第6話 悲運の嘆息
どうしてこんなにツキに見放されているのか。
俺の命運はどうしてこんなにも儚いのか。
茶色のソファーに座りながら天を仰ぐようにして独り言をいう寅蔵。
運の無さは折り紙付きだ。子供の頃、くじ引きで負けて近所の保育園に通えなかった。中学生の頃、出席番号が一番というだけで学級委員に選ばれた。大学生時代、仲のいいグループで自分だけ卒業旅行のメンバーに入ってなかった。あれも運がなかったからだ。そしてこの間、映画『マンモス級の涙』の試写会が当たり、守子ちゃんと一緒に行く夢まで見たというのに俺は・・・病魔に犯されて叶いそうにもない。この儚き運命に翻弄され続けるのが俺の人生ということなのか。せめてあの嫌な仕事現場に向かわずに済むのが多少なりともの救いか。
ふと目線を下ろし、磨かれた床タイルを真剣な眼差しで見つめる。
いや、まだわからない。ひょっとしたら大丈夫なのかもしれない。勝手に自分で決めつけて、自分で駄目だと言っているだけかもしれない。運気はバイオリズム。良くなったり悪くなったりするものだ。ずっと悪いということなんてありえない。そうだ!自分で駄目って言ったら駄目じゃないか!己の幸運を信じて、天命を待とう。
「お待たせしました、荒巻紙さん。」
白の装いをした男性が寅蔵に話しかける。
「はい、覚悟はできております。」
「ではお伝えします。結果は・・・」
見える。僥倖の光が。暗闇に閉ざされた殺伐とした俺の心の部屋に、突如として舞い込んでくる希望の光が。
「結果は・・・陰性でした。」
「陰性?どういうことですか?」
「ええ、ですからつまり、コロナではなかったということですね。インフルエンザでもありません。良かったですね。お大事にしてください。」
「コロナじゃないってことは、僕は大丈夫ということですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。ちょっと喉が腫れているだけですから。今日ゆっくり休んで寝れば治りますよ。ではお大事に。」
白衣の男性は背を向けて扉の方へ歩き始める。
「ああ、そうだ。」
足を止め、再び振り返って寅蔵に話しかける。
「もうこの部屋から出て普通の待合室に戻ってもらっていいんで、・・・え?!」
医者が寅蔵を見て驚く。
「どうして泣いているんですか?」
「僕は、コロナじゃないんですね?」
「ええ。」
「僕は、コロナじゃないということは、会社を休まなくていいということですか?」
「はい、そうです。」
「ああ、良かった。良かった。本当に良かった。これで映画の試写会にも行ける。大好きな守子ちゃんを誘うこともできる。」
「ええ、良かったですね。それでは私はこれで。」
「先生、ちょっと待ってください。」
「はい。何でしょうか。」
「診断書はいただけますか?」
「え?ああ、陰性証明書ですか。わかりました。発行するように指示をしておきます。では。」
「あの・・・」
寅蔵は何か声をかけようとしたが医師は足早に奥の部屋へと消えていった。
「よかったですね、荒巻紙さん。」
看護師が別の部屋から現れ、鼻水を垂らしたままの寅蔵に話しかける。
「はい、ティッシュで鼻を拭いて。もう診察は終わったので、あちらの部屋に戻りましょうね。」
「あの・・・」
寅蔵が子供のような眼差しで看護師を見つめる。
「なんでしょう。」
「会社を休んでもいいという診断書を出してもらえますか?」
「は?」
看護師は一瞬戸惑ったが、すぐに冷静になって寅蔵に話しかける。
「陰性ですから、会社を休まなくていいですからね。」
「あ、そうですか。・・・ありがとうございます。」
寅蔵は促されるままに立ち上がり、一般の待合室へと戻っていく。
重症ではないことがわかり、心から安心したものの、休みたかった仕事に行かなければならないことに気がつき、涙が別の意味に変わってしまう寅蔵なのであった。