第7話
あなたをその呼び方で声をかけたのはいつだったか。
それすら今はちゃんとは思い出せないけれど……。
でも、それだけ培ってきた時間を綴った紙束が重ねられていることはなによりも私の誇り。
カフェを後にした。
外の空気は異様に寒く感じ、鋭い氷筍が肌に刺さる感覚に襲われた。
ここに来るまでは感じなかった痛感に、私はまたその現実を実感する。
彼女が大変な身で、ボロボロに傷ついて、もう私にすら這い縋ってしまうほど辛苦の海溝で溺れているんじゃないかと。
そうだと思い込んで必死になっていた私は、気持ちが急いでいて寒さなんて気付いていなかった。
その時点から私は盛大な勘違いは始まっていた。
あわよくば私がどうにかしてあげる手段があれば……甚だしい思い違いをしていた。
そんな純粋無垢で天真爛漫……綺麗な箱なんだとばかり思い浮かべていた。それは綺麗であってほしいという願望を押し付けていたに違いなかった……。
いざ開けてみればそれはむしろよく見てきていたはずの、本来の姿があった……。
まだ未熟なんだと誤認識している傲慢さが、勝手にその理想を貼り付けて剥がさなかったのがそもそもの間違いだったのよね……。
だから、その箱の中身がやっぱり人間の愚かさを示していて。私もよく知っている堕ちた人の行方を顕著に教えてくれていた。
あぁ……結局彼女もそちらが眩しいと思ってしまうのね、と。
そこに縛り付けられてしまった彼女が私を見る目が、明らかに獲物に向けるそれだった。いやもしやするとカモにされていたのかもしれないわね……。
今まで同僚にもあったし、中学高校時代のあまり関わったことのない子から久々に連絡がきたときにもあった。
そして今回のように少し親しくできたと思い上がっていた後輩からもその眼差しを向けられた。
ーーあなたも一緒に幸せになりませんか?
そう信じて止まない囚われた瞳。
本当にそれで幸せになれるんだと信じて止まない瞳。
私にとってはその色がとても幸せだとは思えないのよ……。
切羽詰まっていて困窮していて、渋難している視野狭窄しているそのギラギラした目からはとても思えない。
もっと前を向いて愚直で、真っ向勝負しているくらいキラキラと輝いている目のほうがよっぽど幸せが広がっているように思えるわ。
これはあくまで私の偏見で、独断だけれど。
私は以前最後に会った彼女の目のほうが好きだったのよ。
たとえ思うようにいかなくても、そこに抗うあの力強い瞳が。お金に惑わされるよりも理想とする自分を追い求めるようなあの真っ直ぐな眼差しが。
だからこそ、あのときの目に拘泥した私のせいで、私は自らの首を絞めていた……。
それからしばらく外を歩き続けていた。
最後に見た彼女の顔は、少し戸惑っていて迷いがあった。
それは私がそれでは幸せになれないと伝えたことで、自分の道程に不安を抱いたか。
それとも、万人の幸せと認識したそれを理解できない私に猜疑心が芽生えたか。
そのどちらかの答えを知る術は私にはない。
もう、彼女と会うことはないでしょうから……。
「なんで、こうなってしまうのかしら…………」
人生に正攻法なんてない。
でも、邪道と王道くらいはある。
だけれど、私が見てきたその全ては邪道へと堕落して陥落して墜落している……そんな顛落したハイライトを失った瞳をたくさん見てきた。
もはや私の思う王道こそが邪道なのではないかと思わせるほどにその乖離した正誤の認識がまた私の内部を締め付けて狂わせる。
汗水をたくさん流せば美しいとは限らない。報われない努力だって山ほどある。
でも嘲笑って優越感に浸ってふんぞりかえっているその余裕さが勝ち組かと言われれば、そこが絶景だとは言い切れない。
どちらも経験がない私にはただの憶測でしかものが言えない。
それでも、私が見てきた彼女は……せめて彼女らしく笑っていてほしかった。
自分はなにも進んでいないくせに他人の闇堕ちを結果論で悔やむのは傲慢。この強欲さを渇望する自分が一番醜い。
「もう……いいのかしら……?」
あぁ、もう……なんかもうどうでもいいや。
このままずっと立っているだけでこの寒さが私の命を簡単に奪ってくれるでしょう。
…………でもあなたはそれを許してはくれないのでしょう?
「なら、私は今この場であなたの声が聞きたいわ」
曇天が広がる冷徹な空の下。
私はもう叶わない些細な願いを空に放り投げる。
力なきこの声量では放浪してはあなたの元へ届く頃には音として存在していないでしょう……。
それでもいい。もう、なんでもいい。
ただ、彼女の姿を二度と思い出したくないから。もう一度たりとも現れてほしくないから。
もっと会いたくて会いたくて……それくらい。
会いたくないあなたの声が聞きたいわ。
「はぁ………………」
だからと言って人間の脳みそはそんなに都合がよくない。
消し去ろうと意識すればするほど、意識しているシルエットはその形を彩るから。
…………だからふと片隅に思い出す。
ぶるるるるる…………不意にポケットの中で携帯が震えた。
「…………?」
手にとって画面を確認する。知らない画面だった。
番号もなにも表記はない。かといって名前が表示されているわけでもない。
あるのは、出るか出ないかの二択を選ぶだけのボタン。
「………………」
もし、本当に死ぬ直前に、天からのお告げが届くとするのならば。
こんな感じなのかしら……?
「馬鹿げているわね……」
そう呟きながら、私は耳にそれを当てた。
「やっほお嬢」
それはもう聞くことはないと思っていた声色。
だからこそ、同時に思い出す記憶は辿々しく途切れとぎれで、弱々しかった。
「笑美……なの?」
「うん、そうだよ。久しぶりだね、涙お嬢」
追憶の先に一番はじめに辿り着いたページは。
言うまでもなく、出会ったときと。別れのときだった。
おはようございます雨水雄です。
先週ぶりですね。どうもこれがお久しぶりになるのかまだ頻度の高い交流の一部になるのかは人それぞれなんだとは思いますが、雨水にとってはまぁちょうどいいくらいですね。
本当はもっとぽんぽんとお話を進めていけたら……!とは思ってるんですが、雨水の執筆速度が遅いのと同時にこれくらいのスパンで顔を出すのがしっくりきているのも事実です。
まぁ、それも今だからっていうのもあるんですけど、友達なんかと会うときも、もう今じゃ毎日学校で会えるってこともないですし、1ヶ月会わないなんてこともざらなわけじゃないですか。
だからこそ、積もるものもありますし次会うときなにをしてなにを話してなんて想像を膨らます時間も楽しかったりします。
それに、雨水はアニメが大変愛している趣味なわけなので、そこから派生している感覚でもあるかもしれませんね。
……まぁ、というわけで雨水的にはこの一週間で忘れられてしまわないようなお話しをずっと続けていけたらと。その間自由に雨水の作品の行先を想定して受け止めていただけたらと。そんな楽しみ方を、楽しんでほしいなと僭越ながら思っております。
さて、そんな今週もここまで読んでくださりありがとうございます。
では来週もよければここで。




