3‐2 皇子な俺の失敗
彼女の口から発せられたその名前は、今まで聞いたどんな言葉よりも俺の心に響いた。自分が憧れていたおじい様の話よりもだ。
「セーラか、俺はゲルトと言う。よろしく頼む」
「よろしく。とはいっても、明日の朝になったらさよならだけど。あんたみたいなぼんぼんは、あたし達とは世界が違うから」
突き放されたように感じたが、その言葉は現実を示しているのだろう。
だって、俺は今まで彼女のような存在のことを知らなかった。世間知らずと彼女が言ったように、俺は何も知らずに生きていたし、生きてこられた。そのことに何も疑問を持たない程、平和な場所に俺は居た。
その日の夜、俺は初めて固い床の上で寝た。寝心地は最悪だったし、滅茶苦茶寒かった。でも、それよりは同じ部屋で眠る少女と自分との差と、今までの自分について考えて辛かった。
翌朝、警備隊のとこまで俺を連れていってくれた彼女は、俺が保護された瞬間、俺の元から去っていた。
***
そんなことがあってから、俺は少し変わった。
そして、父上のことも見直すようになった。戦争で父親を亡くしたとセーラは言っていた。戦争がセーラのような境遇を生み出すのだと知った。だから、父上のやり方も間違ってないと、むしろ戦で苛烈に争うよりいいと思ったのだ。戦争の勝利で輝かしいものを得るものが居る裏で、その分不幸になる人がいると実感したから。
それから、俺は父上の手伝いをするようになった。おじい様は、少し残念そうにされたけれど、俺が自衛の為に彼に剣を教えて貰うことを更に増やしたから、別に不仲にはならなかった。
とはいえ、セーラとの話をしたときに、「その子に守られっぱなしだったとは情けない」と怒られたけど。
父上は俺が行ったあの国を侵略する計画を立てていた。
うちの帝国は最先端の技術や文化を有する為、それを人々に広める為にも領土を広げるのが勧められてきた。交易で他国に広めるという方法もあるが、それはこちらにメリットがあまりない上、下手に他国の力を強められても困る。それに大陸を平定するのは先祖代々の夢だ。
あの王国は別に帝国相手に敵意があるわけではないが、その近くの国が危険なのだ。だからそこを潰すためにもあの王国の土地が必要らしい。
同盟を結ぶという手もあるが、あの王国は帝国とその国の中立を守ってきた。どちらかと敵対するなんて呑気なあの王国はそんなリスクを負いたくない。同盟を結ぶのは難しいだろう。それに同盟を結んだって裏切られたりする可能性があるしな。
だから、うちの帝国ではあの王国を侵略しろという声が昔からあった訳だが、その方法で先王と現王で意見が割れてたらしい。
先王はさっさと武力で侵略してしまう方が、本来の目的であるあの国を亡ぼす時に都合がいいだろうと。
現王はなんだかんだであの王国は巻き込まれている訳だから、ここは穏便に武力を使わないで、あの王国の教会勢力を賄賂かなんかで陥落させ、国民を扇動してもらって権力を持つ王侯貴族を始末してもらって、傀儡国家にしてしまおうという話。
前者は、早さはあるものの王国でも帝国にも大量の被害者が出る。後者は時間こそかかるものの被害は少なく済む。
おじい様は戦好きではあるが、別に被害を出したい訳ではないし、何より退位しているのだから、あまり口を出す気ではなかった。けれど、現王である父上の計画にはある問題点があったので、反対していたのだ。
そんで、王位継承権のある俺はそんな状況下で、行き過ぎた先王派の教育を受けてた訳で、完全に思考が偏った。
しかし、その先王が反対する原因を解決すればいい話だ。先王が引っかかっていた問題点は、腐敗した教会と言う厄介な勢力があの王国内に残留することだ。今は帝国の指示を聞いているが、その内、調子づいて言うことを聞かなくなったり、裏切って向こうの国になにか協力したりすることを恐れているのだ。
侵略する土地の有力な勢力は徹底的に潰しておかないと後で厄介になる。あの王国で言うなら、王侯貴族は勿論、教会も潰すのがいい。
そこで「聖女計画」というものを先王や現王と俺で考えた。
代々、あの国の教会は魂の色と言うもので聖女を判断し、それを善意と清廉の象徴とする。とはいえど、聖女が毎回同じ家系から選ばれることから、世襲に近いものだし、今の神官は魂の色が見えず、聖女がここ数年不在だという。
スパイにあの国の教会の代々の神官の日記を調査させた結果、分かったのは聖女なんてものはもとからいないし、魂の色なんて本当は誰も見えていないこと。
代々の神官の日記では、自分に聖女の色を見る力がないとバレるのが怖かったから、適当に聖女を選んできたと書かれていた。一人分の日記だけならともかく、それが今までの神官の8割となれば、『聖女』なんていないとするのが妥当だった。
しかし、あの国ではどの時代も『聖女』が人々の求心力となっている。
あの国の王侯貴族が邪魔だ、あの国の教会が邪魔だ。どちらも大きな勢力で、一気に全員潰さなければ後で敵になる可能性がある。
だけど、『聖女』一人であれば、こちらもいいように操れるのではないだろうか?
