第36話 全ての叡智が眠る狭間の幻夢書架
ふと、意図せずに浮かび上がった意識をトリガーに心臓が動き出し、ゆったりと血液が循環していく順番でどんどん体のあちこちの機能が起動していく感覚に揺られながら、ようやっとぼやけていた世界をはっきりとさせた視界が描く世界は幻想その物だ。
まだ光の差し込む海底。けれど珊瑚礁のように浅い訳でもなく、深海のように深い訳でもないここは酷く落ち着いていて、酷く居心地が良い所だと思えた。
それぐらいの光源で、それぐらいの配色で彩られたこの場所はどうやら図書館らしく、時々は空中を遊泳するかのように本がす~と移動していったり、静かに。ひとりでに本棚に戻ったり、逆に本棚から飛び出して移動をしたりと様々だ。
ここ、は……。
「あ、ルシェル!」
「お、起きた? 大丈夫?」
「あ、あぁ……。何とか。……ここが先生の夢の中、なのか?」
「うん、そうみたい。今ちょっとルールゥ先生がちょっとだけ周りの様子見に行ってはるからここおるようにって。」
「体……起こせる?」
「悪い、手を貸してくれ。」
「うん、分かった。」
体を起こして、更に世界が拡がる。
この丁度良いぐらいに暗く、丁度良いぐらいに明るい明暗を演出しているのは本と同じく空中に固定されているかのようにぴくりとしない、あのランタンによる産物だ。
1つだけ中央に鬼火と思われる炎が鎮座し、その周りを同じ蒼色をした蛍のような物が舞っているのも確認出来る。
先程は見えなかったのだが、まるで数ある本棚の上天板を埋め尽くすかのように。そこを彩るかのように、その高さまでにしか降ってこない白い光がまるで雪のように空中で溶け、また新しい雪が降り注いでいるのですらも確認出来る。
「……綺麗だ。」
「……幻夢書架と呼ばれる所だ。」
「な、り、燐獣?」
「僕の契約獣だよ。深影の銀眼って言うんだけど……ここへ入り込んだ時にティアが呼び出しちゃったみたいで、僕も戻すに戻せないんだよねぇ。」
元より蛇っぽい所のあるルールゥ先生もそうだが、深影の銀眼に関しては完全にグレディルア先生と同じく竜人だ。
生憎と頭から膝の辺りまで真っ黒なローブで耳を包んでいるのでその顔を見る事は出来ないのだが、それでも十分にかなりの高身長ではある。
大体190㎝ぐらいか……?
「幻夢書架とは……?」
「確か、燐獣達の住む輪廻零界にある図書館の事だったよね、深影の銀眼。」
「あぁ。……幾つかある内の1つを再現しているように見える。よっぽど気に入っているんだろう、煉掟卿は。恐らくだが深叡なる揺籠と呼ばれる幻夢書架だとは思うが……生憎と私も実際に足を運んだ事がある訳ではない。断言は難しいが、特徴的にはそれが最も近いと思われる。輪廻零界の外宇宙に存在するもう1つの世界、魂魄幽界と言う……まぁ、魂だけが漂うか。はたまた我々でも神と呼べる程に力を持つ者が居るか。はたまた、煉掟卿のように特殊な運命の元に生まれた者達が自我を持って旅する事を許された世界。我々燐獣にとっても神に近しい存在である彼らは本体を魂魄幽界にて漂わせ、煉掟卿のような特殊な運命の元に生まれた者に知識を与え、学習させ、清く正しく邪魔もなく育てていく場所。……それが、幻夢書架が作られた理由であり、幻夢書架の存在意義。彼女にとっては深い思い入れがあってもおかしくはないさ。」
「……先生が生まれる前の。いや、先生に所縁のある場所。」
「あぁ、その認識で間違いない。……しかし、逆を言えばここからそう簡単に出ようと思わない場所でもある。本当に彼女の帰還を望むなら、早急に起こしに行く事を勧める。」
「うん、そうだね。ルシウス君さえ大丈夫ならそろそろ動こうと思ってるんだけど……どうかな。」
「はい、問題ありません。先生を探しに行きましょう。」
「うん、じゃあ着いてきて。結構歩くけど、一応ティアの魔力みたいな物は掴んだから。大体の方角は分かるよ。」
「なら直ぐ行きましょう、ルールゥ先生。変に時間を浪費する訳には参りません。」
早く、早く先生を見つけなければ。