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1 聖女なあたしの令嬢追放

「リディア! 聖女であるセーラを陰で虐めるお前には愛想が尽きた。今、ここで婚約破棄をする。そしてお前を追放する!」


 そう高らかに宣言をしたこの国の王子にあたしは寄り添いながら、リディア様の顔を見る。


 彼女の赤い瞳が動揺で揺れているのを見て、心が引き裂かれるように痛む。


 だけど、ここであたしがやらなければならない。ここであたしが言わなければならない。でないと、王子の宣言が無駄になる。


 彼女を傷つけることへの痛みと悲しみさえも利用して、あたしは涙目で王子に縋る。


「わた、私、リディア様に酷いことされて……でも、言えなくてつらかったんですっ」

「おお、可哀想なセーラ、僕が守ってやるからな! リディア! お前はなんて奴なんだ!」

「殿下ぁ! 怖かったぁ……」


 王子と比べて迫真というか、少し系統の違う演技をしていた為、軌道修正する。大根役者っていうか、根っからのおバカ王子を演じてやがる。これだと儚げを演じる欲深い策士の女より、ぶりっ子女の方がお似合いだ。こういうところも打ち合わせしていれば良かった。


 周りからどう見えているか気にして、大衆の顔を窺えば、女性達があたしを汚物でも見るような目で見ているのが分かった。


 こっちの方が私へのヘイトが溜まって、リディア様は同情的に見られそうだな。流石、王子様、あたしより色々賢いじゃん。

 そういった感心から笑みが零れたが、せっかくの笑みを有効活用しないのももったいないので、あたしは王子の背に隠れた状態でリディア様にそれを見せる。


 彼女の赤い瞳にはさぞ嫌な女が映っているだろう。


 彼女の愛しい婚約者を略奪する為に濡れ衣を着せる女なんていようもんなら、あたしは間違いなくその女をぶん殴る。だけど、そんなぶん殴りたいような女はあたし自身で、正直今でもなんでこんな酷いことをしてんだろって思ってしまう。


 でも、こうするしか馬鹿なあたしには出来ないから。


 彼女の赤い瞳が一度ゆっくりと閉じられ、そして覚悟を決めたようにかっと開かれた後、自分が何を口にしたのか、何をしたのかはっきり分からない。


 おそらく最後に見ることになるだろう、彼女の美しい姿を目に留めたくて仕方なくて、

 おさらく最後に聞くことになるだろう、彼女の美しい言葉と声を耳に残したくて仕方なくて、

 おそらく彼女と会えることは今後、あたしの短い生ではないだろうから、リディア様の全てを感じたかったんだ。


 隣の王子がつねって注意を促したりするほど、あたしは集中を切らしてたみたいだけど、彼女が衛兵達に取り押さえられて連れてかれるのを見て成功したのだと分かった。


 ***


 あたしはある日突然、聖女だなんだと貧民街から連れてこられた。


 聖女ってなんだよって思ってたあたしが勿論、聖女らしく出来る訳がなく聖職者達にはよく怒られた。


「聖女様はそんなにがっついて食べ物を召し上がりません」

「聖女様はそんな大股で歩いたりしません」

「聖女様はそんな汚い言葉をお使いになりません」

「聖女様はいつも優しく笑っているのです」

「聖女様は――」


 聖女様はと毎回理想像を引き出されてあたしの行動は毎度否定された。勝手に貧民街から連れてきたクソガキにそんな振る舞いできる訳ねぇだろ。つーか、なんであたしがその聖女なんだと聞けば、「魂の色です」とか言われてもう訳が分からなかった。


 何であたしを聖女と判断しているか分かれば、それを変えて聖女様とやらの役目を投げだせると思ったのに、そんな訳の分からんものだったらどうしようもない。


 三食得られることと安全な寝床もあることだし、諦めて聖女らしく振舞ってみることにした。


 でも、やっぱさ。あたしは貧民街のガキなんだ。

 貴族のお嬢様ならまだしもあたしにおしとやかに振舞うのも、心の清い少女を演じるにも限界があった。結局、ぼろが出て「聖女様は――」とまた聖職者共にまたぐちぐち言われた。

 それに、なんだかんだ演じてもいたから、あたしはあたしらしさが無くなって心が擦り切れていったんだ。


 あたしは聖女みてぇだ。


 でも、聖女ってなんだよ?

