ぶつかりおじさんを異世界に飛ばすだけの簡単なお仕事です。【エピソード②追加】
「来た、あいつだ」
カオルは混雑する駅の構内で、ターゲットを見つけた。ヨレヨレのスーツにくたびれた革靴。陰鬱な表情の、冴えない小太りの中年男。
「職場でも家庭でもパッとせず、その鬱屈を弱者にぶつける典型的なぶつかりおじさん」
中年男は濁った目で行きかう通勤客を見つめている。男の足取りが速くなった。まっすぐに向かっていくのは、小柄な女性。
「こいつらはいつもそう。自分より強そうな男には絶対に近づかない」
文句を言わなさそうな、おとなしそうで華奢な女を狙う卑怯なヤツら。
「許さない」
女性はまっとうに歩いている。人の流れに逆らわず、ただ真面目に生きているだけ。急に現れた中年男に驚いて、よけようとするも、よけきれない。
どうして、なぜ? 地道に暮らしていただけなのに? なんでこんなことをされなければいけないの?
女性の頭の中に、疑問と怨嗟が走馬灯のように駆け巡る。
「はい、いってよしー」
カオルは男と女性の間に入った。男のぶつかる勢いを跳ね返し、遠くに飛ばす。遠くへ、遠くへ、どこまでも遠くへ。時空も次元も世界線も超えて。
「あれ?」
女性はしばし呆然としていたけれど、後ろからやってくる流れに促され、代わり映えのない日常に戻る。
「寝ぼけてたのかも」
今日は花金。仕事は適当にやり過ごして、定時になったらすぐにダッシュして、スーパーでお惣菜とポテチと軽めのお酒を買って、アニメを見よう。
淡々と平凡で、でもちょっとした喜びのある暮らし。慎ましやかでかけがえのない日々。
「あたしは奪われちゃったけどさ。あなたの日常を守れてよかったよ」
カオルはふよふよと浮遊しながら、昔の自分のようなその人に、そっとエールを送った。
***
一方、田中は飛んでいた。カバンを必死に抱え、薄くなったところを必死に取り繕っていた髪が乱れるのを片手で押さえる。
「あばばばばば」
口を開けると風で窒息しそうになる。目を開けると目が乾いて痛い。目も口もギュッと閉じる。
随分飛んだ後、ダーンとどこかに着地した。
「あ、いててて」
「勇者さま」
「えっ?」
目を開けると、パチンコ屋のネオンみたいにカラフルな人々。ファンタジー映画のキャラクターみたいな人たちが、ざっと跪く。
「勇者さま、我らの召喚にお答えいただき、誠にありがとうございます」
「き、きた」
俺の人生、一発大逆転。異世界転移、きたこれ。よしよしよーし。
長かった。ここまでくるのに紆余曲折、半世紀ぐらい。つまんねえ仕事。家族からはATM扱い。熟年離婚まったなし。ひとりぼっちの老後。
俺の人生オワタと思ってたけど。
うさばらしは、駅で通りすがる地味な女にぶつけてたけど。マジかい。
ハーレムか。ついに、ハーレムか。デュフフフ。
「デュフフフさま、とお呼びすればよろしいでしょうか?」
「へ? あ、いや、田中です。タナカと呼んでください」
「勇者タナカさま。どうぞこちらに」
カラフルファンタジーイケメンたちが、丁重に案内してくれる。きっとこれから、あられもない恰好をした女たちと共に旅に出るんだな。魔王をちょちょいと倒してからは、王宮でかしずかれて、夢のハーレム暮らしだな。デュフフフ。
「勇者タナカさま、こちらです。よろしくお願いいたします」
「お? おお。ええっ」
いつの間にか、崖のふちに立たされていた。下を見ても底が見えない。前方には巨大な壁がそそり立っている。状況がつかめずにキョロキョロしていると、ファンタジーたちが俺の腰にロープを巻き始めた。
「え、どういうこと?」
「いえね、こちらの壁の奥に聖なる湧水があるらしいのですよ。ところが我らがいくら叩いても、この壁はびくともいたしません」
「はあ」
「神託がございました。異世界から来た勇者なら壁を壊せると。なんでも、ぶつかりおじさんという、特殊なスキルを持つ勇者さまだそうで」
「ひっ」
イヤな予感? どいうこと? ねえ、どういうこと?
