二章 四 諦めたくない。 好きなんだ
四
デメトリオスの傷も癒え、落ち着いたところで話を聞くと、どうやらならず者がデメトリオスを煽ったらしい。
「どうするんだ? もう諦めるのか?」
デメトリオスは先ほどの恐怖がぶり返し、答えに窮した。
「サテュラスって子は? どうなってもいいの?」
フェリアスも尋ねる。
「嫌だ……諦めたくない。 好きなんだ」
シルバーは鋼の声で続ける。
「これはデメトリオス、君の試練だ。俺たちは、応援することしかできないが……」
「わかっています。 これは俺一人でやり遂げなければならないんです」
フェリアスは鞄から小さな宝珠をいくつか取り出した。
「これ、あっちの草原に落ちていたの。デメトリオスさんが斃した地蛇のものでしょう?」
「十匹くらいは斃しましたから」
「なら、これは許されるわね」
フェリアスはそう言うと、宝珠を使って魔法を使う。王族のみが扱える強化魔法、『王師輝滅陣法』。
宝珠は小さなものだったので、デメトリオスに対する強化も小さなものではあったが、それと同時に勇気を与えた。
「すごい…… これなら勝てる」
「私たちは町で待ってるから」
デメトリオスは立ち上がり、自信に満ちた表情となる。
「必ずやり遂げて帰ります」
「油断も慢心もするな」
シルバーに釘を刺され、デメトリオスは気を引き締める。
「はい」
そう言うとデメトリオスは先ほどの草原に向かう。シルバーとフェリアスはデメトリオスを見送った。
やがて先ほどの草原に戻ってくる。
(サテュラス、俺は君が好きになってしまったんだ。絶対諦めないよ)
地蛇の気配は既に無数に感じる。強化魔法を受けたこともあり、能力の感度も向上しているようだった。
地蛇はすでに殺気立っており、デメトリオスが縄張りに入ると即座に集まってくる。デメトリオスはその動きが手に取るようにわかった。地下に張り巡らされた巣は人間の血管のように広がり、血のように流れる地蛇の動きに美しさまで感じてしまう。
背後の穴から飛び出した地蛇を寸前で躱して斬り捨て、さらに前方からも飛び出してくるのでそれも薙ぎ払う。
地蛇は続々と集まり、次々と襲いかかる。地蛇は死ねば宝珠になるので、穴が死体で塞がるということはない。
「次は右、左、もう一度右!」
デメトリオスにかけられた『王師輝滅陣法』はデメトリオスから恐怖を無くさせ、身体能力を向上させている。剣というものは鉄の塊であり、通常、手練れと言われる兵士であっても二十も全力で剣を振れば腕は上がらなくなる。だが今のデメトリオスは五十でも軽々と振るい続けることができた。魔物を感知する能力もいつもより冴えわたり、地蛇相手であればデメトリオスはもう遅れをとることはないだろう。
長時間の戦いの末、百二十ほどの地蛇を斃し、デメトリオスの周囲から魔物の気配は全て消えた。
「やっ……た」
限界まで戦ったデメトリオスは剣を地面に落とす。その場で座り込み、荒い息を吐いた。
しばらく休み、体力が回復したデメトリオスは大量に散らばる地蛇の宝珠を拾い集める。小さいとはいえこれだけあれば相当な金になる。
町に着いたころにはすっかり陽は沈んでいた。デメトリオスは酒場が向かうとシルバーとフェリアスも店内にいた。二人はデメトリオスを見て、すぐに結果が分かったようで、笑顔になる。デメトリオスも二人に向かって手を上げた。そして酒場の皆に聞こえるような大声で叫ぶ。
「みんな! 地蛇を全て斃したぞ! これが証拠だ!」
デメトリオスは大量の宝珠が入った袋に手を突っ込み、宝珠を目いっぱい握って天に突き上げる。
酒場は喝采に沸き、その晩は町の英雄となったデメトリオスを称え、夜通し祝宴が開かれた。
「まさか本当にやるとはな!」
ヘパイシオがデメトリオスに杯を向けながら言う。
「何度もダメかと思ったさ。もう死ぬ気で斬りまくった」
「アスタロッツァなんてお前に貸した金を返してもらい損ねた、って愚痴っていたぞ」
「あいつめ。倍にして返してやるさ」
「はは、それなら俺もお前に金を貸しておくんだったよ」
ひとしきり笑ったデメトリオスは話を切り出す。
「なぁ、ヘパイシオ。俺が組合を作ったら運営を手伝わないか」
「幹部ってことか? 悪い話ではないな。他にアテはあるのか?」
「カイザリオスさんの人脈で何人か紹介してもらえるんだ」
「カイザリオスが後ろ盾なのか。ただの使い走りじゃなかったんだな」
カイザリオスが味方なのはデメトリオスにとっても心強かった。取り立ての仕事はあまり上手にこなすことはできなかったが、そんな自分を見捨てることなく使ってくれたし独立においては手を貸してくれるというのだから、カイザリオスには感謝しかない。
「あの人のことだから、太らせて喰うみたいなことを考えているのかもしれないけどな。どうだ?」
「いいぜ。 力になろう」
「ありがとう、ヘパイシオ」
ヘパイシオは笑い、右手を差し出す。デメトリオスはその右手を力いっぱい握った。
「それはそうと、お前にはもう一つ試練があるだろう」
ヘパイシオが笑う。サテュラスの事を言っているのか。
「そうだな。地蛇と戦うより苦戦するかもしれない」
「今のお前なら大丈夫さ。失敗してもネタになるしな」
「面白がりやがって。見てろよ」
やがてデメトリオスは酒場の連中に揉みくちゃにされ、その晩は飲み明かした。
