「私と婚約してくれないなら、一緒にあの世に逝きましょう?」
「王子殿下、やっとお会いできましたね。少し私の話を聞いて頂けますか?
……あなたと初めて出会ったのは、あの舞踏会の時でした。
私、侯爵令嬢アリス・リクルソンは箱入り娘。長らく舞踏会に出席することを許されてきませんでしたが、十七歳のあの日、初めて父上に言われたんです。
『今日の舞踏会に出ることを許そう』と。
私はおめかしして大張り切りで会場へ行きました。そして、あなたをお見かけしました。
――艶やかな漆黒の髪にお美しい顔立ち。凛々しい佇まい。
私は瞬間、あなたに一目惚れしたんです。
一緒に踊ることはできなかったけれど、舞踏会から帰った後も私はあなたのことが忘れられませんでした。そのうちに夢でもあなたの事を想い、激しい恋情に胸を焼き焦がし続けるようになりました。
愛しています、王子殿下。この身を捧げてもいいくらい愛しています。私、あなたがいないと生きていけません。あなたとキスを交わすことができたら、これ以上の幸せはないでしょう。
お願いします、私のこの気持ちを受け取ってくれますか?」
* * * * *
太陽が輝く朗らかな陽気の日、私は屋敷の中庭で、憧れの彼に想いを伝えた。
彼を直視しているだけで頬が熱くなる。胸がざわめく。
――彼は、黒髪黒瞳の、恐ろしい程の美貌を誇った少年だった。目の前の彼こそがこの王国の王子、ガブリエルである。
ガブリエル王子は宝石のような黒瞳を丸くし、絶句している。
しかしすぐに我に返ると、こう言った。
「君の気持ちは嬉しいよ。だけど……」
「じゃ、じゃあ、受け入れてくれるんですね!?」
彼の言葉に目を輝かせ、身を乗り出す私。
受け入れてくれるのであればこれ以上の幸いはない。今すぐに父上に伝え、国王様の承認を得なければ――。
しかしそれは、私の勘違いでしかなかった。
「君の気持ちは嬉しいよ。だけど、それはできない。だって俺には、もう好きな人がいるんだ」
「え――?」
驚きに声を失う私に、王子ガブリエルは続ける。
「公爵令嬢のステファニー。俺は彼女にぞっこんなんだ。今は相談中だが、もうじき婚約を結ぶことになるだろう。だから君の申し出は受けられない。悪い」
バッサリとそう切り捨てられた瞬間、私は彼の言葉の意味を理解できなかった。
そしてやっと頭が追いついた時、湧き上がってきたのは激情だった。
「どうして! どうしてなんですか!? 私はこれ程までにあなたを愛しているのに! なのにどうして、公爵の娘なんかと!」
だが、叫んだところで何が変わる訳でもない。
王子殿下は「ごめん」とだけ言って、帰って行った。
――わざわざ侯爵邸まで彼を呼び出して、朝から晩まで愛の言葉を考えて、ただ熱烈な恋情のままに告白したというのに。
「裏切られ、ました……」
ああ、憎い。
憎い憎い憎い。憎くて妬ましくて悔しくて、気がおかしくなりそうだ。
そのまま私は泣き崩れ、ただただ悲しみに暮れるしかなかった。
* * * * *
それから数日が経っても、私は彼の事がずっと頭から離れなかった。
私の憧れだったあの人。
お城で出会った時からずっと忘れられない、あの笑顔。
忘れられるものか。諦め切れるものか。この恋心、捨てられるものか。
だから私は、王城へ足を運ぶ事にした。――彼からの愛をなんとしても手に入れる為に。
ガブリエル王子の部屋には、部外者の女がいた。誰かと問うと、長い金髪を揺らす女は微笑み、名乗った。
「あたくしはステファニーですわぁ。公爵令嬢ですのよぉ? あなたは侯爵さんの娘さんですわねぇ、ご無沙汰しておりますわぁ」
ステファニーと聞いて、私は驚きと共に激しい憤りを覚える。
だって彼女こそが、彼が私の方を向いてくれない原因なのだから。
私は女を鋭く睨み付けると、王子に向き直る。不審げな顔をしている彼に、こう言ってやった。
「私はあなたを愛しています。幾度断られようとも、きっとこの気持ちは捨てる事ができません。あなたが傍にいてくださらない事が、もはや私には耐えられないんです。……どうしてもあなたが私と婚約してくれないなら、せめて、一緒にあの世に逝きましょう?」
「な、何を言い出すんだ」と驚愕する王子に、私は続ける。
「一緒に冥界へ逝きましょう。そうすれば私とあなたは永遠に結ばれる事になります。この女の事が好きなままだとしても、私は無理矢理にでもこちらを向かせます。そしていつか、愛し合う事ができるんです。今は嫌に思うかも知れません。でもこんな女と結ばれたって何になりますか? 何にもなりゃあしません。ですからお願いします、王子殿下」
そして私は王子殿下に抱き付き――彼の柔らかな唇に、己の分厚い唇を重ね合わせる。
だが直後、王子が激昂して私を突き飛ばし、叫んだ。
