1.
『王妃付き侍女と国王付き侍従の恋文とその顛末について』の後のお話です。
「あなたって、顔ばっかりで中身が全然ないのよね」
そう言い放った婚約者に捨てられたのはニ十歳になったばかりの頃。従騎士から二年がかりでめでたく騎士に昇格して第一騎士団に配属されたこともあり、十二歳の頃から婚約していた幼馴染の伯爵令嬢にプロポーズをした日のことだった。
「成績は悪くなかったけど空気は読めないし。顔と声と体は良いけどさっぱり女心は分かってないし。軽いし、誰にでも優しいし、私の好みも全然覚えないし。それに、私じゃなくても構わないでしょう?」
そう言って、元婚約者はあっさりとひとつ年下の侯爵家の令息に乗り換えた。正直、今更言うなよとは思ったが、残念ながら彼女の言うこともごもっともだったので何も言わずに受け入れた。彼女との婚約は完全に幼馴染だからという家の都合ですらないものであったし、ジャックとしても彼女に追いすがるほど好意があったわけでも無かった。
もちろん情はあった。長く一緒に居たのだ、生理的に受け付けないとか、相性がどうしようもなく悪いとか、そうでなければ友情なりなんなりの情は湧く。そういうものだと受け入れていたのはジャックだけだった、ただそれだけのことだ。
「それはまた、今更だね?」
学園から騎士団へ。気が付けばいつも一緒に居てここまで一緒に来てしまったケネスが読んでいた本から静かに視線を上げた。騎士団の寮の部屋まで隣なもので、大抵、時間が合えばどちらかの部屋にいる。家の爵位も同じ伯爵家。周囲もジャックとケネスをひとまとめに扱うことが多かった。
「だろ?もっと早く言えばいいのになぁ」
こちらとしても学園在籍中に言ってくれれば恋人のひとりやふたり作って新たな婚約者探しもできたかもしれない。婚約者がいるから…と、どれほど声を掛けられてもジャックは至極真面目に学生時代を過ごしたのだ。
元婚約者によると、その断り方が気に食わなかったらしい。微笑みと共に「大変魅力的なお誘いですが婚約者がおりますので」という断りの何がいけなかったのか…。貴族の子息である以上社交辞令はいつだって大切なはずだ。
「…まぁ、自分に全く興味がない剣ばっかりの幼馴染と口説いてくれる年下の格上侯爵令息なら、後者の方が魅力的なのは理解できるかな」
淡々とケネスが言った。間違いなくその通りなのだが、何だろう、何か釈然としないものもある。
「ケネスが冷たいぞ」
「それも今更だよね」
肩を竦めるケネスにジャックも肩を竦めて見せた。そうしてため息をひとつ。
「でもさ、言い方ってあるだろ?事実だとしても」
「君って、事実であることはちゃんと認められるんだよね」
ふっと笑った腐れ縁の相棒に、ジャックはお手上げ、とばかりに両手を上に上げた。
「だってさ、どれをとってもどうしようもないんだぞ?」
彼女の回りくどい言い方にその場で気が付けず怒らせたこと多数。貴族的な物言いと言えば聞こえは良いが、「察して!!」というあの目がどうにも苦手だ。はっきり言ってくれればそれで良いのにといつも思っていた。
彼女が望めば観劇でも買い物でも何でも付き合ったがジャックからは誘わなかった。昔は何度かジャックから誘ったが、行き先や内容が好みでは無かったようで不機嫌になったので誘わなくなった。
軽い…は何だろう。多少喧嘩っ早くはあるかもしれないがそれではないだろう。誰にでも笑顔なのは大ごとにしないための社交辞令だ。一度大真面目にお断りしたら思い切り泣かれてえらい目に合った。血文字の手紙など二度と貰いたくない。
お陰で良く知りもしない奴らから女泣かせだのなんだの言われたが、異性関係で軽かったことはただの一度も無い。
恐らく、ジャックの容姿も噂に一役買っているのだろう。ゆるく癖のある黄色みの強い明るい金髪に少し垂れ気味のアクアマリンの青い瞳。常に口角の上がった少し厚めの唇の右下にはほくろがひとつ。ただ黙って前を見ているだけで勘違いする女性までいる始末だ。誓っていうが、ジャックは何もしていない。ただそこに在るだけだ。
