第35話 謳い継がれる永語
……あれ。
「あ、ルールゥ先生!」
「ルールゥせんせ、グレイブせんせを見てませんか……?」
「時間になっても来ないんだ。」
「え、僕もティアが先に来てる物だと思ってたんだけど……。ティアの部屋、さっきノックしても反応なかったし。それに僕、今日は来るからお出迎えお願いねって言ってなかったもん。」
「お出迎えって。」
「完全に家帰った時に走ってきてくれる猫とかの扱いじゃん。」
「……ルールゥせんせ、狡い。」
「え、狡い? な、何が?」
「でもそろそろ気候も変わる頃だし……もしかすると先生も早めに夏バテ、とかか?ルールゥ先生、グレイブ先生の部屋にもう1度行ってみよう。何か変化があるかもしれない!」
「ま、まぁティアはそんなに体が強い方じゃないって言うのは事実だけど……。」
「じゃ見に行こ! もしかしたら先生、倒れてるかもしれないですし!」
そこは……だ、大丈夫だと思うんだけどなぁ。
常々思う、この子達の行動力はブレーキと言う物を、一度思い留まって考えると言う事を知らない。
まぁ勿論それが良い風に転がる事もあるのだろうが、個人的な経験論から言わせてもらえばかなり危なっかしいと思うのが正直な所だ。
しかし、だからこそあのティアが入れ込んでいると言うのも、もしかしたらあるのかもしれない。
人が嫌いで、孤独が好きな訳ではないが慣れてしまって、輪に入るよりも外から見ている方が気楽だと思ってしまったあの子に一筋の光を与えてくれるから。
少なくとも最初は陛下の認可なく行われていたこの先生の真似っこも、今では正式な物となった。
書面上はティアの負担を減らす為とはあるが、そもそもとして僕もティアも軍人だ、たかが子供の相手をするだけで疲れるなんて事はまずそうそうない。
陛下もティアには甘いからなぁ~……。
ただ、ティアはこの前生まれ変わった所だ。流石にもう体調を崩すような事はないと思いたいのだが、それはそれとして今のティアはもう、僕達のよく知る人間じゃない。
まだまだ研究も解析も追い着いていないあの燐獣に近く、見た目からするに人間ではなく竜人の血が強いようにも見受けられる。
だからこそ、もしかすると同じく研究の進んでいない竜人の体質的な物。又は、燐獣の体質的な物が要因となって眠り込んでしまっている可能性は大いにある。
元の体と今の体では何らかの大きな差があって、それが合わなくて
……あ、れ。
「……え。あ、あのティアが施錠忘れ……?」
「珍しい事なんですか?」
「そんなに普段からしっかりと施錠してるのか?」
「う、うん。ティアは元々警戒心高いし、部屋に自分が居ようとも、出掛けていようとも必ず締めるよ。どれだけ体調を崩してたって」
でも、ここは王城じゃない。
そもそも論として、あの校長だって元はティアの凝り固まった神経を和らげる為にと、そういう目的でここを提供した。
なのでもしかするとティアは軍人でありながらも民間の中では、こんな紙結界の中でも気を緩める事を憶えたのかもしれない。
しかし、度合いによるとそれは命取りとなる。
この隙を突いて誰かがティアの命を狙うかもしれず、寝首を掻くかもしれないのだからせめて扉は締めるようにと、戸締りはしっかりするようにと言わなければならない。
半ば呆れながらも寝室に足を踏み入れて、固まった。
「……おい、謳い継がれる永語。ティアを何処にやった。」
【人に物を尋ねる時は、普通自分の方から名乗るのではなくって?】
「はっ、誰から招かれた訳でもないのに、不法侵入しておいて言う奴の言葉とは思えないね。」
【……確かに。では改めまして、私は貴方の言う通り謳い継がれる永語が1体、≪深淵からの呼び声≫。今回は≪其れは永久の安らぎだった≫に頼まれてきたのよ。】
「≪其れは永久の安らぎだった≫から……?」
「そ、≪其れは永久の安らぎだった≫がせ、せんせを傷付けろって……?」
【あら、私は一度もこの子を傷付けろって言われてきたとは言ってないわよ。……ただ、よく無理をする傾向があるからしっかりと休ませてくれってお願いされただけ。だからこの子も、ただここでゆっくり休んでいるだけよ。】
ベッドその物を隠すようにして寝室に陣取っていた、真っ白い毛並みに夜空色のような眼だけは綺麗なそれが少し動く。
その結果、ようやっと僕達のティアを見る事が叶う。
まるで陛下の抱擁の中に居る時と変わりなく、かなり脱力した様子で深く眠り込んでいるティア。
あれはきっと、ある程度騒いだ所で目が覚める物ではないだろう。
ただ、聞いている限りだとこの≪深淵からの呼び声≫は≪其れは永久の安らぎだった≫からの要請を受けて此方に来た……と、なるんだろう。
一応行動自体も彼女の言う通りであり、あれだけ不眠症の傾向があるティアも安眠している様子だ、今の所は少しばかり警戒を弱めても良いかもしれない。
まぁ、結局は緩めるだけだけど。
「……実は二度と目を覚まさないようにしてるとか、君の干渉がなければ起こせないとかそういう事をしてるんじゃないだろうね。」
【望まれなければ勿論しないわよ、そんな事。】
「望まれればすると。」
【えぇ、勿論。私は今回、≪其れは永久の安らぎだった≫からの要請に従ってこっちに来た訳だけど、だからと言って主様の意見を無視する気なんて欠片もないのよ? ……まぁ、そうしなければ主様の健康に被害があるのなら私も考えるけど。】
「……先生の夢の中に入る事って、出来たりしませんか。」
【え?】
「確かに、先生は深く眠り込んでいるようにも見えます。でも疲れてる時の睡魔なんて、こんなにも長い間眠り込む程の睡眠に薄らとした悪夢の類が入り込まないなんてどうして言えるんでしょうか。一見安眠しているように見えて、実は魘されていたりはしませんか。」
「俺もルシウスとおんなじ意見です。先生、眠り込んではいはるけど安眠してるようには見えません。」
「せんせって、意外と弱みを見せるの苦手ですから。」
促されるように再度視線を投げるも、確かに彼らの言う事にも一理ある。
眠っていると言うよりも戦場で僕達が殺した敵達がその四肢を地面に、戦場に投げて目を閉じているように、全く以て力が入っていない状態で死んでいるように見えなくもない。
彼らと決定的に違うのはその目の下に薄い隈が刻まれている事と、そしてやんわりと布団を握り込んでいる事。そう考えると一見安らいでいるように見えて、実は魘されているのかもしれないと勘繰るも、何もおかしい事ではない。
……本当、よく見てる。
【……分かったわ。但し、主様に少しでも害があれば強制的に弾き出すからね。】
「あぁ、勿論だ。俺達の言葉で先生を傷付けてしまうような事があったらそうしてくれ。」
「俺らも、別に先生を傷付けたい訳やないんです。……やからそうしてください。」
「僕達はただ、せんせに安心してほしいだけだから。」