11.
今度はジャックがきょとんとする番だった。なぜここでハリエットの名が出るのか。しかも他の女性を好きなことが理由とはいったいどういうことなのか。ジャックにはやはりさっぱりと分からない。
「えーっと、ハリエット様?」
「はい!!王妃殿下付き侍女のハリエット・メイウェザー様です!先輩はすごく上手に猫を被るので割りと好意を持つ男性は多いんです」
本人はさっぱり気づいてないんですけどね、とリビーが楽しげに笑う。実際、騎士団でもそれなりの数の先輩が粉をかけてはみたそうだが、さらりとあしらわれて泣いて帰ったと聞いたことがある。侍女として猫を被っている時のハリエットはまさしく『王妃殿下の侍女』のため、自分が好意の対象となることを想定していないのだろう。
「侍女の時の先輩は美人ですし、いつも穏やかに微笑んでて、所作も綺麗で、でもきりっとしててかっこよくて、いざとなれば心も体も強くって……………でもそれって…うまく言えないんですけど、先輩じゃないと思うんです」
俯き、眉をハの字にしてリビーが言った。王妃殿下付き侍女として表向きは完璧な淑女として生きるハリエット。ジャック達がハリエットの柔らかい部分を知ることができたのは、きっととても幸運だった。きっと視察という場で、そしてあの日出会ったジャック達が第一騎士団らしくない騎士だったからこそ知れた一面だったのだろう。
「先輩は…」そう呟くと何かを思い出すように、リビーはふわっと、とても優しく笑った。
「本当の先輩は、優しくって、あったかくて、心配性で、涙もろくて、甘すぎるくらいに甘くって。ちょっと慌てん坊で、実はすぐに表情に出ちゃうし、デニッシュは大口開けちゃうし…」
リビーの中にはきっと、ハリエットとの思い出が沢山詰まっているのだろう。そしてその思い出はきっとリビーの宝物なのだ。そんな、見ている方まで温かくなる微笑みでリビーは続けた。
「メイウェザーの人は自分の人生を賭けるものに真っ直ぐって聞きますけど、先輩はもう…全然自分で気づいてないですけど、誰に対しても本当に真っ直ぐなんです。一緒に働かせていただいてまだたったの三年足らずですけど、私はそんな先輩が大好きで。だから、そんな先輩の本当に気づいてくれる人が大好きで…そんな人に私も好きになってもらえたら、って」
ぱっと顔を上げると、リビーは嬉しそうに目を細めてジャックを見た。
「王妃殿下の侍女ハリエット・メイウェザーじゃなくて、私の大好きな先輩…。ジャック様はちゃんと先輩を見て好きだって思ってくれたでしょう?だから私も、ジャック様が大好きなんです!」
ジャックにはさっぱりとリビーの理屈が分からない。だが、決して悪い気もしないかった。表に見える部分だけで判断されることがあまり楽しいもので無いことはジャックも良く知っている。ジャックのこの容姿に惹かれた女性はジャックを知り、皆口を揃えて「違う」という。
ハリエットもそうだ。王妃殿下の信頼も篤い美しい完璧な淑女と思って声を掛けたのに、ドレスの裾も気にせず地面に屈みこんで馬車の下を覗いていた日にはさぞかし驚かれることだろう。髪の乱れも気にせず馬車の前で満足そうに頷きながら仁王立ちしている姿も面白かった。ジャック達を見て嬉しそうに口を開けて笑う姿は淑女としては間違いなく減点だろう。ジャックにとっては大変好ましいが。
「うーん…」とジャックは唸ると、ちらりとリビーを見た。相変わらずにこにこと嬉しそうに細められたハシバミ色の瞳に、ジャックは苦笑した。
「俺は正直、女心が良く分からない。だからはっきり言ってくれれば何とかするけど察してほしいとか、そういうのは無理」
「…はぁ、なるほど?」
目をぱちくりさせ、何を言いだすのだろうとばかりにリビーは小首をかしげた。
「俺はこんな見た目だけど、王子様みたいなエスコートなんてできないし、したくもない」
「騎士ですから、王子様ではなく騎士らしいエスコートで良いのでは?」