ただ、ひとつだけ。相手が元婚約者じゃなくてもいいという部分だけは否定しようがないし、恐らく彼女が一番嫌だったのはここだろうなと思う。幼馴染ではあるが気が合うと思ったことなど出会ってから一度も無かったのだから仕方ない。きっとお互い様だろうが。
「あー…いつかこんな俺でも良いよってお嬢さんに出会えるもんかねぇ…」
ジャックが大げさに天を仰ぎ両手で頭を抱えると、ジャックとは違う方向に整った顔のケネスがふっと目元を緩め微笑んだ。
「いるでしょう。君は良いやつだよ。誤解されやすいだけで」
「……俺、お前んとこに嫁に行こうかな…」
「残念、僕は彼女が卒業したら結婚予定だからね」
ケネスには五歳離れた婚約者がいる。本来は彼女の姉と婚約予定だったのだが、当時十四歳だった妹の方がケネスじゃなければ嫌だと泣いて訴え、姉の方も良い雰囲気の相手がいたためあっさりと承認された。ちなみにケネスの婚約者もその姉もケネスの幼馴染だ。同じ幼馴染なのになぜ自分とはこうも違うのか…。
「どっかにお前みたいな女の子いないかねぇ…」
「それはそれで、止めておいた方が良いと思うけどね」
ふふっと少し照れたように笑うケネスは艶のある真っ直ぐな黒髪を少し長めに整え、赤にも見える茶色の瞳は切れ長。すっと通った鼻筋に、いつも穏やかに微笑む薄い口元には知性を感じるが、線の細さはない。男らしい美人だ。見事にジャックとは正反対。
年下の婚約者は絶対にこの綺麗な微笑みにやられたんだろうなぁとジャックは思った。
そんな会話をしたのも今は昔。ケネスは約四年前に年下の幼馴染令嬢の卒業とほぼ同時に結婚し、今では二歳になる非常に愛らしい娘がいる。大人になったら嫁に欲しいと冗談で言ったら稀に見るほどのとても良い笑顔で「死にたいの?」と聞かれた。冗談でも二度と言わないとジャックは心に決めた。
ジャックはその後新しい婚約者を得ることも無いまま現在二十五歳。今年で二十六歳になる。もてないわけではない、決して。ただ、誰もがジャックの容姿に夢を見ているようで、ジャックがジャックらしくあることを許してくれなかった。
跡継ぎでもないし職も安定しているし無理に結婚することも無いかな…そう、思い始めたところだった。
「ジャック様!ケネス様!!」
混じりけの無い赤の髪を揺らし、青灰色の瞳を見開いて扉の前に立つジャックたちを見た王妃殿下の侍女は、いつも年上と思えないほど可愛らしいがその日はとても美しかった。
「良かった、ご無事だったのですね…」
そう言って嬉しそうに目を細めてくれた優しい笑顔にほんの少しの切なさを感じたのは仕方がないと思う。
侍女…ハリエット・メイウェザーはジャックを見ても何も期待しなかった。ジャックをジャックのままに見て、あるがままに接してくれた。
そういう女性はジャックにとってはとても貴重で。それなりに年上ではあるが自分たちに会うたびに明るく笑ってくれるハリエットに、彼女なら好きになれるかもしれないと、そう思えたのだが。
「残念だなぁ…」
心から零れ落ちた言葉だった。本当に残念ながら出会うのが遅かったようで、花開くどころか芽吹く前にあっさりと種ごと取り去られてしまった。
「今回はちょっと、残念だったね」
礼儀正しくはあるけれど裏も表も感じないハリエットのことはケネスも気に入っている。もちろん女性としてではなく人として。
「だな」
王妃殿下の侍女殿と知り合いというのは自分たちの立場としても悪くない。何より、ハリエットは相手がいるにも関わらずジャック達に秋波を送ってくるような令嬢たちとは違う。
「これからも仲良くしてくれるといいんだけどなぁ」
ハリエットの夫になる人が寛容であることをジャックは密かに祈った。
朝6時半前後、昼12時半前後、夕方6時前後、夜8前後に更新予定。
土曜日に完結予定です。