幸せの始まり
翌日。いつもの見飽きた夢から醒めた俺は、陰鬱とした気持ちで『早めに学校に行って、花壇の世話をする』と書かれた貼り紙があるドアを開いて、本だらけの部屋を出る。
どの本の内容も、大まかな内容しか記憶出来てないが、読書自体は好きだから毎日読み漁っている。たぶん同じ本を内容忘れたからと何十回か読み直してるだろうな。
リビングに着いた俺は、葵のために適当に目玉焼きとベーコンを焼いておいて、昨日書いた日記の内容を見る。
ちなみにそこの壁には『朝起きたら前日の日記を読み返すこと!』とでかでかと書かれた紙が貼られている。葵が書いたものだ。
「……確か天津川って女の子が、しつこく何かを聞いて来た気がするんだが…」
自分でも少し驚いているんだが、天津川というハーフの名前を憶えていた。と言っても苗字だけで、顔は憶えてないが。
でも流石に銀髪は憶えている。印象深いしな。今日の内に何の関わりも無ければ、完全に忘れるだろうけどな。
「……………そうだ。好きな食い物と嫌いな食い物を聞いて来たんだ」
日記を読み返して、昨日の出来事を思い出す。周りの連中が完全に俺を悪者扱いしてきて、非常に腹が立ったのも含めて。
だから出来れば日記には残しておきたくなかったんだ…。
「つうかこれだけ見ると、恩返し的なアレで何か渡してきそうだな?……まぁ、ありがた~~~く貰っておくか。ありがた~~~く、な」
葵に言われたっぽい言葉を口にして、俺は学校に行く準備をして、すぐに家を出た。
そろそろ部屋のドアの貼り紙を外しても大丈夫そうか?……いや、忘れたら怖いから張っておこう。
花を枯らしたら、もう顔も名前も忘れた母さんに怒られる。そんな気がした。
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花壇の世話を終えて、特に何事もなく円滑に進んだ授業を受けて、現在は昼休み。
そういえば記憶障害の俺ってテストの点数はどうなってんだろう?と考えながら、コンビニで買った菓子パンを取り出す。
だがそこで、一人の女の子から声がかかる。
「あ、あの!よろしい、でしょうか…?」
そんな声が教室に響くと、ザワザワとクラスメイトが騒ぎ出す。
ただ一人の女の子から声をかけてくるだけなら、そこまで騒がしくならないだろう。普段接点が無い者同士でも、プリント回収とかその辺の学校関係で喋ることだってあるだろうからな。例えそれが目の前の銀髪美少女であってもだ。
しかし今回は明らかにそれとは違う。彼女の手には小さめのお弁当箱と、どう見ても育ち盛りの男子高校生用のデカい弁当箱があるんだからな。こんなの傍から見たら……
「え?ちょっと天津川さん……その大きなお弁当箱は何?完全に三澄用に見えるんだけど?」
またいつの間にか近くに来ていた兵頭に激しく同意した。
緊張で顔を強張らせ、ぷるぷると震えながら徐々にデカい弁当箱を俺に近付けて来るその姿から、天津川が俺の為に用意した弁当にしか見えない。
そして次の天津川の発言で、それは確定的なものとなる。
「これ!三澄さんの胃袋を捕まえる為に、一生懸命作りました!どうか食べていただけませんでしょうか!?」
「「「えぇーーーーーーーーーー!?」」」
天津川の爆弾発言により、教室が大パニックとなった。
そして俺も、天津川の発言にフリーズしていた。
だって今の発言、完全に告白じゃん?胃袋を捕まえる為?なんとも大胆で独創的な告白だな…。
まさか俺が口を半開きにして固まるとは思わなかったぞ。
「あ、あの……手作りはお嫌いでしたか?」
俺が固まってると、天津川は不安そうな顔で上目遣いでそう聞いてくる。
並の男ならすぐに落ちてしまうくらい可愛い表情だ。
「いや、別に嫌いではなけど……え?マジで何?とち狂ってんの?こんな教室でクラスメイトが見ている中で、そんな大胆告白とか…」
「え?告白…?まだしてませんけど?」
まだ!?てことは天津川にとって、胃袋を捕まえる発言は告白をしていない判定なのか!?
ていうか、まだって言ってる時点で告白しにきてんじゃねぇか!なんだコイツ!?頭おかしいんじゃねぇの!?
……いや頭おかしいわ。俺なんかと仲良くなりたいような奴だもん。
つうかマジでどうすればいいのこれ?昨日の俺と今朝の俺はありがた~~~く貰うなんて言ったけど、これ貰ったら告白を受けたことになるよな?