腰にどっしりとした物が当てられる。後ろを見ると大きな木の棒だ。木の棒の先にくくりつけられ、ギューンと上に持ち上げられる。木の棒と共にユラユラと動き始める。下を見ると、ファンタジーたちが木の棒から垂れ下がるロープを持っている。
「はいっ」
ファンタジーたちが掛け声とともに、ロープを引っ張る。木の棒が後ろに引かれ、田中と共に壁へと向かう。
「ギャー」
壁にぶつけられ、後ろに引かれ、またぶつけられ。いつまでも田中の悲鳴が続いた。
***
「除夜の鐘、はたまた餅つきのモチ。ざまあ。ああ、ざまあ」
カオルはあちらの世界をパソコンの画面越しに見ながら、ひとり祝杯を挙げた。
「不死身の肉体になってるから、いつまでもモチになれるんだよね。いつまでやってもらおっかなあ」
カオルを死の淵においやったぶつかりおじさんには、異世界でスタンピード対応をやってもらっている。今でもずっとだ。集団パニックで止まらなくなった魔物の群れの中に落とし、突きまくられ、魔物を鎮めるという、青い衣をまとう勇者役をやってもらっている。
まだ許してないので、ずっとやってもらっている。ざまあ、ああざまあ、である。
「まあ、田中は人を死においやってまではないからなあ。除夜の鐘にちなんで、108日ぐらいしたらこっちに戻してやるか」
どうでもいいから、忘れそう。カレンダーの108日目に丸印をつけ、田中と書いておく。我ながら、律儀でいいヤツである。
***
ぶつかりおじさんを飛ばすだけの簡単なお仕事をやっていたら、新しい仕事が増えた。神さまは忙しくて、殺伐とした日本にまで手が回らないらしい。
ぶつかられて階段から落ちて死んでしまったとき、神さまに異世界で悪役令嬢かヒドインかモブになるかいって聞かれたんだけど、ざまあしてからじゃないと気がすまないから、ぶつかりおじさん飛ばしをやってる。そしたら、有能だって認められちゃって。
「ワシでは到底思いつかない、斬新な天罰。いいね」って褒められちゃった。
「褒められおだてられ、木にも登るってもんですな」ニヤニヤしながら、新しい仕事現場に向かう。
混雑しまくった駅から電車に乗った。実体はあるんだかないんだか、微妙な体になっているカオル。ギュウギュウの車内をのらりくらりふらりと移動し、目当てのターゲットを見つけた。
どこにでもいそうなサラリーマン。特徴のないスーツ。のっぺりとした顔。毎日同じ車内にいても、覚えられないかもしれない。
無表情な男の小鼻が少し膨らんだ。つり革を握る左手が微妙に動く。下げたままの右手は、女子高生のスカートに侵入しようとしている。
「はい、処刑」
右手だけつかんで、なじみの異世界につっこむ。よく育って丸々と太ったピラニアがいきいきと、ビチビチと跋扈する池に、ヤツの右手だけを入れてやる。
「ギ」
「はい、黙れ」
男の口の中に木綿豆腐をみっちりと詰め込む。もだえる男は周囲の通勤客に白い目で見られ、軽く肘うちを入れられている。
カオルは女子高生をさりげなく遠ざけ、ピラニアたちの喜びのダンスを楽しんだ。
電車が駅に着き、プシューッと扉が開く。カオルは男の手を現世に戻し、男の口腔内の豆腐を異世界のピラニア池にまいてやる。
「ギャー」
男は叫びながらホームに倒れ込んだ。周りの通勤客がさっとよける。女子高生たちがキモイものと対峙するとき特有のさげすみ口調でヒソヒソする。
「やばっ」
「きもっ」
「あ、こいつ、この前アタシを痴漢したヤツじゃん。この絶妙にダサいネクタイ、覚えてる」
「マジ? 踏んじゃえ」
「うん。えいっ」
女子高生に次々と踏まれながら、男はホームを転がりまわった。
「ざまあ」
「ばーか」
女子高生たちがせせら笑いながら去って行く。
「こんなもんでいっかなー。おい、お前。次やったらお前の大事なところをピラニアに与えるからな」
男の耳元でささやく。男の手は無傷の状態で元に戻してやったけど、痛みは残している。一か月ぐらいは激痛が続くだろう。
「ざまあ」言い残して、ふんわふんわと消えていく。
***
ぶつかりおじさんを異世界に飛ばしたり、痴漢の手やレイプ魔の大事なところをピラニアに与えたり、忙しい日々を送っていると、またまた神さまから新しい仕事をもらった。
「先進国なのに女性の政治家比率が低いにっぽんこくでは、女性や子どもが被害にあってもろくに守られないらしいね。ちゃんとした法律ができるまで、代わりになんとかいい感じでやっちゃってー」そんな気軽なノリで神さまに丸投げされてしまった。
