2.
「あーいた!先輩のお友達っ!!」
突然、どこかで見たことのある女性に指をさされたのはぽかぽかとした春の午後の昼下がり。少し眠くなってきたので書類仕事を止めて相棒のケネスと鍛錬でもするか、と鍛錬場へ出てきたところだった。
パタパタと走って来たのはハシバミ色の髪を二つに分けてサイドから緩く編み込み前に垂らした、ハシバミ色の瞳の女性だった。見覚えはあるが思い出せず、ジャックがちらりとケネスを見ると、「王妃殿下の」と教えてくれた。
「こんにちは、お嬢さん、何か御用ですか?」
ケネスはにこりと微笑むと胸に手を当て軽く一礼した。するとおさげを揺らしてパタパタと走って来た女性が手前できゅっと止まり、ふぅ、と息を吐くと優雅に膝を折った。
「突然のお声がけ申し訳ございません。王妃殿下が侍女、スコットニー伯爵家のリビーと申します。主よりおふたりへお手紙を預かってまいりました。こちらお納めくださいませ」
人を指さして駆けてきたとは思えない優雅な仕草と微笑み。あまりの変わり身にジャックは思わず吹き出してしまった。
「ふは…ご丁寧にありがとうございます。第一騎士団所属、タイラー伯爵家のジャックと申します」
「コーツ伯爵家のケネスです」
ケネスもまた丁寧に騎士の礼をとり名乗ってはいるが、肩が揺れたのをジャックはしっかりと見た。
「あー…失敗ですね、やっぱり最初が駄目でしたかね…まだ先輩のようにはいかないなぁ…」
うーんと腕組みをしてむーっと口を尖らせるリビーは大変愛らしいが、間違いなく王妃殿下の侍女としては駄目な部類だろう。
「先輩、ですか?」
「あ、ハリエット・メイウェザー先輩です!他の先輩方はルイザ様!エイプリル様!…って感じなんですけど、先輩は何かこう、先輩!って感じなんですよね」
分かるような分からないようなことを言ってリビーはにこにこと笑っている。その表情から悪意を感じないので、恐らくハリエットを特別慕っているのだろう。
「先輩はすごいんですよ!お茶も一番美味しいし、強いし、猫もいっぱい上手に被れるんです!!」
騎士団の鍛錬場に見学に来る御令嬢方が同じことを言えばジャックもケネスも皮肉か?と思うだろう。だが目の前のリビーはどう見ても本気で褒めているつもりのようだ。
「猫ですか」
「あああ!!!!」
ハシバミのただでさえ大きな瞳を更に見開いてリビーが左手を左頬に当てた。
「違います!そうじゃないんです!!先輩は本当に…えっと…とにかく、とっても強いんです!王妃殿下のお命をお救いしたこともある、私の憧れなんです!!」
誤魔化したようだが誤魔化せてはいない。ただ、これもまたやはり本心なのだろう。慌てて泳いでいた視線は今はきらきらと輝いている。
王妃殿下の命を救った件はちょっとした伝説となっている。まだ国王陛下と王妃殿下が結婚して間もないころ襲撃事件があり、護衛と引き離された後もハリエットが戦い、今は亡きもうひとりの侍女が身を挺して王妃殿下を守り抜いたという。
その時の傷が原因でハリエットは独身を決意したのではないかと言われているが定かではない。事件当時、ジャックもケネスも学園への入学すらまだだったのだ。傷痕など、ジャックなら気にしなかったのだが。
「なるほど、ハリエット様がお好きなんですね」
「はい!!大好きなんです!!」
ジャックが頷くと、リビーも我が意を得たりとばかりに満面の笑みで頷いた。王妃殿下の侍女としては駄目だが人としては好感が持てる。ちらりとケネスを見ると自然に口角が上がっており、恐らくケネスも同じ意見のようだ。
「ところでスコットニー嬢。先輩のお友達とは、我々でよろしいのですか?」
ジャックがそう聞くと、リビーがきょとんと小首をかしげた。
「違うんですか?先輩、ずっと心配してたんです。お友達が嵐の中、連絡係で行っちゃったって」
あれ?違うの?とリビーが斜め下を見ながらぱちぱちと瞬きを繰り返している。あの嵐の日の連絡係のことだろう。そうか、ハリエットはジャックたちを友と呼びずっと心配してくれていたのか。
「いえ、あの視察の時にご一緒させていただいたのが初めてでしたので…友達、と仰っていただけるのがとても嬉しいと思いまして」
ジャックが微笑むと、リビーがまたにっこりと笑った。
「じゃぁ、ジャック様たちは先輩のお友達ですね!」