数日後、デメトリオスはカイザリオス邸に行き、今回の事について改めて礼を伝えた。また、シルバーとフェリアスに対し地蛇討伐報酬の一部を渡した。最初は二人とも断ったが、デメトリオスは半ば無理矢理押し付けた。この二人がいなければ討伐はできなかったので、デメトリオスとしては当然のことだった。
「これから頑張ってね」
金髪の美少女フェリアスがそう言った。あの時かけてもらった魔法の正体から察するに、この少女はどこかの国の中枢に近い人物だろう。本来ならば自分が話すことができる身分ではないはずだ。
「えぇ、大きな組合にしてみせます」
「私はフレンツに帰るの。ここからはうんと西だけど、あなたの組合の噂が届くのを楽しみにしているわ」
「必ずやご期待にお応えします」
デメトリオスが畏まったので、フェリアスは苦笑いした。おそらくデメトリオスがフェリアスの正体に気づいたことを察したのだ。だがそこで銀髪の男、シルバーが言う。
「この女はただの飲んだくれだ。先日も酒場の酒を全部飲み干して店長に追い返されてなければ朝まで飲んでいたところだ」
フェリアスは顔を真っ赤にして怒った。
「ちょっと! いい感じだったのに余計な事言わないでよっ!」
「デメトリオスがどこかの姫だと誤解するだろうが」
「誤解じゃないって!」
「この前の村でも酒樽をほぼ一人で空けていたよな? 姫ともあろうものの振る舞いではない」
「むぐぅ!」
二人のやり取りを聞いていてデメトリオスは笑ってしまう。
「はは……本当にありがとうございました。またいつでもこの町に来てくださいね」
「えぇ、また遊びに来るわ!」
そうしてデメトリオスはカイザリオス邸を去る。そしてパン屋へ向かった。
パン屋はいつもの香ばしい匂いに包まれていた。頭巾を被った若い女は今日も忙しなく店内を動き回る。
「やぁ」
デメトリオスがそう声を掛けるとサテュラスは顔を輝かせて振り返る。今日はいつにも増して美しい。
「あっデメトリオスさん。いらっしゃい」
デメトリオスはしばらく店内のパンを見て回り、やがて勘定台に向かう。
「今日は何になさいますか」
「そうだなぁ、その卵が乗ったのと、肉とチズルがたっぷりのそれ」
「はい……はい……これですね」
サテュラスは箸でパンを取り上げて紙袋に入れていく。
「あと、き……」
「き?」
デメトリオスは「君が欲しい」と言いたかったが、最後に怖気づいてしまった。もう魔法の効果は切れており、あの時のような勇気が湧いてこない。胸が激しく鳴り、ふらふらする。
「いや、何でもない……」
そのまま会計を済ませ、デメトリオスは店を出る。命を懸けて地蛇を討伐したのに、女に告白すらできない。その時、いろいろな人の顔がデメトリオスの脳裏を過った。
ヘパイシオ、カイザリオス、シルバーにフェリアス。町長や酒場の親父。そうすると、フェリアスの魔法を受けた時のように勇気が胸に満ちてくる。俺にはみんながついてる。デメトリオスは自然と自信に満ちた男の表情になっていた。
デメトリオスは踵を返し、店の扉を勢いよく開く。
フェリアスは足を止め、輸入外商の店を覗き込む。
「あーっ!」
突然大声を上げると店内に飛び込む。シルバーは店の外で待っているとやがてフェリアスが店から出てきた。すぐに変化に気づく。
「……靴を買ったのか」
「えぇ、まさかこの町で"ネシャル"の新作が手に入るなんてね!」
「"ネシャル"?」
「知らないの? 有名な銘柄よ。すごく可愛いでしょう!」
フェリアスが履いている新しい靴は、艶のある革が見事な曲線を描く優美な設計。だが単に優美なだけではなく、機能性も高く丈夫で水にも強そうだ。
「確かに上等なもののようだな」
「見る目があるじゃない。私、今までずっと兵士の靴に詰め物をして履いていたのよ。だから嬉しいわ」
「靴など銀貨四枚で十分いいものが買えるだろう」
フェリアスは首を振る。
「そんな無駄遣いはできないわ。こういう良い物を買わないとね」
「で、その良い物はいくらだったんだ?」
「これ? 金貨二枚よ」
「……デメトリオスからもらった報酬をほとんど使ったのか」
「これにはその価値があるってことよ」
「信じられん……」
シルバーはこの靴を買ったことを無駄遣いだと思っているようだったが、フェリアスはとても気に入った。それに、フェリアスはシルバーが身に着けているものがどれも古ぼけて傷んでこそいるが一級品であることを見抜いていた。シルバー自身が選んだものかどうかはわからなかったが、少なくとも彼もしくは彼の近辺に「わかる」人物がいることは間違いがなかった。
やがて二人は預けていた馬を引き取りに厩舎に向かっていった。
「よし、では次の町に向かおう。いよいよヨーグラン国を出るな」
「やっとかぁ。先は長いわね」
フェリアスは気怠そうに言ったが、どこか嬉しそうな気配は隠しきれていない。きっとこの先も楽しいことが待っているに違いないのだから。
二章が終わりました。
ストーリー的にはプロット通りの進行でした。予定外の動きをしてくれたほうが話が動く時があって
それはそれでいいのですが、今回はブレませんでした。まぁ、あまりその余地もなかったかな。
現時点で、あと三章分のプロットがありますが、目標は十章です。まだ先は長そう。
英語縛りは続きます。「デザイン」「センス」ってどう書くのがいいんだろう。
結局「設計」「わかる」みたいな書き方になってしまった・・・ぐぬぬ。
ネシャルは言うまでもなくあのブランドのモジりです。