「まあねえ、痴漢にあったら、そんな服着てるからだとか、なぜか被害者が責められるにっぽんこくですからね」
それでも、ピラニアの刑が徐々に口コミで広がってきて、痴漢はちょっぴり減ってきている昨今である。
「次に処したいのは、あいつらかなあ」
カオルは作戦に協力してくれる魔物を探しに行った。
***
森川はスマホ画面をスクロールしながら、笑いを止められない。
「やば、神だってさ。神」
グループチャットに写真や動画を投稿すると、褒め称えられる。大人になったら、褒められることなんてほとんどなくなる。趣味嗜好の合う仲間から崇められると、承認欲求が満たされ、自己肯定感がブチ上がる。
「こんな役得がなきゃ、小学校の教師なんて、やってらんねえよな」
安月給なのに、拘束時間は長く、モンスターペアレンツの対応までしなければならない。
森川も、一般企業に転職しようと思っていた。このグループチャットに入るまでは。
「さーて、今日も忙しくなるぞー」
買い揃えた小道具をカバンに入れ、学校に向かう。朝早い学校はひと気がなく、がらんとしている。
「まずはトイレ」
手早く小型カメラをしかけ、次の場所に向かう。
「来週にはプール開きするから、バッチリだな」
更衣室のコンセントにカメラをセットする。
「カメラはバッテリーの問題がついて回るからな。こういう、コンセント型が最強」
授業中にこっそりスマホで撮影した動画。美幼女の顔とスカートの中がうまく撮れたら、仲間から絶賛された。次は、もっと。もっとすごいのを。
カメラを色んなところに仕込んで、職員室に入る。パソコンを立ち上げていると、ピコンとスマホから通知音がした。
「お、おおっ」
リーダー格の仲間から、「お宝動画、おすそわけー」とメッセージ。動画をクリックすると、あどけない少女の笑顔。
「アイドルみたいじゃん」
うちの学校で一番の子より、格がだんち。
「やっば」
誰もいないのを確認し、ズボンのベルトをはずす。手を入れて、机の下で取り出す。これなら、万一誰かが入ってきても、バレない。
「あれ、なんかいつもより」
太い? おかしいな。手の中を見ると、目が合った。にたりと笑う、巨大なウジ虫のようなそれ。
「ギ、ギアーーーー」
信じられない光景に、立ち上がる。それを体から振り落とそうとゆするが、それはまるで元からそこにいましたけど、みたいな顔で居座っている。
「森川先生、いったい、なにを」
教頭先生だ。ドン引きしてる。それはそうだ、朝っぱらから職員室で露出狂みたいなことをしているなんて。慌てて、豹変したそれをズボンの中にしまう。そのとき、それは元のアレに戻っていた。
「森川先生、あなた、もしかして」
教頭先生が、机の上に置かれたスマホを凝視している。流れているのは、美幼女の動画。
「いえ、これには、訳が」
「ゆっくり聞かせていただきましょうか。校長先生とお話を聞きます。その上で、警察に連絡します」
「いや、そんな」
「これをどこに仕掛けたのか、警察に調べてもらわないといけませんからね」
教頭先生がカバンの中からはみ出している小型カメラの空箱を指した。し、しまったー。
***
「証拠があれば警察も動いてくれるからね。ざまあ」
あー気持ち悪かった。性犯罪者とロリペドには、GPSと爆破機能つきの首輪をしてほしいものだ。
「成長したらモスラっぽくなる幼虫君たち、ノリノリだったな」
にっぽんこくにはまだまだいっぱい、変態がいるから、たくさん活躍してもらわなくては。
「にっぽんこくが平和になったら、あたしも異世界でスローライフ~」
それまでは、もうちょっとがんばってしまおう。
カオルの変態成敗お仕事はまだまだ続くのであった。
★★★
のんびりしてたら、神さまがやってきた。この神さま、真っ白の髪とヒゲ、白いワンピースみたいな服を着てる。髪とヒゲでほとんど顔が見えないんだ。どこぞのガンダルフみたい。
「リクエストが来た」
「リクエストが来た? なんのこと?」
「ユーザーネームSさんから。『どうせなら理不尽ヒステリーオバサン(いやたまに若くてもいるけど…)とか迷惑なんとかチューバーみたいのも連れてってくれないかなあなどw』だって」
「え、なになに? ユーザーネームってどういうこと?」
言ってる意味が分からないんだけど??