「この豚女! お、俺に何をしてくれやがるんだっ! お前は醜い! 醜い豚だ! お前なんかと一緒になってやるもんか! 俺はステファニーと一緒にいる。婚約だって結んだし、愛を交わしたんだ。もっとエロスな事もした! ……お、お前なんかと、お前なんかと、結婚なんざしてやるものかよ!」
お美しい顔は怒りに歪み、こちらへと猛烈な罵倒を浴びせかけて来る。
その心ない一言一言に私の心は砕かれ、粉々になった。
「……そんな、ひどいっ!」
私は彼を愛しているだけなのに。彼と愛し合いたいだけなのに。
私の気持ちは、想いは誰にも聞き届けられる事がなく、『侮辱罪』などにより私は王城の地下牢に囚われる事になった。
「――どうしてこんな事にならなければならないのですか!? 私が何をしたというんですか!?」
食事はメイドが運んで来る犬の餌のような物ばかり。とても人間が食う物とは言えない。
食べる以外には何をする事も許されず、私は王子の事を想い続けながら、怠惰に日々を過ごしていた。
そんな、ある日の事。
地下牢にコツコツと高らかな足音が響き渡り、誰かが入って降りて来た、
メイドだろうかと考えるが、さっき食事を運んで来たばかりの筈。一体誰なのだろうか?
そしてその人物を見て、私は思わず「あ」と声を漏らさずにはいられなかった。
だって金髪の彼女は、公爵令嬢ステファニーだったのだ。
「お久し振りですわぁ。アリスさん、お元気でしたかしらぁ?」
そう言って怪しげな笑みを浮かべる少女に、私は大きく顔を顰める。
「一体何の用ですか? あなたはもうすぐ王子殿下と結婚式を挙げられるのでしょう? 消えてください、妬ましい」
「ふふっ。素直でよろしいですわねぇ。……ガブリエル様について、ちょっとお話がありますのよぉ」
くすくすと笑いながら、ステファニーは言った。
「……あたくし、ガブリエル様に飽きてしまいましたのぉ。彼って意外に魅力的な男性ではないですわぁ。体に合わないって言いますかぁ。ですからぁ、あなたのお望み通りにしてはいかがでしょうかぁ?」
「お望み通りって……?」
「ガブリエル様と共に逝きたいのでしょぉ? 直接手は下しませんけれどぉ、あたくしもお手伝いして差し上げますわぁ。いかがですかしらぁ?」
どうして、なのだろうか。
あんなに憎い相手だったのに、私は思わず彼女の手を握ってしまっていた。
「…………そういう事なら承知しました。よろしくお願いしますね、悪魔さん」
* * * * *
白いヴェールを身に纏った花嫁と花婿が、広間の中央に並んで立っていた。
周りには何人もの王族・貴族・メイドたちが取り囲んでおり、二人を祝福するような笑みを浮かべて眺めている。
――そしていよいよ、始まる。
「新郎ガブリエル殿下。あなたはステファニー様を妻とし、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
司会の声に、王子は大きく頷いた。
「ああ。誓うとも」
誓われている相手ではないというのに、なぜだか心臓がうるさいくらいに鳴り響く。
次は新婦の番だ。
「新婦ステファニー様。あなたはガブリエル殿下を夫とし、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、夫を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
ステファニーが口を開く――その直前、広間に誰のものとも知れない悲鳴が上がった。
観客席から猛烈な勢いで走り出した私。その手に握られていたナイフが、王子の喉を突き刺したからだ。
「ぐ、お……。え、あ……?」
突然の事に目を白黒させる王子殿下。私は彼へ、にっこりと微笑みかける。
「幸せになろうとしていたのに死んでしまうなんて、なんとも悲しい事ですね、……でも私は嬉しいですよ。やっとこれであなたと一緒にいられるのですからね」
訳のわからない言葉を重ねられながらも、王子は呼吸を求めて口をぱくぱくさせる。
しかし喉からは血が溢れ出るばかりで、酸素は入って来ない。一分と経たないうちに、彼は無理解の中で死んだ。
「……亡くなりましたね。さあ、では私もさっさと逝くとしましょう。彼と永遠の愛を結ぶ為に」
顔を真っ白にして私の方を呆然となって見つめるだけの群衆に、軽く手を振る。
最後に金髪の少女――公爵令嬢ステファニーに笑顔を向けて、呟いた。
「ありがとう」
己の胸にナイフを突き立てながら、私は思う。
ああ、幸せだ、と。
――これが私、侯爵令嬢アリスの最期だった。
本当に冥界で王子殿下と愛し合えるようになったのか、それは誰にもわからない事である。
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ご読了、ありがとうございました。