第94話 絶望の中で壊れて引き上げられて
これは、分かっていた事だった。そしていつもの事だった。
調整中に必ず俺を蝕む毒……いや、猛毒。致死量なんて言葉が可愛いぐらいのこれは俺の精神を壊すのには十分で、俺を初心に戻すには十分な楔だ。
至る所に散らばる髪も。辺りを塗り潰さん勢いで広がる血の海も。バラバラ過ぎてどれが誰の物だったのかも、どれが死んでほしくない人の体だった物でどれが死んでほしかった人の体だったのかも分からない地獄絵図。
戦争なんて、蹂躙を目的とした戦争なんてこんな物だ。
まるで雑草を踏み潰すように、除草剤の類でも蒔いて偶然虫が死ぬような物。その虫が元は人だったのか、それとも本当に虫だったのかも確かめられないままに。
建物は瓦礫の山と砂塵と化して。
畑は踏み荒らされて二度と実を成さない。
蹂躙されてしまった命が戻る事も、新たな命が宿る事もない。
ただそこに残るのは血や死肉を糧に成長する有害な植物と、それらを食べる穢れた獣とそれに蔓延る病。そして、無惨にも死んでいった者達の相手を選ばない怨念。
やがて一定量集まったそれらは力を持ち。意思を持ち、目的を持ち、近寄る全てを仲間にせんと手招いて常に腹を空かせる。
幼い頃の俺は、それが酷く恐ろしく思えた。
今は陛下の為ならば喜んで戦争を行い。敵将の首を討ち。血と硝煙と汗と瘴気と死の気配に塗れて国家の矛となる癖に。
それでも、この調整期間だけは。この期間だけは心があの頃に戻る。
やめ……てくれ。もう、許してくれ。
怖い。目に映る全てが、赤と黒をひたすらに量産する圧倒的な力が怖い。
恐い。不幸と絶望を作っている癖に、楽しそうに笑っている全てが恐い。
俺の深い所で息をして、俺の深い所で消化出来ずにこびり付いている陰と影が俺を掴んで離さない。どんな抵抗も無駄で、どんな逃走も無駄に終わる。
まるで、終わりのない沼の中に沈んでいるようで。そうしばらくしないうちに、息が出来なくて死ぬ。
深く、濃く誰にも来れない場所へ落ちて沈んで埋まって消えて溶けて分からなくて
「―――ティア。」
「……。……へ、い……か?」
「大丈夫、もう調整は終わったわ。……もう大丈夫。今の貴方は無防備でもなければ弱くもなく、知識に乏しい訳でもない。何も怖がらなくて良い、ただ私達と共にあってくれればそれで良いの。……大丈夫、大丈夫。もう寒くないからね。」
まるで死屍累々になりながらも戦場に1人残され、今にも死にそうになりながら敵軍を殲滅していたのでは思える程に心拍数の上がった体と疲労。
その影響もあって酸素が足りず、全く以て頭が回らない。ただただ意味の分からない涙が溢れ、過呼吸気味の呼吸を「止めてはならない」という謎の脅迫概念に迫られて続けている。
それを、陛下が和らげてくれる。
懐に抱き込んで抱き締めて。優しく頭を撫でて「大丈夫」だとひたすら声を掛けてくださる。
ストレスの所為で陛下達が俺を拾ってくれた時から患っているこの心因性の息苦しさを伴う痛みも、次第に安らいで気持ちに余裕が出来てくる。
「そう、そのまま……そのまま。何も恐れなくて良いの。そこでただ安らいでいて。余裕がない時に元気なふりをする必要なんてないの。ただ縋って甘えて頼れば良いの。私達は何があっても貴方の味方よ、ティア。」
痛い。その優しさですら。
辛い。その温もりですら。
怖い。その愛しさですら。
あの夢を見ると、あの記憶を見るといつもこうだ。
何もかもが怖くなって、何もかもが苦しく辛くなって動けなくなってしまう。泣いた所で、流した所で仕方ない涙を止める事だって叶わない。
それでも陛下から注がれる全ては途絶えない。何を求める訳でもなく、何を急かす訳でもなくただ俺が嫌がらないからという理由だけで温かく、優しく注がれるだけ。
怖い癖に、発狂している癖に、怯えている癖に、パニックを起こしている癖に、他に頼れる相手も。縋れる相手も居なくて陛下の服を掴むと共に精神が。メンタルが限界を迎えて意識が吹き飛んだ。