9.
黙々と食べていたリビーがぴたりと手を止めると、ジャックをじっと見つめて感心したように言った。
「ジャック様って、ものすごく面倒見が良いですよねぇ…」
「そうか?」
言いながら、ジャックはちょうど届いたジンジャーエールをリビーの前に置き、空いていたシードルのグラスとエールのジョッキを店員に手渡し、リビーを振り向いた。
「普通だろ?」
「いえ、絶対普通じゃないです。というか、本当に第一騎士団の騎士様ですか?」
合間にもぐもぐと肉を咀嚼しつつリビーがなんとも不思議そうな顔をした。リビーが自分で野菜のフリットを大皿から取ったのをちらりと見てジャックは安心したように笑った。
「そういう意味では、確かに普通じゃないな。ケネスは割と貴族寄りだが俺はどちらかと言えば平民寄りだからな」
「平民寄り、ですか?」
めをぱちくりとさせるリビーに頷くと、ジャックはエールをひとくち含んで言った。
「俺は四人兄弟の一番下なんだよ。ケネスは三人兄弟の真ん中だから万が一のために当主教育も受けてるし、性格的にもまぁ…第一っぽくはないがちゃんと貴族だ。俺は家を継ぐ可能性も無いから割と放置されててな。顔だけは良かったから婿に出される予定だったんだが、この性格だからな。婚約者にも顔だけで中身がないと捨てられた」
「は!?捨てられた!?」
ハリエットが食べていた手をぴたりと止めてジャックを凝視した。眉根にしわが寄っている。
「捨てられたって言ってもな。幼馴染で家同士の利害関係も無かったし、さっぱり気も合わなくてお互い好きになれなかったし。まぁなるようになったって感じなんだけどな」
「だからって、中身が無いとか意味が分かりません!」
リビーは親の敵とばかりに魚のフライを大きく切り分けて大きな口で頬張りもぐもぐと咀嚼している。目がまた大きくなったのでお気に召したらしい。
「実際まぁ、貴族として考えると俺は中身が無いんだと思うよ。世辞も言えないし、回りくどい言い回しも得意じゃない。空気を読むのもあんまりだな」
一階を見ると、舞台になった一角にリュートを持った男性と露出多めの服を着た女性が立った。踊り子か歌姫か。今から何か演目が始まるらしい。
ちらりとテーブルを見るとほとんど食べつくされており、ジャックは少し物足りないくらいだったが今日はここで止めておくことにした。
「…何か始まるな」
階下を見ながら呟くと、咀嚼を終えてカトラリーを置き、ジンジャーエールで口を潤したリビーも柵から少し乗り出して下を見た。準備が終わったのかリュートの男が共に舞台に立つ女をちらりと見る。頷き合うと、静かなリュートの音色が響き渡った。
「…綺麗な音色ですね」
「だな」
そのまましばらく耳を傾けていると、それまでじっと目を閉じて立っていた女が口を開き、旋律に乗せて静かに歌い出した。リビーが目を見開き、更に柵から身を乗り出した。
「うわぁ…」
女性としては少し低めの声が不思議な高低をつけて優しく問うように歌う。そこにリュートの男が甘く響く低音を重ね、静かにとつとつと、語るように歌が紡がれていく。
「なんて切ない…」
騒がしかった店内から音が消え、誰もがじっと聞き入っている。リビーも食い入るように舞台を見つめていた。
「南部の古い恋歌だよ」
「恋歌…」
全く違うところで生まれた男と女が自分の半身を探して迷い彷徨う。誰にも理解されず誰にも愛されず、いつしか美しい湖に辿り着いた。今は限りと死出の旅路に立とうとした時、初めて目の前にいる相手に気づく。あなたは誰と女が問えば、君は誰と男が問う。初めて満たされた心のままにふたりは湖へ向かい共に死出の旅路に着く。
「…死んじゃったら駄目でしょう…」