「いやあの、ほら。にっぽんこく、みんな疲れてストレスマックスだから。こっそり夢の中で配信してみた。スカッとしてストレス発散、ね。あ、もちろん、人物の顔にはちゃんとボカしを入れてる。カオルの顔もボカした」
神さま、バツが悪いのをごまかすみたいに、ヒュッヒューイと口笛吹いて遠くを見てる。なんだ、なんなんだ、この神さまは。
「あのさー、にっぽんこくの人たちが疲れてストレスマックスなのは、失われた30年が40年に突き進みそうで、他の先進国に比べて給料が全然上がらなくて、そのくせ税金は破竹の勢いで上がって、手取りがガンガン減って、それなのに世襲議員たちは庶民の現実が分かってなくて、外国にばっかり血税を気前よくばらまいて、国民をないがしろにしてるからでしょうが。動画見せてガス抜きするより、政府をなんとかしてよ、神さまでしょー」
カオルがまくしたてると、神さまはちょっと後ずさりした。
「あと、暑い。猛暑とおりこして、酷暑。なんとかして、なんとかしてよー、神さまでしょーーー」
うわーんと泣きつくと、神さまが「困ったな」とつぶやきながら体を左右にゆする。困ったな、じゃねー。
「ワシ、異世界の神さまだから、にっぽんこくとか、星単位の異常気象はちょっと管轄外というか」
「キー」
「ご褒美、なにかご褒美あげるから。がんばって」
「モフモフを所望します。あ、でもモフモフのお世話したことないんだった。やっぱ、いい」
「お世話は異世界のそういうの上手な人にやってもらえばいい。話つけとくから、ね。よろしくね」
神さまは、スタコラと逃げて行った。そして、猫と犬が大量にきた。モフモフに埋もれた。生まれて初めて、いや、違った、死んで初めて心から幸せを感じた。
「もー、しょうがないなー。仕事がまた増えたよ」
モフモフに包まれながら、パソコンを立ち上げる。死んでからも、元々住んでたマンションの一室にそのまま住ませてもらっているんだ。家賃とか、なんやかんやは、神さまがよしなにやってくれているらしい。
「えーっと、理不尽ヒステリーおばさんだって? ヒステリーおばさんか、それってどんなだろう」
働いていた会社にすっごいお局はいたなあ。自分がルール、自分のミスはテヘペロ、他の人のミスは鬼の首を取ったように上に言いつけ。新入社員、特にかわいい女子はいじめてたな。若いイケメンにはぶりっ子してたっけ。
「ああいうのかな?」
神さまから送られてきた動画を見ると、それどころではなかった。
「ヤベーやつじゃん」
★★★
三上は今日も絶好調。「私は正義、世の中をよくするために、今日もバリバリやるわよー」と、ヒールの音を軽快に響かせながら、タワマンの廊下を闊歩している。
エレベーターに乗ると誰もいない。
「すがすがしいわね。これだから、タワマンは上階に限るわ」
何度か下の階で扉が開くが、誰も乗り込んで来ない。扉が開くと、待っていた人は携帯を取り出し、「はい、もしもしー」と話し出す。
「朝からせわしないこと」
閉ボタンを連打する。三上は効率の悪いことが嫌いだ。イライラする。
「人生はテンポよく、小気味よく。そうでなくては」
もうすぐで一階というところで、また扉が開いた。ベビーカーを押した平凡な女性。女性は、ハッと慌てふためき、カバンから携帯を取り出し、取り落とす。
なんてどんくさいの。はあー、深いため息が漏れる。
開ボタンを押したまま無言で見つめると、女性はオロオロしながらベビーカーを押して入ってくる。
閉ボタンを強く押しながら、チラリと見ると、三歳ぐらいの男の子と目が合った。
「まあ、僕。おいくつかしら? 三歳ぐらい?」
「あ、はい」
母親がオドオドしながら答える。やっぱり、私の目に狂いはなかったわ。三人もの子どもを育て上げた私ですもの、子どもの年齢を当てるなど造作もないこと。
気分よく三歳児を見下ろす。あら、いやだ、この子ったら。
「僕、三歳になってもまだ指しゃぶりが止められないの? 出っ歯になるわよ」
