第85話 それでも俺は
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『生と死の概念についてのレポート』
1年C組 トルカ・シュエル=ケリューカ
生と死。人間に関わらず、命を持っている限り必ず生と死があると思います。同時に、限界がある生命たる人間が作ったからこそ俺達が日常的に使う物も皆寿命があるんだと思います。仮に、プラナリアが知性を持って何かを作ればそれこそ、無限に使える寿命のない物が作られてしまうのではないかと思います。
理由として、人間は不死身の作り方や無限を作る方法を知らないからです。以前、幼い時に。ルシェル達と会うずっと前の家系の事もあって友人が居なかった頃、俺は妖精達に遊んでもらってたんです。あの子達に “始まりも終わりも誇れる物になさい” と言われて、“俺じゃあ絶対無理だ” と思ったのを今でもよく覚えています。その気持ちは今も変わりません。
俺の家、ケリューカ家は代々精霊や妖精、天使達のような隣人達と深い関わりがある家だそうです。家の文献なんてほとんどがそれで、俺の祖父の代で天使。俺の父の代で妖精や精霊達との繋がりが絶たれました。……だから、俺が無邪気にも、無警戒にも隣人達と接触し過ぎた所為で2代に渡って失われていた繋がりが元に戻ったと喝采され、お家の為にその身を捧げと何度も恐喝されました。
……繋がりを保ち、更なる繁栄を願って。隣人達が使う、特別な魔法なども隣人達なしで行えるように魔法具にしようなんて事を考えているとかも聞かされました。俺と遊んでた所為で両親に捕まってしまった隣人達も居るんです。俺の、所為で。
だから多分、まだ皆父さん達に利用されてるんです。……助けられない自分の無力さが酷く悍ましい。
実は、自殺をしようとした事も何度かあるんです。まぁ、皆隣人達に止められて、最後の1回はルシェルとセイズに止められました。
……でも、今の生活が送れるなら俺はあの時救ってもらえて本当に良かった。先生に会うまで、先生に理解してもらえるまで俺はずっとずっと死にたかったんです。勿論、ルシェル達と居るのは楽しいんですよ? ……ただ、今でもたまに「戻ってこい」と父親から手紙を貰う事があるんです。……ですが、ルシェルの家に居候してた時はかなり頻度が減っていて、勿論警戒もしてますがそれでも今は苦しみを少し上回る程度には幸せなんです。苦しいけれど、グレイブ先生やルシェル達とグレイブ先生から課せられた問題を解く為の意見交換とかのお陰で苦しみよりも幸せの方が勝っているので今しばらくはまだ、頑張れそうです。途中で何もかもが嫌になって自殺したらごめんなさい、先生。
……でもやっぱり、幸せの方が勝ってますがどうしても辛い時間帯もあるんです。夢に出てきて真夜中に起きたり、長時間眠れなくてめっちゃ早くに起きた時とかは、本当に怖いんです。皆寝静まっててとっても静かで、怯え交じりに名前を呼んでも当然返答はありません。怖くて……怖くて、仕方ないんです。
もし、自殺せずにまだ少し生きる事が出来たなら、ルシェルのような痛みを知らずとも痛みを理解してくれるような人達と、自分のように苦しんでいる人達を助けたい。勿論、父さん達に捕まってる隣人達も。 】
「……早速権力を行使する事になるとはな。」
多種多様な種族が存在する俺達知的生命体に人権が認められているように、当然ながら燐獣にも、精霊達にも、妖精達にも、あらゆる生き物には自我がある。そして、それを何者かが拘束する権利も、制御する権利も存在する訳がない。
それでも特に、人間という生き物はその欲深さで他の種族を害し、そして時にその自由を。その命を当たり前のように奪う。何とも愚かしい限りだ。
証拠がない以上、今はまだ家宅捜査レベルでしかないが……場合によっては最高刑も考慮、だな。