは」
とはいえ、彼女が機嫌を悪くしていた理由に、全くの心当たりがないわけでもない。なにせ、毎日一緒に登下校するほどの仲なのだから。野瀬さんに勉強を教えている最中、構ってあげられなかったから怒っているのだろう。
「分かった。ヤキモチだ。野瀬さんに」
「それだけはない」
「ええ……」
キレ気味に、全力で、否定される。しかしながら、ならば何故こんなに機嫌を悪くしているのか……不意に視線を横に向けると、こちらを向く理子ちゃんと目が合った。
「……ねえ、麟太郎」
「なに?」
「野瀬、やっぱりあんたに気があるんじゃない? じゃなきゃ、あんなにくっつかないって」
切り出されたのは、数日前と同じ話題。僕の意見としては、それは理子ちゃんの勘違いであろうと思っている。野瀬さんはクラスのアイドル的存在で、誰に対しても同じように接している。僕視点、僕とそれ以外の男に対する対応の差に、これといった違いはない。
「あの人は他の人に対してもそうでしょ。僕だけじゃないよ」
「他の奴とは目付きが違うっての。一目見たら分かんの、同じ女だから」
「そうかなぁ……」
あまり当てにはならない気もするが……同じ第三者とはいえ、男からと女からでは、その視点にも差は出るだろう。
理子ちゃんは僕から視線を外すと、チカチカと明滅を繰り返す階段の照明に向けた。その横顔は、どこか、物憂げな表情に見えた。
「……あたしが言うのもなんだけど」
「うん?」
「お似合いだと思うよ、あんたたち。悔しいけど、二人ともスタイルは良いんだし」
身長、推定一五〇センチ以下の理子ちゃんと、モデルさながらの体型の野瀬さん。確かに、大半の人はどちらかを選ぶとなった時には後者を選ぶだろう。
ただ、僕は違う。僕はそれが、たとえどんな存在であっても、理子ちゃんを選ぶだろう。
「いやいや。僕からすれば理子ちゃんだって……」
「見た目だけの問題じゃないって。麟太郎、いい加減目を覚ましなよ。あたしは……」
何かを言いかけた理子ちゃん。しかし、その言葉は突然の来訪者によって途中で遮られた。
「——あれ、平賀くん?」
それは、図書室にいたはずの野瀬さんだった。彼女もトイレに行くために立ったのか、それとも、帰りの遅い僕を探しに来たのか。
「……野瀬さん? どうかした?」
「ちょっと、私もお手洗いにね。それより、平賀くん」
「うん?」
野瀬さんは、きょろきょろと周囲を見渡す。彼女の視線には、隣に並ぶ一組の男女の姿ではなく——壁にもたれかかる、一人の男子高校生の姿だけが映し出されているだろう
「今、誰かと話してなかった?」
彼女の目には、僕の姿しか映っていない。本当に、他に誰もいなかったかのように……いないかのように、彼女は振る舞っている。
——僕だけに見える彼女。僕だけに見える理子ちゃん。視線だけを理子ちゃんの方へ向けると、彼女は困ったように、引き攣った笑いだけを口元に浮かべていた。
「……ううん。僕一人だよ。家族から電話があってね」
大袈裟に手を振って、話を誤魔化す。野瀬さんはそれで納得したのか、『先に戻るね』と言って図書室へと帰っていった。
その場に残された僕は、僕にしか見えない……視えなくなってしまった理子ちゃんのフォローをしながら、早歩きで図書館へと戻った。




