第28話 形にならない過去の亡霊に囚われて
「てぃ~あちゃん♪」
「……。」
「……お返事くらぃ、してほしいのだけれどぉ。」
「……何か用か、師匠。今、忙しいんだが。」
「凄い資料ねぇ……何の資料?」
「……煌星の夜想曲の資料。」
「相変わらず勉強熱心なのねぇ。」
……。
「……何の用だ。」
「愛しのティアちゃん。そろそろぉ……貴方も慣れてもらおうと思うのぉ。」
「慣れる……? 何に。」
「本音。……まだ、怖いんでしょぅ?」
急に俺が研究中に部屋へやって来たかと思えばいつものように俺を軽々抱き上げた挙句そのままベッドに乗せて。ミティアラは変わらず立ったまま、人の肩をしっかりと掴んで動けないようにしたこいつはとんでもない爆弾を投げる。
だが俺は既に知っている。こいつが扉に魔法で鍵を掛けた事を。この部屋に結界を張り、外の音も中の音も行き来出来ないようにした事も。
……はっ、
「……俺はいつだって本気で本音で喋ってる。」
「……。」
「嘘じゃねぇよ。思ってもない事は言ってない。そりゃ……と、時と場合、人によっては言葉を選ぶ、けど嘘……なん、て。」
「……。」
「こわ……く、ない。嘘、も言ってない。ちゃん、ちゃんと、俺の言葉と意思で喋ってる。」
「……。」
そっと肩から移動して首を隠すかのように覆う師匠の手。この生暖かさはミティアラの手から来る物なのか、それとも俺の体温が上がっているからなのかは分からない。
少なくとも分かっているのは今のでかなり心拍数が上がり、首を絞められている訳ではないのに息苦しくなり、呼吸が荒れ始めた事。いつもお喋りな癖して静かに、感情の読めない表情でただ此方を見下ろす師匠が恐ろしくて仕方ないという事だけ。
どんどん恐怖が強くなって息の仕方を忘れ、刻々と浅くなり。やがては息が出来なくなる、といった所で首にあった手が顎を。頭部を支えるように添えられ、大きい師匠の手に。指に後頭部までしっかりと支えられ、それでも目を合わせられて気が狂いそうになる。
酸欠で頭が真っ白になって、何も考えられなくて、視界が大きく揺れるのも分かる。
……こ、
「……こ、ろさなぃ、で。」
「……やっぱり。もう、大丈夫だって何度も伝えたでしょう?」
「ころ……さ、な……ぃ……で。」
「殺さない、殺させないし、殺すなんてありえない。……ティア、貴方は私とジルディルの可愛い愛娘なのぉ。弟子なんて枠組みはとうに壊れてぇ、私達の何よりもぉ大事な娘なのぉ。だからぁ、護るのは当然なんだからぁ。」
優しく、でもしっかりと抱き込まれて後頭部を優しくゆっくりと撫でられて。背中は優しく摩られて肩に口を押え付けるように持たれさせられて身動きが取れない。
恐怖は一向に収まらず、涙が溢れてきた所でまた別の所から体を捉えられて引き寄せられ、ベッドへ寝かせられたのが分かる。でも、そこまでが限界だった。
遠くで聴こえる女性と男性の話す声。全力疾走した後のような激しい息継ぎのような音に、妙な息苦しさ。体が火照って、世界が回るような感覚はやがて幻覚へと姿を変える。
視界いっぱいに、同じ髪色と目をした輪郭が不安定で泣き叫んでいる人が複数見える。
何人かは此方に手を伸ばしながらもだらだらと涙を流し、大きく口を開けている。遠くでは子供らしき者の手を取って走るも鎧らしき物を着た何者かに背中を斬られて座り込んだ挙句、子供を殺されてから絶命する母親らしき者が見える。
声は、聴こえない。でも間違いなく私に対する呪詛であるはずだ。そうじゃない訳がない。ずっとずっと何かを喚いて嘆いて苦しんで、大きな2つの手が
「ティアちゃん!」
「ティア。もう大丈夫じゃ。……さぁ、落ち着いて深呼吸を。大丈夫じゃて、わしらが着いちょる。……何も怖がらんでええ。」
まだ、視界は大きく回っている。それでも頬を優しく撫でながらも酷く心配した様子のミティアラと優しい表情で微笑みながら背中を撫でてくれている。
それでも恐怖は収まらず、はらはらと涙を流していれば抱えられ、ジルディルの膝の上に乗せられて優しく抱き込まれてはぽんっ、ぽんっ、と脇腹の辺りでリズムを刻まれて。ミティアラに優しく頬を包まれながらも撫でられ、優しく額にキスをされても酸欠の所為か何もはっきりしない。
分かっているのは、もう大丈夫という事だけ。ジルディルが助けてくれて、ミティアラが切り替えてくれたから。
「……ごめんねぇ、ティアちゃん。まだぁ、そんなに酷いとはぁ思わなくてぇ。」
「ティア、わしはティアの方から話してくれる日まで待つからな。じゃから、もうしばらくわしらに護られとれ。」
ミティアラ程の技術力と知識量はないが、ジルディルだって魔法が使えない訳じゃない。あくまで少ない魔力量と使える魔法数が少ない事を気にしてあまり使わないだけで。
もっと言えばジルディルは頭で考える前に体が動くタイプなのもあり、難しい事を考えるのが得意じゃないとも言われた事がある。
そっと抱え直したかと思えば膝を立てるように寝そべらされ、膝の辺りでジルディルの傷だらけの掌に支えられた綺麗な水色の淡い光球を見ていると不思議な事に気が緩む。
緩んで、落ち着いて、段々と力が抜け始めた頃にはミティアラが同じように蒼い、淡く光る小鳥を幾つも作り出しては周りで遊ばせたり。体に留まっているのが分かるもだからといって感覚はない。
「大丈夫。……大丈夫。疲れたら休んだらええ。……わしらは何処にも行かんのやから。」
「ちゃぁんと私達が護ってあげるからねぇ。……だからぁ、ゆっくり休んで良いのぉ。」