そう考え、俺達は教会に真の目的を悟らせず、ある少女を『聖女』にするように指示した。
王侯貴族派でも、教会派でもない、独立が可能な『聖女』
求心力があり、こちらが制御が簡単に出来そうな『聖女』
それがセーラだった。
貧民街育ちならば王侯貴族を尊敬なんてしないだろうし、教会への信仰心も無い。また、貧民街から『聖女』が見つけられただなんて劇的な話に、一般市民が食いつかない訳が無いし、親しみやすいだろう。また貧民街出身ならば、こちらの思惑などに気づかずに最期まで利用されてくれそうだ。
かといって適当に貧民街の子供を選ぶにはどこか不安があった。そこで、銀髪と言う珍しい容姿を持っている上、一度とはいえ俺と話したことのあるセーラは御しやすいだろうということで、彼女は聖女として選ばれた。
まあ、彼女を聖女として推薦したのは多少の私情があったがな。
セーラをあのままにしていたら、またその容姿の珍しさから身の危険に晒されただろう。俺は自分の恩人である彼女をあんな場所にいさせたままなのは御免だったし、彼女にまた会いたかった。『聖女』ならば、三食や身の安全の保障もできる。
父上やおじい様もそれは分かっていただろうけれど、わざわざ他にいい条件の少女を探すのも面倒だったのだろう。
そんな訳でセーラは聖女として保護され、計画は始動した訳だ。
が、計画はあくまで計画で、全てが上手くいくわけではない。
途中で計画の方向性を切り替えもした。
当初は、聖女に一度に王侯貴族と教会の二大勢力を片付けて貰おうとしていたが、セーラが予想外に一部の王侯貴族と仲良くなってしまいそれが不可能となった。セーラのいつかのパーティーでの様子では、絶対に王侯貴族を敵とするようなことはしない。あと、多分、俺のことを覚えていなかった。
数年越しで成長し見た目も少し変わったから、分からなかったのかもしれないが、正直ショックだ。
ということで途中から、腐った教会が王侯貴族に罪を着せ、市民を扇動し、王侯貴族を一網打尽。しかし、真実を知る聖女が立ち上がり帝国と手を組み、腐った教会を倒すという計画にした。
この計画だと、セーラが帝国側の事情を知らない限り上手くいくだろうし、ついでに仲良さげなあの女が亡くなった悲しみから慰め、復讐に手を貸すことで、セーラと距離を縮められると思った。帝国側の話を知ったら彼女は激怒するだろうが、気付かせるようなへまはするつもりがない。
加えて、ただの貧民街の子供なら帝国の皇子である俺が彼女を伴侶に迎えることは不可能だが、あの王国の権力者となればそれも可能になる。
計画の変更はあったが、結局はそれさえも利点にすることが出来た。
そう思っていたのに……最後の最後でやられた。
先王と現王はその最後の失態を大した痛手だと思っていない。何故なら、あの王国を我が帝国の領土にすることにはもう成功したも同然だから。
だけど、俺にとっては何よりの失敗だった。
失敗の原因は二つ。
一つは、セーラと王国の王子が人々の予想を遥に上回る、自己犠牲が前提の馬鹿な行動で、聖女の名を貶めてまで、王子の婚約者を逃がしたこと。
もう一つは、今目の前にいる女、王子の婚約者のリディアとかいう存在だ。
「なんの用だ?」
「あら、亡命してきた哀れな令嬢、もとい有力な協力者に、そんな態度でいいのかしら?」
赤い目を細める女狐に俺は舌打ちしそうになる。
一度、計画を変更させられたことで警戒はしていたのだが、まさか一度ならず二度までもやられるとはな。