ぶつかりおじさんを異世界に飛ばすだけの簡単なお仕事です。
「来た、あいつだ」
カオルは混雑する駅の構内で、ターゲットを見つけた。ヨレヨレのスーツにくたびれた革靴。陰鬱な表情の、冴えない小太りの中年男。
「職場でも家庭でもパッとせず、その鬱屈を弱者にぶつける典型的なぶつかりおじさん」
中年男は濁った目で行きかう通勤客を見つめている。男の足取りが速くなった。まっすぐに向かっていくのは、小柄な女性。
「こいつらはいつもそう。自分より強そうな男には絶対に近づかない」
文句を言わなさそうな、おとなしそうで華奢な女を狙う卑怯なヤツら。
「許さない」
女性はまっとうに歩いている。人の流れに逆らわず、ただ真面目に生きているだけ。急に現れた中年男に驚いて、よけようとするも、よけきれない。
どうして、なぜ? 地道に暮らしていただけなのに? なんでこんなことをされなければいけないの?
女性の頭の中に、疑問と怨嗟が走馬灯のように駆け巡る。
「はい、いってよしー」
カオルは男と女性の間に入った。男のぶつかる勢いを跳ね返し、遠くに飛ばす。遠くへ、遠くへ、どこまでも遠くへ。時空も次元も世界線も超えて。
「あれ?」
女性はしばし呆然としていたけれど、後ろからやってくる流れに促され、代わり映えのない日常に戻る。
「寝ぼけてたのかも」
今日は花金。仕事は適当にやり過ごして、定時になったらすぐにダッシュして、スーパーでお惣菜とポテチと軽めのお酒を買って、アニメを見よう。
淡々と平凡で、でもちょっとした喜びのある暮らし。慎ましやかでかけがえのない日々。
「あたしは奪われちゃったけどさ。あなたの日常を守れてよかったよ」
カオルはふよふよと浮遊しながら、昔の自分のようなその人に、そっとエールを送った。
***
一方、田中は飛んでいた。カバンを必死に抱え、薄くなったところを必死に取り繕っていた髪が乱れるのを片手で押さえる。
「あばばばばば」
口を開けると風で窒息しそうになる。目を開けると目が乾いて痛い。目も口もギュッと閉じる。
随分飛んだ後、ダーンとどこかに着地した。
「あ、いててて」
「勇者さま」
「えっ?」
目を開けると、パチンコ屋のネオンみたいにカラフルな人々。ファンタジー映画のキャラクターみたいな人たちが、ざっと跪く。
「勇者さま、我らの召喚にお答えいただき、誠にありがとうございます」
「き、きた」
俺の人生、一発大逆転。異世界転移、きたこれ。よしよしよーし。
長かった。ここまでくるのに紆余曲折、半世紀ぐらい。つまんねえ仕事。家族からはATM扱い。熟年離婚まったなし。ひとりぼっちの老後。
俺の人生オワタと思ってたけど。
うさばらしは、駅で通りすがる地味な女にぶつけてたけど。マジかい。
ハーレムか。ついに、ハーレムか。デュフフフ。
「デュフフフさま、とお呼びすればよろしいでしょうか?」
「へ? あ、いや、田中です。タナカと呼んでください」
「勇者タナカさま。どうぞこちらに」
カラフルファンタジーイケメンたちが、丁重に案内してくれる。きっとこれから、あられもない恰好をした女たちと共に旅に出るんだな。魔王をちょちょいと倒してからは、王宮でかしずかれて、夢のハーレム暮らしだな。デュフフフ。
「勇者タナカさま、こちらです。よろしくお願いいたします」
「お? おお。ええっ」
いつの間にか、崖のふちに立たされていた。下を見ても底が見えない。前方には巨大な壁がそそり立っている。状況がつかめずにキョロキョロしていると、ファンタジーたちが俺の腰にロープを巻き始めた。
「え、どういうこと?」
「いえね、こちらの壁の奥に聖なる湧水があるらしいのですよ。ところが我らがいくら叩いても、この壁はびくともいたしません」
「はあ」
「神託がございました。異世界から来た勇者なら壁を壊せると。なんでも、ぶつかりおじさんという、特殊なスキルを持つ勇者さまだそうで」
「ひっ」
イヤな予感? どいうこと? ねえ、どういうこと?