リビーがぐっと顔をしかめた。
「死んじゃったら終わっちゃうんですよ。私なら、見つけたが最後ひっぱたいてでも一緒に生きて、幸せになってやります」
静かに響くリュートの余韻を聞きながら、リビーなら間違いなくそうするだろうなとジャックは思った。生きて生きて生き抜いて、きっと最後は自分の手で幸せを掴み取るだろう。誰かに幸せにしてもらうのではなく、自分の手で。
それはきっと、あの赤髪の女性も同じなのだと思う。生きて、生かして、諦めない。だからこそあんなにもきらきらと輝いて見えるのだろう。ジャック達にとってただの武勇伝の主人公だった人は、今はもう温もりを持つ無視できないほどの光を纏うひとりの女性となっていた。
「そうだな。俺もこの歌は旋律は好きだが歌詞は好きじゃないな」
階下を見れば奏でる旋律は明るいものになり、舞台の上ではしゃらしゃらと手足に付けた鈴を鳴らしながらリュートと男の歌に合わせて女が舞っている。店にも喧騒が戻っていた。「そうですよね!?」とむくれているリビーの頭を、ジャックは性懲りもなくわしわしと撫でた。
「歌の男も、見つけたのがリビー嬢だったらきっと毎日大笑いして過ごして、死ぬことなんてすっかり忘れただろうと思うよ」
ははっと笑ってジャックが言うと、リビーも「そうでしょうか」とへらりと笑った。その後は他愛もない話をしながら残った皿を全て平らげ、結局、デザートまでしっかり注文した。
「あ、そういえば」
運ばれてきたチョコレートケーキを嬉々として食べていたリビーが、突然思い出したように言った。
「先輩が、ダレル様から贈り物をもらってたんです」
チョコレートケーキに添えられたアイスクリームをつつきつつ、リビーは「うーん」と唸ると続けた。
「お揃いの四つ葉のクローバーのブローチとクラバットピンだったんですけどね、先輩のブローチは四つ葉のうち三つが緑でひとつが赤なんです。で、ダレル様のクラバットピンは三つが赤でひとつが緑なんです」
チョコレートケーキとアイスクリームを半分ずつスプーンに乗せ、リビーは落とさないよう急いで口に入れた。ダレルはハリエットの婚約者になった男だ。国王陛下の侍従であり、古くからの側近でハリエットよりかなり年上と聞く。
「私はとっても素敵だなって思ったんですけど、なぜか皆さん、顔を引きつらせて重いって言うんですよねぇ…。さすがは国王陛下の側近だって」
いや、重いだろう。とはジャックは言わなかった。婚約してすぐの贈り物がそれとはどれだけ惚れてるんだと突っ込みたいところだが、ハリエットが幸せならそれでいいとも言える。
「ハリエット様の反応は?」
「んー…箱を開けた瞬間は呆然としてましたけど、何だかんだで少なくとも週に一度は必ず身につけてますね」
開けた時の表情まで見ていたということは、ハリエットは皆の前で開けたのか。皆の前に居るときに届いてしまったのか。とりあえず、嫌ではなさそうなのでジャックは何も言わないことにした。
「幸せそうならそれでいいんじゃないか?人それぞれだしな」
リビーは最後のひと口を名残惜し気に口に入れると丁寧に咀嚼して飲み込んだ。
「そうですよね!先輩が幸せそうなら、私はとても嬉しいんです!!」
うんうん、と頷きながら笑うリビーにジャックも笑った。
「ハリエット様も死なないし死なせないタイプだからな。きっと婚約者も生かされて、渡さずにはいられなかったんだろうな」
「はい!先輩ならきっと…その人だけじゃなくて、周りの人も丸っと拾って生かしちゃうんだと思います!!」
嬉しそうに頬を染めるリビーの頭を、ジャックは笑いながらまたわしわしと、さっきよりも強めに撫でた。