第38話 分かってる、これは全て俺の我儘なんだ
「うん、満足。」
「そ、それは良かったよ……。」
「う、うぅ……? ま、まさか急に歴史のクイズ始まると思ってなかったんけど、先生って昔からこんな大人だった……?」
「僕は楽しかった。」
「丁度先生から貰った本の内容だったからだろ。」
「うん、そう。」
「お前だけイージーモードしてんとちゃうぞ。」
「結構内容は難しかったもん。」
「お前にもんとか言われても可愛ないっての。」
「にしてもこれを遊びと言うのか、先生は……。」
やっぱり俺達の自慢の先生だな。
そんな先生は本当に満足が行ったらしく、目の前の先生はかなり満足げだ。
いつの間に姿が変わったのか、夜空を落とし込んだような、まるでその肌が別の生き物だと言わんばかりに模様が変わり、脈動し、溝のない鱗の生えた爬虫類系の両腕と両足に。頭には髪を掻き分けるように顔を出し、有り余っているらしい魔力を常に放出し続けている透明の水晶のような角を生やして。黒曜石のような反転目に、全てを見透かさんばかりの落ち着いた血よりも暗い、爛々と輝く紅色の猫目へと変貌しているのが確認出来る。
ただ今更それに驚くような俺達でもない。
先生に関われば俺達が知らない事が良くも悪くも一切の差別なく知る事が出来て、痴れないよりもずっと良い。危険だからと遠ざけるのではなく、どう危険なのかを教えてくれて、もし何かあった時に対処出来るように教えてくれる先生の教育方針の方がずっと良い。
だからこそ、時々見えるぴょこぴょことご機嫌なのか、左右に一定のテンポで動く尾にそっと触れて。鱗を撫でてみればどうにもご満足いただける行動らしく、優しく微笑んでくれたその笑顔はこの図書館のように何処かお淑やかだ。
俺達は先生がずっと、そうして笑っていてくれれば満足なんだぞ。
しかし、その表情は直ぐに陰ってしまう。
「……私ね、ここでお迎え待ってるの。でも、でも楽しかったよ、お兄さん達と遊ぶの。」
「お、お迎え?」
「そう、お迎え。私ね、向こうに行ったらお勤めを果たさないと駄目なんだって。だから沢山勉強しなくちゃいけなくて、沢山の事を理解しなくちゃいけなくて、沢山の事に順応しなくっちゃいけない。責任とか、義務とか、そういうのに縛られないのは今だけなんだって。……燐獣としての私が死んで、人間になって、煌星の輝きに魅せられて溶けて再構築されるの。」
「煌星の……輝き。」
「ルールゥ先生。」
「ルールゥせんせ、煌星の輝きって……?」
「僕もその言葉は初めてで……。深影の銀眼、どういう事?」
「煌星の輝き、と言う……まぁ、お前達の言う所の三途の川か。この魂魄幽界では命の流れを煌星の輝きと呼んでだな、お前達の死後の世界、三途の川が命を流す川のように。死後の世界と現世を分け隔てる川のように、その川を越えて生まれ変わる為に通る川を煌星の輝き。あの世に落ちる事を幽星の輝きと呼んで区別するんだ。まぁ、大抵は幽星の輝きに迎えられる事が殆どだがな。」
「じゃあ、ここって……。」
「……煉掟卿の口ぶりからして、煉掟卿が廻らなければならない最後の幻夢書架らしいな。」
「……でもね、お勉強してる中でこれも知ったの。人間さんって、異質が怖いんでしょ? もし、もし……。……もし、姿もこのまま向こうに行っちゃったら化け物だって言われて、銃口向けられちゃうんでしょ? か、仮に殺されなかったとしてもじ、実験室送りだって! ……私、し、死ぬ為に、飼われる為に向こうに行くの……? なら、それなら私は」
「先生。」
深影の銀眼の言葉が正しければ、ここは先生にとって最も思い入れのある記憶で。そして何より、ここは先生が俺達の知っている先生になる前の先生だ。
まだ煌星の輝きとやらに迎えに来てもらえていなくて、そもそも論として俺達とは世界線……と、言うよりは世界の層が違う場所に居る頃の先生。
だからこそ、ここで先生をこのまま壊してしまったら俺達はまた、俺達の知ってる先生に会う事が叶わない。
幾ら何でも夢なのだからここで何かをした所で今や未来が変わるとは思えないが、それでもここで肯定してしまったら。それしか存在しない世界だと肯定してしまったら、今の先生の夢を壊してしまう。
先生。これが先生の夢なら、実際の記憶では俺達以外の誰かに希望を貰ったのでしょうか。……でも、今は俺から希望を受け取ってくれませんか。
分かってる、こんな事はただの独占欲で、自己満足だ。
ここで俺の都合の良いように先生を騙して、俺の都合の良いように話の流れを持っていこうとしているだけ。醜い事は分かってる。
でも、傍に居てほしいんだ。
「……先生。何も、人間だからと言って全てが悪い訳じゃないですよ。」
「で、でも、他の人達よりは」
「確かに、人間は他のエルフとか、燐獣達に比べれば人間は固定概念で動きがちです。直ぐに白黒就けたがって、自分の目的を果たす為に何でもしてしまう生き物です。」
俺も、そんな人間ですから。
「でも先生。……それでも、全部がそうだって言う訳じゃないんです。中にはちゃんと分かってくれる人も居て、ちゃんと味方になってくれる人だって居ますから。」
「ほん、と?」
「はい、本当です。少なくとも俺達は貴方を虐めませんし、差別しませんし、区別しませんし、害したりします。俺達は貴方に救われて、救ってもらったからこそ救い返したいだけなんです。……だからお願いします、先生。俺に、俺達に先生を救わせてください。俺達はただ、貴方の味方であり続けたいだけなんだ。」
先生の涙が増える度に、図書館が揺れる。
それに慌てた皆が叫んでる声が聴こえる。
でも、そんな事は今どうだって良い。
―――ただ、笑ってくれれば俺はそれで満足ですから。