腰にどっしりとした物が当てられる。後ろを見ると大きな木の棒だ。木の棒の先にくくりつけられ、ギューンと上に持ち上げられる。木の棒と共にユラユラと動き始める。下を見ると、ファンタジーたちが木の棒から垂れ下がるロープを持っている。
「はいっ」
ファンタジーたちが掛け声とともに、ロープを引っ張る。木の棒が後ろに引かれ、田中と共に壁へと向かう。
「ギャー」
壁にぶつけられ、後ろに引かれ、またぶつけられ。いつまでも田中の悲鳴が続いた。
***
「除夜の鐘、はたまた餅つきのモチ。ざまあ。ああ、ざまあ」
カオルはあちらの世界をパソコンの画面越しに見ながら、ひとり祝杯を挙げた。
「不死身の肉体になってるから、いつまでもモチになれるんだよね。いつまでやってもらおっかなあ」
カオルを死の淵においやったぶつかりおじさんには、異世界でスタンピード対応をやってもらっている。今でもずっとだ。集団パニックで止まらなくなった魔物の群れの中に落とし、突きまくられ、魔物を鎮めるという、青い衣をまとう勇者役をやってもらっている。
まだ許してないので、ずっとやってもらっている。ざまあ、ああざまあ、である。
「まあ、田中は人を死においやってまではないからなあ。除夜の鐘にちなんで、108日ぐらいしたらこっちに戻してやるか」
どうでもいいから、忘れそう。カレンダーの108日目に丸印をつけ、田中と書いておく。我ながら、律儀でいいヤツである。
***
ぶつかりおじさんを飛ばすだけの簡単なお仕事をやっていたら、新しい仕事が増えた。神さまは忙しくて、殺伐とした日本にまで手が回らないらしい。
ぶつかられて階段から落ちて死んでしまったとき、神さまに異世界で悪役令嬢かヒドインかモブになるかいって聞かれたんだけど、ざまあしてからじゃないと気がすまないから、ぶつかりおじさん飛ばしをやってる。そしたら、有能だって認められちゃって。
「ワシでは到底思いつかない、斬新な天罰。いいね」って褒められちゃった。
「褒められおだてられ、木にも登るってもんですな」ニヤニヤしながら、新しい仕事現場に向かう。
混雑しまくった駅から電車に乗った。実体はあるんだかないんだか、微妙な体になっているカオル。ギュウギュウの車内をのらりくらりふらりと移動し、目当てのターゲットを見つけた。
どこにでもいそうなサラリーマン。特徴のないスーツ。のっぺりとした顔。毎日同じ車内にいても、覚えられないかもしれない。
無表情な男の小鼻が少し膨らんだ。つり革を握る左手が微妙に動く。下げたままの右手は、女子高生のスカートに侵入しようとしている。
「はい、処刑」
右手だけつかんで、なじみの異世界につっこむ。よく育って丸々と太ったピラニアがいきいきと、ビチビチと跋扈する池に、ヤツの右手だけを入れてやる。
「ギ」
「はい、黙れ」
男の口の中に木綿豆腐をみっちりと詰め込む。もだえる男は周囲の通勤客に白い目で見られ、軽く肘うちを入れられている。
カオルは女子高生をさりげなく遠ざけ、ピラニアたちの喜びのダンスを楽しんだ。
電車が駅に着き、プシューッと扉が開く。カオルは男の手を現世に戻し、男の口腔内の豆腐を異世界のピラニア池にまいてやる。
「ギャー」
男は叫びながらホームに倒れ込んだ。周りの通勤客がさっとよける。女子高生たちがキモイものと対峙するとき特有のさげすみ口調でヒソヒソする。
「やばっ」
「きもっ」
「あ、こいつ、この前アタシを痴漢したヤツじゃん。この絶妙にダサいネクタイ、覚えてる」
「マジ? 踏んじゃえ」
「うん。えいっ」
女子高生に次々と踏まれながら、男はホームを転がりまわった。
「ざまあ」
「ばーか」
女子高生たちがせせら笑いながら去って行く。
「こんなもんでいっかなー。おい、お前。次やったらお前の大事なところをピラニアに与えるからな」
男の耳元でささやく。男の手は無傷の状態で元に戻してやったけど、痛みは残している。一か月ぐらいは激痛が続くだろう。
「ざまあ」言い残して、ふんわふんわと消えていく。
***
ぶつかりおじさんを異世界に飛ばしたり、痴漢の手やレイプ魔の大事なところをピラニアに与えたり、忙しい日々を送っていると、またまた神さまから新しい仕事をもらった。