くわっと前歯をむき出して将来像を見せてやる。男の子は目を丸くして泣き始めた。
「軟弱な。しつけがなってないわ。まったく、今どきの母親は」
つぶやくと、「す、すみません」と母親が消え入りそうな声で謝る。
「三歳なら、もうベビーカーは必要ないでしょう。歩かないと背が高くならないわよ」
ふたことみこと、子育ての助言をしてあげる。母親は感じ入ったように、「はい、はい」と頷いている。
ああ、今日も人助けをできたわ。晴れやかな気持ちでエレベーターを降り、真っ赤なスポーツカーに乗り込む。情熱の赤。私にピッタリね。
年をとっても、運転の技術は衰えない。ちんたら走る軽自動車たちを叱咤激励しながら、流れに乗って走るとはこうやるのよと見せつける。どん速たちが車線を変えていく。
「もう、どへたくそね、この軽」
まったく、安くてとろ臭い車に乗るなら、空気を読んで車線を変えなさいよ。これだから、貧乏人はイヤよ。
ヘッドライトのハイビームを短く点滅させて、おどきなさいと婉曲に伝える。それでも、頑として車線を譲らない貧乏車。
「パッシングされても無視するなんて、図々しい」
私がいくら税金を支払っているか、知らないのかしら。あなたたちの数倍は軽くいくはずよ。道路は高額納税者が優先されてしかるべき。限界ギリギリまで車間距離を詰める。
「へたくそー」
叫んだら少しだけスッキリした。
「無能ーー、貧乏人ーー」
貧乏人とバックミラー越しに目が合った。あら、聞こえたのかしら。
前の車が急ブレーキをかける。慌ててブレーキを思いっきり踏み込む。衝撃とともに、体が前に投げ出される。
咄嗟に目をつぶる。耳元で風がゴウゴウと音を立てる。クルクルと体が回転し、投げ出された。
「罪状──」
高らかな声が聞こえて、目を開けると、砂ぼこりが目に入った。目を細めながら辺りを見回す。なに? ここはどこ? 茶色の砂、砂漠? いいえ、違う。周りに建物がある。
「ひとーつ、母親たちへのモラハラ。いくにんもの母親たちを病ませた。ふたーつ、スーパーでのカスハラ。店員の接客態度をネチネチとあら探し、多数の店員を辞職に追い込んだ」
なに、なにが起こっているの? あれは誰? 目をこらしても、発言している人の顔は逆光で見えない。周囲から歓声がわいた。いつの間にか、たくさんの人がこちらを見下ろしている。ぐるりと、囲むように。円形競技場みたいだわ。イタリアのコロッセオにそっくり。
「みーっつ、あおり運転の常習犯。よーっつ」
次々と罪状が読み上げられる。なに? ひょっとして、私のことを言っているのかしら? あおり運転なんて、あんなのがまさか。そこまでではないでしょう。ふざけないで。
モラハラ? カスハラ? バカをおっしゃい。私は正しいことを言っているだけ。世のため人のため。
「それでは、紳士淑女の皆さん、三上のチャリオットレース、ご堪能あれー」
気がついたときには、むきだしの馬車に乗せられていた。巨大な馬が二頭、猛スピードで走り出す。手綱を持って、立っているだけで精一杯。
「誰かー、助けてー。止めてー」
「さあ、魔牛の登場です。三上、逃げ切れるかー」
「魔牛?」
後ろから聞いたことのない地鳴りのような音が響く。チラッと振り返ると、真っ黒な体躯に不気味に赤く光る目の、バッファローのような獣たち。
「キャー、イヤー」
「さあ、紳士淑女の皆さん、トマトの時間ですぞー」
「うおぉぉぉぉぉぉ」
地面が揺れるほどの歓声と共に、何かが飛んでくる。
「いたっ、なに? やめてー」
三上は泣き崩れた。
「ごめんなさい。許してください。助けてーーー」
★★★
チャリオットレースでトマトまみれになり、息も絶え絶えの三上を現世に戻し、トマトを洗い流し、ドラレコの映像と共に警察に届けてきた。
「これでこりてくれればいいけど」
まあ、こりなければ、またチャリオットレースを開催すればいいだけだし。
「モフモフー」