リビーがきょとんと目を丸くした。それからジャックを上から下まで見て「ああ、そうか、騎士っていうより王子様っぽい見た目だからか」と納得したようにぽんっとこぶしで反対の手を叩いて頷いた。
「女性が喜ぶ場所も知らないし、贈り物も分からない」
「え、面白かったですよ?久々に大笑いしてそのままの気持ちで次の日にお仕事をしていたらうっかりルイザ様に怒られました」
「たぶん先輩も好きですよ」とリビーがくすくすと笑っている。あれが好きで国王陛下の侍従とうまくいくのか?ジャックはハリエットが心配になった。
「王妃殿下の侍女様ってみんな変わってるのか…?」
思わずジャックが聞くと、リビーがぎょっとした顔で首を横にふるふると振った。
「違います!断じて違います!!皆さんそれぞれ色々な猫は被ってますが、それぞれとっても素敵な方たちです!!」
そうこぶしを握って熱弁するリビーを見て、ああ、きっとリビーの先輩たちは皆一般的な淑女と比べると変わっているんだなとジャックは確信した。あの王妃殿下の側近であるということはきっとただの淑女では務まらないのかもしれない。
「リビー嬢は…俺の見た目は、気にならないのか?」
様々なものが頭をよぎり、ジャックは苦く笑った。ジャックの苦手なジャックの容姿。この甘ったるい容姿自体が苦手なわけではない。容姿がもたらす様々な誤解ややっかいごとが苦手なのだ。恐らく、リビーにも少しは厄介ごとが降りかかるだろう。
リビーはぱちぱちと何度も瞬くと、一歩離れてジャックを上から下まで何度も何度もじっくりと見た。
「うーん…気にするところってありますか?不衛生なわけでもないですし、奇抜なわけでもないですし…」
腕を組み眉根を寄せ、リビーは「うーん?」と唸っている。奇抜な騎士というのも中々難しいと思うが、なるほどリビーにとって顔や姿かたちはあまり大きな意味を持つものでは無いようだとジャックは思った。それでも不快な思いはさせてしまうかもしれない。そう言おうと思ったとき、リビーが「あ!!!!!」と大きな声を出した。
「ああああ!!!!かっこいいとは思いますよ!?髪も目も綺麗ですし!すいません、うっかり褒め忘れてました!!!」
しまった!という顔でリビーがジャックの容姿を褒めた。褒めはしたが聞かれたから褒めた、程度のまるで付け足しのような褒め方だった。ははっ、とジャックは声を上げて笑った。
「それはありがとう。不愉快じゃないなら光栄だよ」
あーあ、とジャックは思った。拒絶する理由が何も浮かばない。久々に会えたリビーの楽しそうな笑顔を、ジャックも嬉しいと思っているのだから。嫌がらせがあったとしても何とかなるだろう。リビーには、王妃殿下たちがついている。いざとなれば自分も精いっぱい守ろう。
「というわけで、私にしましょうジャック様!こう見えて王妃殿下の侍女で伯爵令嬢で結婚適齢期!それなりに美人だしお胸だってあります!とーってもお買い得ですよ?今ならお試し期間も付けちゃいます!!」
一気にまくし立ててぐっと豊かな胸を反らしてみせるリビーにジャックはどう反応すべきか非常に困った。否定はしないが肯定するのも駄目な気がする。返答に窮していると、リビーがジャックに手を差し出した。にっこりと、見る者を幸せにするような笑みを浮かべて。
「私と、毎日大笑いして過ごしましょう、ジャック様!」
ジャックにはもうリビーの手を取らないという選択肢は無い。ジャックは差し出された手をそっと握った。逃げ道だけは残しておこう…リビーのために。
「じゃぁとりあえず、まずはお試しかな?」
にっと笑って片目を瞑ると、そのまま音を立ててリビーの指先に口づけた。目を瞬いて数瞬、リビーがぱぁっと満面の笑みを浮かべてぎゅっと両手でジャックの手を掴んだ。
「はい!お試しで!!よろしくお願いします!!」
ぶんぶんと手を振るリビーに苦笑していると、後ろから「よかった…!」という今はもうずいぶんと聞きなれた声が聞こえた。振り向くと、透き通る赤い髪と艶のある黒い髪が回廊の柱の陰から覗いていた。
連投して完結とします。