第49話(猟犬side)諦めと失意の果てに
目が覚めたときにふとアンゴのことを探してしまった。
彼の誘いを蹴って不毛の荒野に野宿する私のそばに誰もいるはずないのに。
「やれやれ。アイツの言う通り続きをしておけば、未練もマシになったかな」
こぼした独り言と付随する妄想に苦笑するしかない。
血生臭い人生を送ってきた私があんな理想主義者の優男に絆されてしまうなんて。
アンゴは良い男だ。
私の事を利用しようとする男は多かった。
そして奴らは私を縛ったり脅したりして支配しようとするばかりだった。
だがアンゴは愛でて可愛がって、私の歓心を惹こうとしてくれていた。
初めての体験に戸惑ってしまったが今なら分かる。
アイツだけは私を犬じゃなく、ちゃんと人間として見てくれていたんだ。
それにシンシア嬢に対する接し方も紳士的だった。
あれほど美しい少女を掌中に置きながらまったく欲望の対象にしない。
むしろ彼女が得られなかった兄からの親愛を代わりに与えているようにさえ見えた。
正直うらやましくてならない。
幸せな旅だろう。
アンゴの愛情に包まれながら甘い理想を実現するために世界を廻るなんて。
美しすぎて私が触れてはいけないものだ。
私に似合うのは悪どい主人の御機嫌伺いと汚れ仕事だ。
生まれが悪く育ちも悪い。
人もたくさん殺したし、その事を悔やんですらいない。
アイツの差し伸べた手を掴むには私の手は血で汚れ過ぎている。
汚れ仕事の道具として、狗のように這い回る人生がお似合いなんだ。
もっとも、主命を裏切る私に運命の力はどれだけ残るか怪しいものだがな。
10日ほど時間をかけて、グレゴリー家の別邸に着いた。
グレゴリー家の本邸は国をはじめいろいろな組織に目をつけられているため、エドワード様はここを実質的な本拠地にしている。
領主の屋敷も真っ青の五階建ての豪奢な屋敷に広大な敷地。
疑り深い門番や従者のチェックを抜けてようやく執務室にいるエドワード様と面会ができた。
「シンシア嬢の捜索は失敗いたしました。既に彼女は死んでいます」
淡々とそう告げた。
すると、エドワード様は頬杖をつきながらこちらを睨む。
「死体でも良いから連れて来いと言ったはずだが」
「モンスターに食い散らかされてしまったため諦めました。状況報告は書面にまとめましたのでご覧ください」
案外、主人に嘘をつくのは容易いことだ。
自分自身や自分に想ってくれる人に嘘をつく方が遥かに難しく辛い。
エドワード様はサッと書面に目を通すと呆れたような声でボヤく。
「それにしても死体を追いかけるのに随分カネと時間を無駄にしたものだ。ロックよ、損失はどれほどだ?」
ロックと呼ばれた従者はエドワード様のそばに立っている神経質そうな男だ。
その反対側には大柄な男がだらしなく壁にもたれて立っている。
どちらとも見慣れない顔だ。
新顔だろうか。
ロックは縦長の五桁算盤を取り出すと目にも止まらぬ速度で玉を弾いていく。
「当面の資金として渡した現金に加え、信用払いとしていた早馬や伝書鳩代。ヘリオスブルグにおいては魔法資材を掻き集めた際の人件費と購入資金を支部が肩代わり。さらに神聖クローリア王国にても同魔法資材を買い占め……」
算盤の一番左にある白金通貨を示す玉が目まぐるしく動く。
「しめて2億6千飛んで3万2170リピアの赤字でございます」
ロックの言葉を聞いてエドワード様は両手を上げて大袈裟にガッカリとした。
「お前がこれほどの損害を出すなんて記憶にないぞ。軍ならば打ち首だな」
「罰はなんなりとお受けします」
主人を欲しがって、犬のように尻尾を振り続けてきただけの人生だった。
そんな私が主命を裏切り、他人のために命を賭けるのだ。
これほど清々しい気持ちは初めてだ。
「ワシはそんな勿体無いことはせん。お前に聞きたいのはひとつだ。購入した魔術資材はどこにやった?」
「……書面に書きました通り、憲兵に見つかりそうになったので廃棄しました」