 聖女らしいってなんだよ?


 あたしはあたしだ。周りが言っているのは「聖女」ばっかで、周りが見ているのは「あたしが聖女らしい」かどうかで、誰もあたしをあたしとして見てくれない。

 諦めて「聖女」を目指して見ても「聖女様は――」ってそれさえも否定されて、あたしにはどうしようもなかった。


 あたしはあたしだ。なのに、なんでそうであることを誰も許してくれないんだ。魂の色なんてそんなよく分からんものの所為であたしは存在否定されたも同然だった。


 聖女様聖女様聖女様うっせぇんだよ! ある日、そんな気持ちが暴走してお祈りの時間、周りの制止を振り切って逃げだした。


 建物の影に隠れている時にあたしを探している聖職者達が話しているのが聞こえた。


「やはり貧民街出身じゃあな」

「我儘娘め、聖女じゃなかったらもう少し罰が与えられるのに」


 なんなんだよお前ら。別にあたしは聖女であることなんて微塵も望んじゃいねぇのに。なんでそれを強要するお前らに裏でそんなこと言われなくちゃいけねぇんだよ。

 あたしが我儘だっていうんなら、あんたらは何様だってんだ。


 悔しくて、悲しくて、惨めで、辛くて、怒りで頭ん中いっぱいで涙が決壊した。幸い、そいつらにはバレなくてすんだけど。あたしはどうすりゃいいのか分かんなくなった。


 このまま逃げ出したところで、貧民街育ちのあたしに碌に生きていく場所は無い。それに逃げ続けても大勢に捜索されているあたしが見つからないまま生きていくのは不可能に近いだろう。かといって、戻ってあいつらにまた色々文句言われて、自分を殺して生きていくのも嫌だった。


 あたしってなんなんだろう。


 そう思った時だった彼女に、リディア様に会ったのは。


 隠れて泣いているあたしを見つけた彼女は「どうしたの?」と優しく声をかけてくれた。


 しかし、聖職者共のせいで人間への不信感が高まっていたあたしは碌な返事をしなかった。それでも彼女は根気よくあたしに構ってくれた。時たま、あたしを捜索する連中がこっちに来た時には、あたしの様子を見て何かを察した彼女は誤魔化してくれた。


 やっと落ち着いたあたしに彼女は「あたしはリディアというけれど、あなたの名前はなにかしら」と聞いた。名前を聞かれるなんて久しぶりだった。ずっと「聖女様」と言われていたから。


「セーラ」

「そう、セーラ……綺麗な名前ね」


 そう赤い瞳を細めて微笑んだ彼女は優しくて美しくて神々しくて、彼女みたいな人が聖女にふさわしいのだろうなと思った。


 それから、しばらくあたしの話を聞いてくれた彼女は、教会に帰るあたしについて来て「あたしが聖女様に無理を言って会ってもらったの」と逃げ出したあたしのことを庇ってくれた。彼女が公爵令嬢で王子の婚約者だったのもあって、軽い注意だけで済んだ。

 週に一度、あたしに会いに来てあたしがあたしのままいられるように一緒に話してくれた。


 あたしが聖女様としての役目を果たしていないと、聖職者共が罰として彼女との面会を禁止にしたから、聖女を演じるのも必死になったけれど、彼女との会話であたしはあたしを取り戻せるから、以前ほど辛くはなくなった。