「先進国なのに女性の政治家比率が低いにっぽんこくでは、女性や子どもが被害にあってもろくに守られないらしいね。ちゃんとした法律ができるまで、代わりになんとかいい感じでやっちゃってー」そんな気軽なノリで神さまに丸投げされてしまった。
「まあねえ、痴漢にあったら、そんな服着てるからだとか、なぜか被害者が責められるにっぽんこくですからね」
それでも、ピラニアの刑が徐々に口コミで広がってきて、痴漢はちょっぴり減ってきている昨今である。
「次に処したいのは、あいつらかなあ」
カオルは作戦に協力してくれる魔物を探しに行った。
***
森川はスマホ画面をスクロールしながら、笑いを止められない。
「やば、神だってさ。神」
グループチャットに写真や動画を投稿すると、褒め称えられる。大人になったら、褒められることなんてほとんどなくなる。趣味嗜好の合う仲間から崇められると、承認欲求が満たされ、自己肯定感がブチ上がる。
「こんな役得がなきゃ、小学校の教師なんて、やってらんねえよな」
安月給なのに、拘束時間は長く、モンスターペアレンツの対応までしなければならない。
森川も、一般企業に転職しようと思っていた。このグループチャットに入るまでは。
「さーて、今日も忙しくなるぞー」
買い揃えた小道具をカバンに入れ、学校に向かう。朝早い学校はひと気がなく、がらんとしている。
「まずはトイレ」
手早く小型カメラをしかけ、次の場所に向かう。
「来週にはプール開きするから、バッチリだな」
更衣室のコンセントにカメラをセットする。
「カメラはバッテリーの問題がついて回るからな。こういう、コンセント型が最強」
授業中にこっそりスマホで撮影した動画。美幼女の顔とスカートの中がうまく撮れたら、仲間から絶賛された。次は、もっと。もっとすごいのを。
カメラを色んなところに仕込んで、職員室に入る。パソコンを立ち上げていると、ピコンとスマホから通知音がした。
「お、おおっ」
リーダー格の仲間から、「お宝動画、おすそわけー」とメッセージ。動画をクリックすると、あどけない少女の笑顔。
「アイドルみたいじゃん」
うちの学校で一番の子より、格がだんち。
「やっば」
誰もいないのを確認し、ズボンのベルトをはずす。手を入れて、机の下で取り出す。これなら、万一誰かが入ってきても、バレない。
「あれ、なんかいつもより」
太い? おかしいな。手の中を見ると、目が合った。にたりと笑う、巨大なウジ虫のようなそれ。
「ギ、ギアーーーー」
信じられない光景に、立ち上がる。それを体から振り落とそうとゆするが、それはまるで元からそこにいましたけど、みたいな顔で居座っている。
「森川先生、いったい、なにを」
教頭先生だ。ドン引きしてる。それはそうだ、朝っぱらから職員室で露出狂みたいなことをしているなんて。慌てて、豹変したそれをズボンの中にしまう。そのとき、それは元のアレに戻っていた。
「森川先生、あなた、もしかして」
教頭先生が、机の上に置かれたスマホを凝視している。流れているのは、美幼女の動画。
「いえ、これには、訳が」
「ゆっくり聞かせていただきましょうか。校長先生とお話を聞きます。その上で、警察に連絡します」
「いや、そんな」
「これをどこに仕掛けたのか、警察に調べてもらわないといけませんからね」
教頭先生がカバンの中からはみ出している小型カメラの空箱を指した。し、しまったー。
***
「証拠があれば警察も動いてくれるからね。ざまあ」
あー気持ち悪かった。性犯罪者とロリペドには、GPSと爆破機能つきの首輪をしてほしいものだ。
「成長したらモスラっぽくなる幼虫君たち、ノリノリだったな」
にっぽんこくにはまだまだいっぱい、変態がいるから、たくさん活躍してもらわなくては。
「にっぽんこくが平和になったら、あたしも異世界でスローライフ~」
それまでは、もうちょっとがんばってしまおう。
カオルの変態成敗お仕事はまだまだ続くのであった。
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