俺はマジそういうの要らないから、断るべきだよな?だが自分の発言を撤回するのはどうなんだ?
……………いや、いやいやいやいやいや。逆に何を迷う必要がある?流石にこれは断るべきだろう。
だってこれは、好きでも何でもない相手の告白だぞ?断る方が自然だろう。うん、そうしよう。
「悪いけど、そういうのは受け付けてないんだ」
「っ!……………そう、ですよね…。よくよく考えたら、いきなりこんなの渡されても、困りますもんね…」
頭を抱えて意味もなく悩んだ末に出した答えに対し、天津川は泣きそうな声でそう言った。
……え?待って。マジで今にも泣きそうなんだけど?
「申し訳、ございませんでした…」
おい。やめろ…。
本当に泣かれたら、また俺が悪者扱いされるだろうが。ていうか見てるこっちの心が痛むっつうの…。
「三澄さんに喜んで欲しくて、頑張って作ったのですが……そうですよね。特に何の関わりもない女子から、いきなりお弁当を渡されても……ぐすん…。嬉しく、ないですもんね…。気持ち悪い、ですよね…」
やめろーーー!?そんな葵と同じ様な泣き顔されたら、俺の中に僅かに残っている良心が痛むー!今よりもっと小さい頃の葵の泣き顔と被って、ついつい甘やかしそうになってしまうー!
……あれ?葵が泣いた時って、甘やかしてたんだっけ?ていうか、前にも似たような光景を見たことあるような…。
そんな風に思った時だった。突然、泣きながらお礼を言ってくる女の子の姿が、頭の中でフラッシュバックした。
その子は天津川と同じ銀髪の子で、自分だって怖い思いをして傷付いたはずなのに、自分よりも俺のことを心配していた。そんな記憶が、ふと蘇った。
内容は途切れ途切れだし、顔も思い出せないが、銀髪の女の子なんてそうそういるもんじゃない。
―――この記憶の女の子は、天津川だ。
「それでは、失礼しますね…。今のことは、忘れてください…」
「っ!ま、待て待て!」
はっとなった俺は、思わず天津川の腕を掴む。
自分でも何をしてるんだと思うが、何故か身体が勝手に動いて引き留めていた。
よくわからないが、このままにしてはダメだと、そう思った。
「お前もしかして、前に俺が助けた女の子か?」
俺がそう言うと、今まで薄っすらと涙を浮かべていただけだった天津川が、ぽろぽろと涙を流し始めた。
その表情は悲しそうだが、どこか嬉しそうでもあった。
「……やっぱり、憶えていなかったんですね…」
「……………悪い…」
「いいんです。思い出していただいただけでも、凄く嬉しいです…」
「ああ、そう…?」
「はい…」
天津川は本当に嬉しそうに、眩しいくらいの笑顔で頷いた。
それを見た俺は、そんな彼女の表情に困ったように頭を搔き、しばらく俺の顔を見ていた彼女は恥ずかしそうに頬を染めて俯いてしまった。
「……………」
「……………」
「「「……………」」」
気まずい!
昨日といい今日といい、なんで俺がこんな思いをしなきゃならないんだ!?俺はただ、前に助けた女の子が天津川だったことを思い出しただけだぞ!それだけでなんでこんな気まずい思いをしてるんだ!
天津川も天津川だ。なんでそんな照れてるんだよ?なんか言えよ!
おい兵頭!お前いつもみたいになんかバカみたいなことを言え!教室内が氷河期を迎えてるぞ!?
俺がそんな思いを込めて兵頭に目で訴えかけると、兵頭は任せろとでも言うように小さく親指を立てて、動き出す。
「ヒューヒュー!お二人さんお熱いねー!何々、感動の再開?運命の出会い?こんなの男の俺でもトキメイちゃうよー!可愛い可愛い彼女さんが出来た感想を、三澄乙葉さんどうぞぉ!」
「助けを求めたが茶化せとは頼んでねぇー!」
その後、冷え冷えの教室内に一人のバカの断末魔が響き渡った。
はぁ~~~……もう嫌だ。昨日の記憶も今日の記憶も、永遠に消し去りたい…。
―――しかし……当たり前だが、この時の俺は知る由もなかった。まさか俺が、天津川との思い出を忘れたくない、ずっと憶えておきたいだなんて思うようになる程、幸せな毎日を送ることになるなんて…。
女の子の涙って卑怯ですよね?
でもそこが良い!
面白い、今後の展開に期待していると言う方はブクマ登録と高評価、感想といいねをよろしくお願いいたします。