シンシア嬢の逃亡を手助けするために譲り渡したなんて言えない。
形骸化しかけてはいるが魔術資材の他国への持ち出しは無許可で行えば密輸に当たる。
無理のないシナリオのはずだが、
「そんな話信じると思うか?」
エドワード様が左手を上げる。
するとそばにいた大男がヌソッと動き出し、私の首根っこを掴み、床に押さえつけた。
「紹介がまだだったな。此奴はヨラン。元は帝国の拷問官だ。拷問官としては優秀だったが素行が悪く借金と罪科にまみれて国外逃亡しておった。今はうちの食客だがな」
「エ、エドワード様!? 何を!?」
焦りうわずった声を上げる私にエドワード様は嗜虐的な笑みを浮かべ答える。
「売っ払ったか、どこかに隠したか。答えよ」
「だから憲兵に————」
べキリ、という音が骨を伝って聴こえた。
直後、中指の付け根に激痛が走る。
「〜〜〜〜〜〜ッッ!!」
「こんな時も声を上げんのか。もう少し可愛げがあれば慰み物として売る価値もあったんだろうがな」
エドワード様は怒っているわけではない。
極めて平静だ。
私を疑っているというより、横領してくれていればカタリスト代を回収できるから儲け物だとでも考えているのだろう。
さらに悪いことに私を押さえつけるヨランの力は強い。
運命の加護が働いていたとしても歯が立たないくらいだ。
「ご主人様ぁ。口さえ残ってれば好きにしていいですよね?」
「バカめ。耳と目も残せ」
「それも片方あれば十分だろぉ」
ぼんやりした喋り方のくせに発言が物騒すぎる。
悪徳拷問官というのも納得だ。
いっそ舌を噛み切って死んだ方が————
「ふぐっ!?」
ヨランの太い指が口の中に突っ込まれた。
「まずねぇ、歯を抜くんだよぉ。気丈な女は舌を噛み切るからさぁ」
悪臭漂う不潔な指に吐き気がした。
これから始まる残虐行為に怖気がするがそれ以上にエドワード様に容易く切り捨てられたことがショックだった。
エドワード様にとって私は1億に足らないカタリストよりも価値がないと判断されたわけだ。
これでも真面目に働いてきたし尋常ならざる成果だって上げてきたのに…………
いや、私の人生なんて、いつもこんな感じだったな。
諦めと失意の感情が黒い雪のように降り積もり心が埋め尽くされていく————そんな時だった。
ズガッシャアアアアアアーーーーーーーーーーーーン!!
「な、なんだ!?」
凄まじい破砕音にエドワード様は狼狽え、ヨランは私を放って身構えた。
この隙を逃す手はない!
地面を叩くようにして身体を浮かせ走って逃げ出す。
即座にヨランは気づいたが、かろうじて手をかわし部屋の外に。
執務室のある四階の廊下には誰もいない。
躊躇うことなく窓を開け放ちそこから飛び出そうとした。
しかし、すんでのところでヨランに髪を掴まれてしまう。
「くっ! 離せっ!!」
もがいて暴れるが歯が立たないどころか怒りを買ってしまい、窓のガラスに頭から突っ込まされた。
「うぅ…………」
顔中がガラスで切れたようで痛みが走っている。
こじ開けるようにまぶたを開けたその時、眼下に写ったのは目を疑う光景。
巨大な鉄の小屋がこの屋敷の一階に突き刺さっているのだ。
あの凄まじい破砕音はあれが衝突し窓や壁をぶち壊した音だったのか?
「なんだぁ!? アレは!!」
エドワード様が悲鳴にも似た声を上げた。
それに応えるように、
『おいコラァ!! オルガを出しやがれぇっ!!』
拡声魔術で増幅された大音声が屋敷を震わせた。
ブオオン、ブオオンとけたたましい唸り声。
パラリラパラリラと甲高い鳴き声。
大型モンスターの来襲だと屋敷中が泡を食っている。
だけど私だけは、私だけは心が高鳴って仕方がない!
『早くしねえとこの屋敷ブッ飛ばすぞワレェ!! 黙ってオルガをこちらに渡しやがれぇっ!!』
ガラの悪い物言いをしてもすぐ分かる。
アンゴの声だ……
本当に私を救いに来てくれたのか!!