モフモフたちを存分にかわいがる。たまに異世界の原っぱに連れていって駆け回らせたり、王城に行って気の利く優しいお姉さんたちにモフたちをお世話してもらったり。
カオルの毎日は充実している。
★★★
ジョージは有頂天だ。
「見よ、この再生回数を。ヒャッハー」
不思議の国にっぽんでの俺の雄姿が、フィーバーだぜー。
「伏見稲荷の鳥居で懸垂とうんていした動画が万バズー」
電車のつり革でオリンピックばりの技を見せたら、乗客たちがざわめいていたなあ。フハハハハ。
舞妓さんたちにハグも、視聴者から好評だった。次は舞妓さんを姫抱っこしてみるか。絶対にうらやましがられる。
「舞妓さんたち、やめてくださいって言ってたけど。にっぽんじんのあれは、イヤよイヤよも好きのうちらしいから、問題なし」
「おい、お前。パスポート没収。二度とにっぽんこくに来るな」
突然誰かに肩を叩かれ、女性にパスポートを取り上げられた。
「え?」
「母国に返してやる。パスポートは二度と取れないから、一生母国にいろ」
気が付いたら、母国の空港にいた。どういうこと?
「はい、次の人」
後ろの人から押されて、よろめきながら前に進むと、入国審査の男がじれったそうに「パスポート」と言う。
「パスポートはありません」
「パスポートがない? 身分証明書は?」
「なにもありません」
パスポートも、スーツケースも、スマホも、財布もない。なんにもない。
え、やばくね。マジでやばくね? どうなんの、俺、これからどうなんの?
映画「ターミナル」みたいに空港で暮らす? それとも、最近たてられたアリゲーターだらけの移民収容施設とかに入れられちゃうわけ?
オーマイガー、神さま、助けてー。
★★★
「ジョージが神さま、助けてーって言ってるよ」
「いや、知らんし。ワシ、ジョージの神さまじゃないし」
「そだね」
にっぽんこくに入ってはにっぽんこくのルールに従え、ですよ。マジで。
あとのことは、母国の法律と税金で対処してくださーい。マジで。
◎◎◎
神さまが、神妙な顔でやってきた。
「リクエストまた来たよ」
「リクエスト、また来ちゃった? めっちゃ人気じゃん、夢配信」
「ユーザーネームHさん。『政治家達に困窮する生活を強いられる夢を見せたら何か変わるでしょうかね。。。』だって」
「やってみる? やってみちゃう?」
やってみちゃうことになった。さあ、いってみよー。
◎◎◎
珍民党の小池は分刻みのスケジュールで動いている。顔よし家柄よし嫁美人と三拍子そろっている。さらに、珍妙なおもしろ構文がさすが珍民党のホープと一部界隈でもてはやされている。次の総理に最も近い若手と評判だ。色んな大臣も任され、奇想天外な法案を押し通し、国民からの毀誉褒貶は北極と南極ほど両極端である。どっちにしても寒いのには変わりはないのだが。
「小池大臣、次の面会まで車で30分ぐらいです」
「わかった。では、仮眠する」
いつでもどこでも寝れること。政治家に重要な資質だ。根が素直で育ちのよい小池。どこでだって瞬時に寝れる。うっかり国会でもその特技を披露しかけ、隣の議員に足を踏まれることが日常茶飯事なのは、公然の秘密だ。
車の後部座席に深く腰掛けた。腕組みをする、目をつぶる、夢の世界に入った。
「スンおじいちゃん、起きて」
「うん? ああ、マキちゃん。おじいちゃんに会いに来てくれたのかい」
「お母さんに言われたの。今日こそスンおじいちゃんに安楽死ボタン押してもらわなきゃいけないんだって」
「安楽死ボタン?」
「そうだよ。スンおじいちゃん、もうすぐ65歳でしょう。65歳までに安楽死ボタン押さないと、強制廃棄になっちゃうんだって。腐海に落とされて虫に食べられるの、イヤでしょう?」
ああ、そうだった。にっぽんこくは、少子化が進み、老人を介護する人手も財源もなくなり、60歳から65歳までに安楽死しなければならなくなったんだったな。あの法案を通したのは、僕だったではないか。
僕は国会での演説を思い出す。