 初めて、大きな舞踏会に出た時、おぼつかないあたしを彼女は助けてくれた。


 その内、彼女の婚約者の王子から、歴代の聖女は彼女の公爵家から生まれていたことを知った。それから少し気にして噂に耳を傾けてみれば彼女が「聖女になれなかった公爵令嬢」と冷たい目で見られてきたことを知った。


 本来なら、あたしを憎むくらいの境遇にいるのに、彼女はあたしに優しくしてくれた。そんな優しい彼女こそがあたしにとって聖女で、大切な人だった。

 そして、王子にとってもそれは同じで、王子は彼女を誰よりも想っていた。


 だから、王子と一緒に彼女をこの国から、この崩壊寸前の国から追放しようと画策したんだ。


 ***


 最後の砦となるだろう王宮の地下室で今はあたしの婚約者になった王子は言う「付き合ってくれてありがとう」と。


 これは恋愛的な意味ではない、リディア様を追放するのに協力したことだ。王子の最愛はリディア様で、あたしの一番大切な人もリディア様だ。


 無いだろうがもし、王子があたしに惚れて彼女に濡れ衣を着せて追放しようものなら、あたしは間違いなく王子をその場で殴っていた。逆に王子もあたしが彼女から自分を奪う為に今回の騒動を引き起こしていたのなら聖女だろうがなんだろが罰を与えていただろう。


 今回の追放はリディア様に幸せに生きてもらう為に行った。


 この国はもとから教会が費用を食いつぶしたりしている所為で、財政が火の車だった。そして今年は凶作。お陰で国民が反乱しようとしている。対抗しようにも兵たちの士気が低いうえ、資金がない。


 しかも元凶である教会はと言えば国民を扇動し、王侯貴族が国民を苦しめる悪で、自分たちはそれを打倒する民を助ける存在だと騙っているのだから、始末に負えない。


 勿論、聖女のあたしも利用したいのか、王侯貴族の悪口やあることないことを吹き込んだり、聖女様聖女様と人々にあたしを持ち上げさせている。貧民街から生まれた聖女が、悪しき上流階級の奴らを倒したなんて、大層お綺麗なお話が作りたいが為にね。反吐が出る。


 このままだと、この国の王侯貴族は国民とその後ろで糸を引いている教会に葬り去られる。


 そのことを恐れて既に察しのいい貴族は国外に逃亡した。だけど、国の中心の貴族や王族は簡単に国を捨てて逃げれば、それもそれで更なる反感を買う。


 それでも既に実権を握っている王子は病に伏せっている父王とその妃を療養という名目で他国に逃がした。だが、その所為で王族に対しての国民の視線は更にきつくなった。


 ここから、王子の婚約者まで国外へとなると難しい。下手したら逃亡途中に捕まってリディア様が嬲り殺しにされる可能性だってある。加えて、リディア様は優しいお方だ。王子がこの国で全てを背負って死ぬと聞けば、一緒に死ぬと決断するだろう。


 リディア様が死ぬなんて、あたしも王子も絶対に嫌だった。


 だから、手を組んだ。


 あたしは王子を誑かしリディア様に濡れ衣を着せた最悪な女を、王子はあたしみたいな女に溺れ切って優しいリディア様を理不尽に捨てる馬鹿な男を大勢の前で演じた。


 そうすれば、追放と言う名目でリディア様を国外へ逃がすことが出来るから。

 そうすれば、リディア様は腐った王侯貴族から裏切られた可哀想な善良な令嬢として反感を買わないから。

 そうすれば、裏切られたリディア様に味方するような善良で優秀な貴族たちも何人か逃がすことが出来るから。


 聖女なあたしが、腐った王子と一緒に悪事を働けば、あたしをまつり上げていた教会側の信用が揺らぐから。


 この反乱の犠牲となるのは、あたしと隣の王子だけでいい。リディア様は幸せになって欲しい。


 リディア様はお優しいから、裏切ったあたし達でも死んだと聞いたら悲しむだろう。だけど、大丈夫。優しいリディア様の周りには人が集まって彼女を慰めてくれるから。幸せにしてくれるから。


