8.
※ 誤字を修正しました。
「リビー嬢は下町に出るのは初めて?」
がやがやガチャガチャと騒がしい一階を眺めつつジャックが聞いた。リビーも同じように一階を眺めている。
「いいえ、一度だけお休みの日のお昼間に先輩と一緒に流行りの食堂へ行ってみたことがあります。大きなサンドイッチがとても美味しくて、でも全然食べきれなくて…。先輩と二人で困っていたらとっても可愛らしい看板娘さんが出てきて持ち帰るといいですよって包んでくれました」
「へぇ、どこだろ?」
「えっと、確か『銀の女神亭』?」
「ああ、西区の山盛りポテト」
「そうです、そうです!!山盛りポテトです!!」
そんな話をしていると、がちゃん!と音を立ててエールとシードル、つまみ用の揚げポテトが運ばれてきた。ここのポテトは太く切られたボリュームのある銀の女神亭とは違い細めに切ってからっと揚げている。
「うわ、ここもポテトが山盛り!」
リビーが目を丸くしている。
「下町はこんなもんだよ。ぱっと出せて失敗がないからたいてい山みたいになって出てくる」
うわぁ…と前のめりになって揚げポテトを眺めているリビーにシードルのグラスを渡すと、ジャックもエールのジョッキを持った。
「リビー嬢、乾杯したことある?」
「えっと、夜会のあれなら…」
「あー、あれは乾杯とは言わないな、俺たちは」
ジャックはぐっとエールのジョッキを持ち上げると、リビーにも「持ち上げて、しっかり持って」と言った。
「こういう店での乾杯はこうやるんだよ」
にやりと笑うとジャックは言った。
「リビー嬢の初めての下町飲みに!乾杯!」
がちゃん!っと大きな音を立ててリビーのグラスにジャックのジョッキがぶつかる。自分のグラスをケネスにするよりかなり控えめにごんっとぶつけたのだ。衝撃と大きな音に「ひゃぁ!!」とリビーが声を上げて目をまん丸にしている。
「ほら、リビー嬢も返して」
「え?え?返す??」
「何でもいいから、理由を付けて乾杯を返すんだよ」
「ええええ、えっと、えっと!あ!ルイザ様にばれて叱られませんように!えと、乾杯!?」
こちん!と大変可愛らしくジャックのジョッキにリビーのグラスがぶつかった。恐る恐るという様子にジャックが破顔した。
「はは!ほらリビー嬢、飲んだ飲んだ!」
喉を反らし、ジャックはぐっと一気にエールを飲み干した。そのままどんっとテーブルにジョッキを置くと、リビーを見ながらにやりと笑った。そうして階下のカウンターに向けてジョッキを振ると、カウンターの店員がジャックに手を振った。
ちらりとリビーを見るとじっと自分のグラスとジャックを難しい顔で交互に見ている。どうするのだろうとまた頬杖をついて見ていると、リビーはえいや!とばかりに思い切りグラスを傾けた。
「ぉお?」
ジャックが目を丸くする間に、リビーがごくごくとシードルを飲んでいく。いかん、止めるか?と思ったところでリビーがぎゅっと目を瞑ってグラスを静かに置いた。「ぅー…」と言ったまま俯き黙ってしまったリビーに、少しやりすぎたなとジャックが謝罪しようとすると、両手でグラスを握ったままがばり!とリビーが起き上がった。
「悔しい!!半分も飲めませんでした!!!!」
頬を膨らませてグラスとにらめっこをするリビーに「は……」とジャックの目が更に大きく見開かれた。「グラスが大きすぎるんです!」とむくれるリビーに、ジャックは腹の底から湧き上がる笑いを押さえられなくなった。
「…………………ははっ!あっはははははは!!リビー嬢!やるなぁ!!」
初めてでそれだけ飲んだら上出来だとジャックが褒めるもリビーは悔しいです!と更にむくれている。ジャックはあまりに面白くて、うっかりリビーの頭に手を伸ばしてわしわしと撫でた。
「いいんだよ、一気飲みなんてしなくて。うまいだろ?それ」
「髪が崩れます!」と悲鳴を上げたリビーにジャックはまたからからと笑った。
「あとは味わって飲めよ。ハリエット様から一杯だけって言われてるんだろ?」
まだむくれているリビーに眉を下げて苦笑すると、リビーが「そうでした…」とじっとシードルを見て、そして小さくひとくちだけ口を付けた。
「はーい、お待たせさん」
頬杖をつきリビーを眺めていると待ちかねた料理が追加のエールと共に届いた。頼んだのはこの店の名物、赤牛の塊焼きに今日のお勧めの魚介と野菜のフリット、ガーリックブレッドと赤牛のブラウンシチューだ。ケネスと一緒なら倍は頼まないと足りないが、リビーの食べる量が分からないのでジャックだけでもギリギリ食べきれるくらいの量だけ頼んだ。足りなければまた頼めばいい。
「うわ、すごい!大きいですね!?」
赤牛の塊焼きを見てリビーがまた目を丸くしている。むくれていたのがもうころころと笑っているのを見てジャックもまた「ははっ」と笑った。
塊肉をローストしたものは貴族家の食卓でも定番だが、あちらは使用人がスライスして皿に綺麗に盛ったものが供される。リビーの顔ほどの大きさの塊がどすんと目前に出されるのは貴族令嬢には中々無い経験だろう。
「リビー嬢は量は食べられるほうか?」
ジャックが専用の牛刀とフォークで塊焼きを器用に切り分けていく。それをじっと楽しそうに見ながらリビーが言った。
「分かりません!この間朝食にパンケーキ三枚とオムレツとソーセージ二本とフルーツをお皿に乗るだけ食べていたら、先輩には『若いわね』ってちょっと笑われましたが…」
「それは結構食べるな!」
これは良い、と大きな切り身を皿に乗せてリビーの前においてやる。添えてある赤ワインのソースをかけるとリビーの目がまたきらきらと輝いた。
「すごい!お肉!!」
まさしく肉だ。カトラリーの入った籠を渡してやると、リビーは「ありがとうございます!」と言ってフォークとナイフを構えた。
「よし、食うか!」
「はい!いただきます!!」
低温でじっくりと焼き上げた塊の牛肉は色は赤いがしっかりと火が通っており、力を入れずともナイフを少し押すだけですっと切れてしまう。ジャックが大きく切った塊をひとくちで口に放り込むと、リビーも女性としてはかなり大きなひとくちを頬張ったところだった。リビーが目を見開き、目をきらきらさせながら一生懸命咀嚼している。
「美味しいです!お肉の味が濃い!!」
またひとくち口に含むと嬉しそうに咀嚼する。どうも気に入ったようで、大皿に乗った塊の方をちらりと横目で確認していた。
「気に入ったようで何よりだよ。そっちの赤ワインのソースはガーリックトーストに付けてもうまいし、行儀は悪いがフリットやポテトに付けてもうまい。もちろんシチューにつけてもうまいぞ。というか、何を組み合わせてもうまいから、色々試してくれ」
ジャックはいそいそとシチューを小皿に盛りリビーの前に置き、別の小皿にガーリックトーストを一枚乗せてやった。リビーは「ありがとうございます!」と笑うとさっそくガーリックトーストを千切りシチューに付けて食べている。またぐっと目が大きく見開かれきらきらと輝いた。
「好きにとって食べろよ」
ジャックはそう言うと空になったリビーの肉の皿にもう一枚切り身を乗せてやりソースをかけてやった。そうしてエールを飲み干すと今度は店員を呼び、エールのお代わりとリビー用に酒精のないジンジャーエールを注文した。