12.(終)
「あ、先輩!!」
パッとジャックの手を離すと、リビーがぱたぱたと駆けだした。柱の陰からばつが悪そうに微笑んで現れたハリエットにリビーががばりと抱き着いた。
「やりました、先輩!私にも素敵な恋人ができましたよ!!まずはお試しですけど!!」
「わわ!」と慌てながらリビーを抱き留めると、ハリエットはそっとリビーの頭を撫でて「良かったわね」と優しく笑った。後ろからひょっこり出てきた黒髪の相棒が、ジャックと目が合うとにこりと綺麗に微笑んだ。
「…いつからいた」
ジャックが半目で聞くと、ジャックの方へ歩いてきたケネスが珍しく悪い顔をして笑った。
「駄目だねジャック。いくら背後だからって気配に気づかないなんて」
「うるさい、綺麗に消してる気配なんて感じる余裕があるか」
拗ねたように言うジャックに更に珍しくケネスが声を上げて笑った。
「ふふ…言ったでしょ?必ず君が良いって言ってくれる人がいるって」
ちらりとケネスの向こうを見ると、にこにこと報告をするリビーをとても優しい目で見ながらうんうんと頷いているハリエットが見える。時折、「お外であんな風に走っては駄目よ?」などと駄目出しが入るのが面白い。リビーも「はぁい!」と言いつつまたにこにこと話を続けている。
「類は友を呼ぶんかねぇ…」
そんなふたりを眺めつつジャックが言うと、ケネスもちらりと後ろを振り返った。
「かもしれないね」
その顔だとルイザに絞られるから少し落ち着いてから戻ろうとリビーの頬を撫でるハリエットの胸元に、緑と赤の四つ葉のクローバーが光る。ハリエットの穏やかな表情に、例の婚約者とはきっとうまくいってるのだろうとジャックも嬉しくなった。心は痛まない。むしろ温かい。なるほど確かに、これはとても大切な友人だ。
ちらりとケネスを見ると頷いたので、ゆっくりとふたりに近づいていく。ハリエットがジャックに気づくと嬉しそうに破顔した。
「ジャック様、ありがとうございます」
リビーの肩に手を添え、反対の手でリビーの頭を撫でながらハリエットがにっこりと口を開けて笑った。淑女としては失格の、明るくて優しい、ジャックにとっては好ましい笑顔だ。
「何と言うか…大事にします?で正しいですかね?」
ジャックがお道化て言うと、「なぜ疑問形なのです!」とハリエットは楽しそうに笑った。
「リビーはその…淑女としてはまだまだですし、王妃殿下付き侍女としては後ほどまたお説教なのですけど…とても良い子なのです。それだけは間違いなくて…」
お説教のところでハリエットはちらりとリビーを見て眉をひそめ人差し指をめっとばかりに立てた。見ていたリビーが「はぁい」と言いながらジャックを見て、えへへと照れくさそうに笑った。
「ありがとうございます、リビーに気が付いてくださって」
ふわりと嬉しそうに笑うハリエットに、なるほど似ているとジャックは思った。リビーも先ほど言っていた。『そんな先輩に気づいてくれる人が大好き』と。先輩後輩というのは考え方も似るものなのだろうか。
「こちらこそ、ありがとうございます、ハリエット様」
色々なありがとうを込めてジャックは右手を左肩に当てて礼をした。そしてジャックも口を開けて笑った。ハリエットはきょとんと目を瞬くと、「はい!」とまた笑った。
この日、王妃殿下からいただいたワインが一本ジャックの部屋で開いた。大変美味だったが恐れ多くて二本目は止めようということになり、ジャックもケネスもそっと高級ワインを仕舞い普段の一本を取り出して乾杯し直した。
リビーはその日ハリエットにやんわりと窘められたようだが、あまりにもふたりが浮足立って王妃殿下の部屋に戻ったためルイザにふたりでこってりと絞られ、尚且つ王妃殿下に洗いざらい喋らされたらしい。
翌日には王妃殿下から「うちの子をよろしくね」とそうそうお目にかかれない銘柄のウィスキーと共に手紙が届き、ジャックは遠い目になった。王妃殿下付きの侍女に手を出すというのは中々に精神力の要ることだったらしい。いや、出されたのはジャックの方な気もする。ジャックからは何もしていなかったはずだ。たぶん。
リビーがちょっとした嫌がらせを受けたりジャックに怪文書が送られてきたりそれなりに色々あったのだがそこは王妃殿下の侍女。ジャックが気づいた時にはさらりと処理が終わっており、特に大ごとにはならずに全て終わったようだった。
リビーは相変わらずジャックが何をしても笑ってくれるし、どこへ連れて行っても楽しそうに目を煌めかせた。「ジャックさん、楽しいですね!」そう言ってにこにことジャックの腕に腕を絡めるリビーに、ジャックとの関係からお試しが外れるのはすぐのことだった。
それどころか、三か月後には婚約し七か月後には結婚式を挙げてハリエットよりも早く結婚することになったのだが、特に間違いがあったわけではない。
単に、「ジャックさん、結婚しましょう!」とリビーが笑ったため、「いいよ」とジャックも笑っただけのことだった。
やっぱり勢いって大切よねぇ…王妃殿下は半分呆れながらも感心し、身内と親しい者だけの小さな結婚式にも当たり前のように参列していた。
ハリエットは「良かった…!」と式が始まる前からぽろぽろと涙をこぼし、そんなハリエットの代わりに婚約者の国王陛下の侍従が「おめでとう、おふたりともとても素敵ですよ」と微笑んでくれた。
「リビーがあんまりにも綺麗で」と人目を憚らず泣きじゃくるハリエットの肩を抱き、「そうだね」と愛おしそうにハンカチで涙をぬぐってやるダレルの姿に、この人はちゃんと分かった上でハリエットを愛しているんだなとジャックは心から安堵した。
「先輩が喜んでくれてます…!」とつられて泣きそうになるリビーをせめて式が終わるまではと必死で宥め、式が終わった途端に新郎を放り出してハリエットの元へ駆けて行った新婦に苦笑してちらりとダレルを見ると、リビーをぎゅっと抱きしめて一緒になって泣いているハリエットに、ダレルもまたジャックを見て困ったように笑った。
そんな大騒ぎのふたりを呆れた顔で見ながらも笑みを隠せないルイザも、「あらまぁ」「またやってるのね」と笑っている先輩侍女たちも、誰の目もとても優しい。
あの日、元婚約者に捨てられた時はもう色々面倒くさいなと思ったりもしたが、目の前の光景は決して悪くないとジャックは思う。こんな日が来るのなら、あれはジャックにとって必要な出来事だったのだろう。
すっと並んだ陰に横を見ると、黒髪の相棒が少し目元を赤くして微笑んでいた。
「僕に嫁がなくてよかったね?」
「お前、婚約者いたからなぁ」
そう言うと、ジャックはケネスの肩に腕を伸ばしぐっと引き寄せにやりと笑った。
「俺の相棒はずっとお前だけどな」
「そうだね、そこはきっと変わらないね」
ケネスもジャックの肩に腕を回すとにっと笑った。ふと空を見ると、どこからともなく風に運ばれてきた赤い花びらがひらひらと、青く抜けるような空に舞っていた。
こちらで完結です。
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