 なんなら、この国より遥に大きくて強い帝国の皇子も国際的なパーティーの度にリディア様を探していたから、きっとあいつが幸せにしてくれる。あたしは、リディア様と一緒にいるからっていつも睨んできたあいつが嫌いだけど、彼女のことを幸せにしてくれるならいい。睨まれた時も睨み返してたしお互い様だ。


「来たな」

「そうっすね」


 王子とあたしは乱雑な足音を聞いて、目を合わせる。王子の青い瞳からは覚悟を感じた。しかし、それに映るあたしの顔はそんな覚悟はなくて情けなかった。


「悪いな、お前はあっち側にもなれたのにこっち引き込んで」

「死ぬのは嫌だけど、あっち側になってリディア様を殺すよりはマシだし、これはあたしが決めたことだから」


 慰めてくれた王子をそんな風に扱って、あたしは震える足を叱咤しながら立ち上がって碌に握ったことのない剣を握る。言葉遣いだの不敬罪だのはどうせこのあとすぐ死ぬのだからどうでもいい。


 この地下室の唯一の入り口の鉄の扉が激しく叩かれる。「出てこいやぁ!」「ぶっ殺してやる!」などと荒々しい声が扉の向こう側からする。この分厚い鉄の扉越しに聞こえる罵声なのだから相当の大声だろう。


「なぁ、王子様、最期に話をきいてくれない?」

 あたしはそう静かに、ここまで逃げてきて綺麗な服も、肌も金髪も汚れ切った王子に言う。


「ああ、構わない」

 堂々と答える王子は、汚れだらけでも威厳たっぷりで笑えてくる。たとえ、落ちぶれようがこいつはどこまでも王子だ。


 ああ、こいつとリディア様の治める国で生きたかったな。そんな思いを飲み込んでから、あたしは口を開く。


「あたしはずっと自分が聖女でいることが嫌だった。なんで自分が聖女なのか分かんなかった」

「よく、リディアに弱音吐いてたな」

「うん、そう。辛くて、悔しくて、聖女だなんてくそっくらえだと思ってた。だけどな、今はあたし、この『聖女』っていう肩書嫌いじゃねぇんだよ」


 あたしの言葉に驚いたように王子が青い目を見張る。ははっ、間抜けな顔。


「聖女だったからリディア様に会えた。聖女だったからリディア様やあんたと仲良くなれた。聖女だったからリディア様を追放できた。あたしはきっと――リディア様の為の聖女だったんだ」


 それなら聖女ってことにも意味を見出せる。優しいあの方を救うためにあたしが聖女だったっていうんならいい。


 聖職者共の言う『聖女』なんて真っ平御免だし、なれやしねぇ。でも、『聖女』のように優しいあの方を助ける為の身代わりの『聖女』だったてんなら別だ。


「……優しいリディアでもそれ聞いたら流石に怒ると思うぞ」

「ですよねー」


 王子の反応にあたしはへらっと笑って見せる。


 あんたの言う通りだよ。やっぱ、あんたはリディア様の婚約者だ。あの方のことをよく分かってる。


 さてと、あたしは最期に王子様、リディア様の大事な方を守るとしますか。剣術なんてもんは知らないけど、幼い頃貧民街でちゃんばらごっこくらいはしたし、なんなら身なりのいい坊ちゃんをごろつき共の隙をついて助けたこともあったっけか。最悪の場合でも盾くらいにはなれるだろう。


 一際、大きな激突音が鉄の扉からする。


「王子、下がって」

 そうやって、扉と王子の間に立ち塞がったが、


「――っ⁉」


 急に視界が暗転した。


「お前はここまでだ」


 王子の言葉も、自分に起きたこともよく理解できない内にあたしは意識を手放した。


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