「失われた50年。それは珍民党が与党であった歴史でもあります。だからこそ、珍民党は失われた50年だと言えるでしょう」
「意味が分かんねえぞー」
「構文にもなってないぞー」
弱々しいヤジが飛ぶ。議員たちは全員老人だ。
「にっぽんこくは滅亡の危機に瀕しています。だからこそ、珍民党は滅亡の危機に瀕していると言えます」
「ちょっと構文ぽくなってきたぞー」
「構文力が危機に瀕してるぞー」
老人たちは一度ヤジると、激しくせき込む。文字通り命からがらである。
「にっぽんこくがこうなったのは、我々老人の責任です。だからこそ、我々老人は率先して責任を取らなければならない」
「はあ?」
「今あいつ、なんつった?」
国会がざわつく。
「珍民党の大半は老人です。まず珍民党から逝きましょう」
「なにバカ言ってんだ」
「ピーってんのか、ピーピーピー」
AIが禁止用語を自動的にピーする。
僕の演説は、若者から圧倒的な支持を得た。あれよあれよという間に、制度ができた。
装置に入ってボタンを押せば窒素ガスが充満し、痛みもなく簡単に逝ける。ボタンを押す。走馬灯が流れる。色んな分岐点、分水嶺、転換点を見る。ああ、僕は、僕たちは、珍民党は、間違い続けていたのか。遠のく意識の中、最後のあがきで祈った。
「神さま、もしやり直せるなら、全力で国民のために尽くすと誓います」
「いいよ」
声が聞こえた。頬を涙が伝うのを感じた。これは、覚悟の涙。
「──大臣。小池大臣。間もなく到着です」
「──そうか。やることが山積みだな」
「そうですね」
法案を通さなければならない。仲間を集めなければ。頬の涙を手の甲で拭った。
「世襲を禁止しましょう。議員は先代の地盤からは立候補できないこととしましょう」
「なに言ってんだ、ピーピーピー、お前だって二世議員じゃないか」
国会は荒れに荒れた。SNSは歓声に沸いた。
「国会議員の給与は、にっぽんこくの平均給与、厳密には平均手取りの2倍としましょう。そうすれば、議員の皆さんも必死で国民の手取りを増やす方法を考えますよね」
「よく言った」
「バカ言ってんじゃないよ。金持ちしか議員になれなくなるぞ」
「そうだそうだ」
暗殺予告が多々あり、実際に狙われもしたが、ネット民たちが全力で24時間全国の監視カメラをチェックし、有志たちがいつでもどこでも体を張って守ってくれた。
「議員になる前に、最低5年間の民間勤務を義務付けることにしましょう。最も過酷で人手不足が蔓延する介護、教育、農業、工場など、現場仕事も最低1年すること」
「もう、勘弁してくれよ」
「いいこと言ってるけどさー」
いいぞ、もっとやれ。国民は小池を後押しする。
「議員に定年制を導入します。民間と同じく、65歳定年です。民間が70歳定年になれば、議員もそれにならいます」
「え、ワシ70」
「え、ワシ80」
「グーグーグーzzz」
老人議員と世襲議員がいなくなり、改革スピードが上がる。にっぽんこくが、よくなってきている。
「あの未来には絶対にさせない」
小池は今日も朝から晩まで走り回っている。
◎◎◎
「やるじゃん」
「効果あったね」
カオルと神さまは手に手を取って喜びあう。ふたりの周りをモフモフたちが駆けまわった。
「あ、ちゃんと言っとかないと」
カオルはメモを取り出し、読み上げる。
「この物語はフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません」
カオルと神さまは、舞台役者のようにお辞儀をした。モフモフたちが真似しようとして、コロコロと転げる。
お読みいただきありがとうございます。
ポイントいいねブクマを入れていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。
リクエスト?をいただきましたので、エピソードを追記しました。
★★★から新エピソード①です。
◎◎◎から新エピソード②です。