「そのようです」
にこにことハリエット談義を続けるジャックとリビーを淡く微笑んで見守っていたケネスが静かに言った。
「スコットニー嬢、お手紙とは?」
ジャックはすっかり忘れていた。そういえばリビーはハリエットの話をしに来たのではない、王妃殿下からの手紙を持ってきてくれたのではなかったか。
「あっ、すいません!これなんですけど…」
そう言って出したのは少し厚めの封筒がひとつ。どうも王妃殿下にもジャックとケネスはワンセットだと思われているようだ。
「拝見します」
ケネスが受け取り、金の封蝋を丁寧にはがして中の手紙を取り出した。内容としては、今回の随行の礼と素晴らしい対応であったとのお褒めの言葉。そして、ハリエットの婚約に関してジャックとケネスが大変重要な役割を担ったということで、感謝と王妃殿下の個人的な心づけについて書かれていた。
「「…」」
ちらりと、ジャックとケネスの目が合った。さて、自分たちはいったいハリエットの婚約に関して何をしたのだろうか。さっぱり分からないがあの王妃殿下がそう言うのなら何かあったのだろう。
「こちらはお返事を申し上げた方がよろしいですか?」
ケネスが聞くと、リビーがふるふると首を横に振った。
「特にお返事は必要ないそうです。そこに書いてある通りに、ということでした。もし何か希望があれば言うように、とのことです!」
ぴしりっと背筋を正すとリビーが言った。王妃殿下のお言葉を思い出したのだろう、きゅっと真面目な顔になった。よくもまぁくるくる変わる表情だ。面白い、とジャックは内心で笑った。
「承知いたしました、とお伝えいただけますか。それと、心より感謝申し上げますと」
「承知いたしました!確かにお伝えいたします!!」
リビーがまたもぴしっと直立すると、今度は優雅にカーテシーをした。実に動きに一貫性が無い。恐らく優雅に見える部分が猫の居る部分なのだろう。ハリエットにこの不自然さはないので全体的に卒なく猫を被っているのだなと、ジャックは妙に感心した。
「タイラー卿って、先輩が好きなんですか?」
カーテシーから起き上がると突然リビーが言った。
「え?」
「タイラー卿、先輩の話をしてる時、すっごい優しい顔してます。もしかして惚れちゃいましたか?」
豪直球だ。王妃殿下付きの侍女を通り越して貴族としても駄目だと思う。先ほどスコットニー伯爵令嬢だと聞いた気がするのだが聞き間違えだっただろうか。あまりのことにジャックが目を見開いて固まり、ケネスは「ぐっ」とついに噴出した。
「そうですね…明るくて、素直で…大変素敵な方だと思いますよ」
ジャックは嘘のない返事をした。幸い、まだ恋では無かった。好意はあるがそれだけだ。
「そうなんですね…。タイラー卿は見る目があるなぁ…」
ふふふ、とリビーが笑いながら言った。後半は独り言のようだったがしっかり聞こえていた。
ジャックとケネスで良いですよ、と言うとリビーも「ありがとうございます!リビーって呼んでください!」と笑ってぴたりと止まった。
「あれ?でもジャック様とケネス様は結婚していないんですか?」
「自分はしていますよ。娘が一人います」
ケネスが穏やかに微笑むと、またリビーが瞳をきらきらさせた。「娘さん!絶対可愛い!!」ととても嬉しそうだ。
「私は今のところご縁に恵まれていません。ハリエット様なら喜んでご縁を結んだのですが」
ジャックがそう言ってにやりと笑うと、リビーがぱあああ!っと音がしそうなくらいに満面の笑みになった。
「そうですよね!!惜しいです、ジャック様!あと二十日遅かったです!!」
「そうですね、二十日遅かったな」
く~!っと言いながらこぶしを握りぶんぶんと手を振るリビーに、ケネスは口元に手を当ててふっと表情を崩し、ジャックはついつい声をあげて笑った。
「ジャック様!ケネス様!また来て良いですか!?」
「どうぞ、いつでも」
また来ますねー!と手を振り走り去るリビーを見送ると、ケネスがぽつりと言った。
「王妃殿下の侍女って、個性的だね?」
それはきっとハリエットも含めてだろう。「そうだなぁ」と笑うとジャックはちらりと鍛錬場を見た。ケネスも王妃殿下からの手紙を大切に懐にしまって「うん」と笑い、ふたりで鍛錬場へと向かっていった。