6.
翌週も、そのまた翌週もリビーは鍛錬場に顔を出した。ジャックもケネスも常に鍛錬場に居るわけでは無いので実際には何度くらい来たのか分からない。それでもジャックとケネスを見つけては嬉しそうに笑い、ハリエットについて話して行った。特に、ジャックとケネスが嵐の日、ハリエットから『メイウェザーの祝福』をもらい九死に一生を得た話には驚くほど食いついた。
あの日。ジャックとケネスがウェリングバローを出て次の街まで半分ほど来たところで嵐が強くなった。ここまで横殴りの雨が強くなると遮るもののない広く長い街道よりも森の中の道の方が安全になるため、街道には川と橋もあることからジャックとケネスは元々予定していた街道の脇道では無く、山沿いの森を通る道を選んだ。
途中、風雨をしのげそうな場所を見つけて休憩を取るか悩んだが、ふと道の先、カーブしているところに赤い花が風に耐え揺れているのを見つけた。ジャックがちらりとケネスを見ると、ケネスもその赤い花を見ていた。
「……もう少し行くか?」
「……うん、行こうか」
頷き合い、鈍くなってきた馬の足を何とか動かして花の元へ向かった。そうしてカーブの先を見ると、少なくとも二年前までは無かった小屋が建っており、馬が休めそうな屋根のある厩舎もどきも小屋の横についていた。急いで小屋へ向かうと無人だったが鍵は開いており、ほっとして厩舎に馬を繋ぎ馬たちに雨がかからぬよう覆いをしてジャック達も小屋で休息をとることにした。幸い、小屋にあった薪は湿気ておらず、火を焚き暖を取り仮眠を取ることができた。
ケネスと火の番を交代し、ジャックも暖炉の前でうつらうつらとしていると、突然、どおおおおん!という音と共に地面が揺れた。仮眠を取っていたケネスもばっと起き上がると剣を掴み、いつの間にか弱くなっていた雨と風の中を音の方へとふたり走った。
そうして震源に辿り着くと、ジャックとケネスが休憩をしようかと悩んだその窪地周辺にいくつか大きな岩が突き刺さっていた。落石だった。山からは少し離れていたため油断したが、上から転がり跳ねて落ちたらしい。
「うわ、あぶな…」
ジャックが顔を引きつらせて岩を見ていると、はっとした顔でケネスが山小屋へ戻り始めた。カーブまで走るとぴたりと止まり、森を見てつぶやいた。
「赤い花が無い…」
風雨に負けて散ってしまったのか、昨日見たはずの赤い花は跡形もなく消えていた。ふたりで同時に見たのだ。強い疲労に負けて見た幻などでは無かったはずだ。
「メイウェザーの祝福、か…」
ケネスが唇を噛み、感極まった顔で自分の右手を見ていた。ケネスはあの、メイウェザーの伝説が大好きなのだ。嘘でも迷信でも構わない、信じていた方が楽しいだろうと良く言っていた。だから実は、ハリエットの存在に先に気づいたのはケネスの方だったのだ。
その後は少し弱くなった雨と風の中を予定していたのと違う街へ入り、駐屯所で馬を乗り換え小休止を挟み王都へ戻った。もともと立ち寄る予定だった街道を少しそれた町への道も橋が流され断絶していたらしく、こちらに来て正解だったと駐屯所の騎士が温かい食事でねぎらってくれた。
「先輩って、やっぱり女神だったんですか…」
聞き終えたリビーは胸の前で手を組み瞳を潤ませ声を震わせていた。
「やっぱり?」
ジャックが問うと、リビーはぱっと顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。
「色々あって…それに、王妃殿下とルイザ様も言ってたんです!先輩の祝福は効くんだって!!だから、きっとジャック様とケネス様も無事だよって…!」
メイウェザーの祝福として残る話は偶然と言われれば全て偶然だ。今回も、たまたまジャック達が赤い花まで行こうと決めたから助かっただけ。赤い花を見ても動こうと思えなければ今頃はきっと冷たい土の中だ。
メイウェザーの祝福は奇跡を起こさない。けれど、一か八か…そんなぎりぎりの選択肢があった時、行き道に迷った時、足が動かなくなった時、赤い色がそっと背中を押してくれた。そんな話ばかりなのだ。だからこそ、お伽話や怪談を好まないケネスもメイウェザーの伝説だけは好むのだろう。
ちらりと時計を見るとかなり時間が経っていた。もしやまた侍女長に怒られはしないかと、ジャックは聞いてみた。
「リビー嬢、今日は時間は大丈夫なのですか?」
鍛錬場の時計を指さしながら聞くと、リビーがああ、という顔で頷いた。
「今日は終業後に来たんです。なので、もうお仕事は終わってますので大丈夫です!!」
「だったら夕飯でも食べに行きますか?大したところにはお連れできないですが」
終業後でも走ったら怒られますけど、とにこにこと笑うリビーに、ジャックは提案した。ジャックももっとハリエットの武勇伝を聞いてみたくなったのだ。
「え、いいんですか!?」
嬉しそうに目を輝かせるリビーにちらりとケネスを見ると、ケネスは困ったように微笑んだ。
「すいません、自分は妻と子が待っているので今回はご一緒できませんが、また機会があればぜひ」
右手を左肩に当てて一礼するケネスに「それは仕方ありませんね!」と笑うと、リビーがジャックに向き直った。
「私とふたりでもいいんですか?」
「それは私の台詞かと思いますが、かまいませんか?」
「もちろんです!!」
ジャックはシャワーと着替えが必要なためまた一時間後に各寮への分かれ道で落ち合うことに決め、リビーとは一度別れることにした。
「ずいぶん積極的だね?」
男子寮へと向かう道、ケネスがちらりとジャックを見て言った。
「リビー嬢か?」
「リビー嬢もだけど、君もだよ」
珍しいね?とケネスが目を細めて微笑んだ。そういえばそうだ、とジャックは思った。女性を自分から誘うなど何年ぶりだろう。下手をすれば二桁ぶりだ。女性相手に何の意識もなくするりと言葉が口から出たのは確かにとても珍しいことだった。
「なんだろうな。ハリエット様の話をしているせいか、あまり女性を誘ったっていう意識が無かった」
頭を掻きながら困った顔をしたジャックに、ケネスは更に笑みを深めた。
「なるほどね。今日は赤い色を目印にしたら意外と楽しく過ごせるかもね?」
男子寮の入り口に着くと、また明日話を聞かせてね、とケネスが手を振り去って行った。ケネスの家は正門から出るより男子寮の向こう、裏門から出る方が近いのだ。いつも裏門に馬車を待機させている。馬で帰った方が早いがケネスの住むタウンハウスは厩舎が無いらしい。
「さて、準備して行きますかね」
ざっとシャワーを浴びて髪を整え、飾り気のない白いシャツとグレーのトラウザーズを選ぶ。ちらりと鏡を見ると、相も変わらず黄色い金髪と垂れた青い目の甘ったるい派手な顔が目に入った。
「……まぁ、そうそう変わるものでは無いか」
報奨金の袋からいくらか抜き取って財布に移すとポケットにしまい、クローゼットから綺麗な方のブーツを選んでさらりと薄手のジャケットを羽織り、ジャックは軽い伸びと共に部屋を出た。