二章 三 全部叩き斬ってやる!
三
翌日からはシルバーが稽古相手となった。シルバーは木剣を両手に持ち、正眼に構えた。その威圧感は凄まじく、デメトリオスはどこから打ち込めばいいのかさっぱりわからない。そうこうしているうちにシルバーは飛ぶように動きデメトリオスは一瞬で一本を取られてしまう。
「速すぎる……あんな動きにはついていけないですよ」
「速く見えるだけだ。人間が動ける速さなどしれている。自分の予想と違うと人は速く感じてしまうものだ」
「そう……なのですか」
シルバーは頷いて木剣を構えた。デメトリオスも構える。動きをよく見ろ、予測しろ。
シルバーは先ほどと同じように動いた。いや、動いてくれたのだ。それならば!
デメトリオスは先ほどの剣の軌道を思い出し、そこに剣を構えて初撃を防ぐことができた。だが次の攻撃は予測ができずやられてしまう。
「……どうすれば予測ができるようになりますか」
シルバーは少し考えて話だした。
「人間よりも遥かに身体能力が高い魔物が剣を持ったとしたら、人間は勝てると思うか?」
デメトリオスは考える。
「力や速さ、動体視力の全てにおいて人間を上回る魔物が剣を持ったら勝てないでしょう?」
「ところがそうではない。実際に剣を持つ魔物もいるが、一流の剣士であればそいつらにも勝てる」
「何故ですか?」
「人間には『剣術』がある。剣術は人間の殺しの技術の集大成だ。足りない力や速さは剣術がその穴を埋めてなお上回る」
魔物は剣術など知らない。だが剣術だけで魔物の驚異的な力や動体視力に対抗できるというのは信じきれなかった。
「本当に剣術だけで?」
「俺は過去に何度も剣を持つ魔物と戦ったが、この通り生きている。剣術を身に着けた魔物がいたらどうなるかわからん」
デメトリオスはシルバーの言葉に説得力を感じた。実際に体験していなければ語れないだろう。
特訓が終わり、デメトリオスが酒場で夕食を摂っていると三人の男が卓の前に立った。
「おい、討伐に選ばれたからって調子乗ってるんじゃねぇぞ」
どうやらデメトリオスに絡むつもりのようだ。デメトリオスは杯を卓に置き、立ち上がる。
「調子になど乗るものか。命懸けなんだぞ」
「フン、どうだかな」
もう一人の男が口をはさむ。
「パン屋の売り子にお熱らしいじゃねぇか。俺たちが先に可愛がっちゃおうかなァ!」
「サテュラスに何かしたら許さんぞ!」
「別にお前の女じゃねぇだろうが?」
「それはそうだが」
さらに別の男が後ろからデメトリオスの腕を掴んだ。
「お前にはあの子は釣り合わねぇよ、デメトリオス!」
そう言いながら正面の男がデメトリオスの腹を殴りつけた。食事中だったデメトリオスは胃の内容物が逆流。膝を付いて嘔吐する。
「きったねぇな! あの娘は俺たちが面倒見てやるから遠慮なく地蛇に食われていいぞ」
「俺も可愛がってやるよ。誰の子供ができるか楽しみだな!」
そう言って男たちは笑いながら去っていく。デメトリオスは床を叩いて泣いた。
あいつらは本当にサテュラスに何かするだろうか。もし何かあったらと考えるだけで胸の中に黒い霧が広がっていく。だが自分はサテュラスの恋人でもなんでもない、ただの常連客だ。
慌てて酒場を飛び出して、パン屋に向かったが、すでにだいぶん遅い時間だったということもあってパン屋は灯りも消え、歌声も聞こえなかった。それを見て、デメトリオスは胸をなでおろす。
今日は無事だが、明日は? 明後日は? どうなるかわからなかった。
(明日だ、明日討伐するしかない)
翌日、デメトリオスは剣の稽古に現れなかった。
シルバーとフェリアスの二人はデメトリオスを待っていた。しかしデメトリオスが来ることはなく、やがて昼前になってカイザリオスが現れた。
「使いをデメトリオスちゃんの家にやったけど、誰もいないって」
「家にいない?」
カイザリオスは頷いた。デメトリオスは家におらず、稽古にも来ていない。
「まさかな」
「……討伐に行ったの?」
シルバーとフェリアスは顔を見合わせる。デメトリオスは確かに強くなってきていたが、まだ討伐はなしえないだろう。どんな事情があるのかは知らないが、もう昼になろうとしている。今頃は地蛇の胃袋でもおかしくない。
「行ってくる」
シルバーが建物の出口に向かうとフェリアスもついていく。カイザリオスは何も言わず、二人を見送った。
デメトリオスは北東の草原に向かっていた。
(俺が討伐すれば、町の連中に舐められることもない。サテュラスも俺を認めてくれる)
能力を駆使しながら地蛇の奇襲を躱しつつ斃し続けて七匹目。特訓の成果もあって魔物の動きを予測して動くことができていた。
周囲にはまだまだ気配は感じる。
「いくらでも来やがれ、全部叩き斬ってやる!」
丁度足元の穴から飛び出してきた地蛇を紙一重で躱し、剣を滑らせるように斬り捨てる。地蛇は次第にデメトリオスを包囲し、連携を取り出してきた。これまでの獲物と違い、自分たちを殺しうる存在だと認識したのだろう。本気でデメトリオスを排除に来る。
複数の地蛇の気配が同時に迫るのを感じる。いや、同時ではない。わずかに時間差がある。デメトリオスは一瞬で地蛇の恐ろしさを理解した。デメトリオスが一匹目を躱したところを二匹目が確実に捕らえるつもりなのだ。だがその魂胆がわかっていればなんとかなる。
「まずは一匹!」
右の穴から飛び出してきた一匹を躱しつつ斬り捨てる。それと同時に左から飛び出してくる気配。が、デメトリオスは驚愕。一匹だと思っていたが二匹重なっているのだ。全部で三匹いたが全く気付かなかった。
「なにィ!!」
どうにか二匹目は斬り伏せたが、三匹目が左肩に喰らいついてくる。牙が食い込み肉が裂ける。
「ぎゃあああ!! くそぉぉ!」
デメトリオスは左肩に食いついて暴れる地蛇の首を右手の剣で落とし、左肩に残る頭部を喘ぎながら外す。肩は砕け、血が溢れる。それと同時に周囲に地蛇が集まる気配。このままでは地蛇どもの餌になってしまう。
デメトリオスは完全に囲まれる前に撤退を決意。もはや戦意は喪失していた。包囲が薄いほうへ一目散に逃げ出す。デメトリオスの頭はもう完全に恐怖に染まり、斃した地蛇の宝珠すら拾わず駆けた。
草原を抜けてもデメトリオスは走り、やがて息が上がったところで速度を落とす。もう地蛇が追ってくる気配はない。安堵の息を落とし、怪我の具合を確認する。肩は血塗れになっていたが、不思議なことに痛みはなかった。
「うう……」
落ち着いてくると急に怪我は痛み出した。出血を止める処置だけするとデメトリオスは歩き出す。既に地蛇を討伐する気はほとんど失せてしまっていた。
項垂れて歩いていると腕に違和感。何かに引っ張られるような感覚。木の枝にでもひっかけたかと見てみると人喰い蜘蛛の巣だった。デメトリオスの頭からは血の気が引く。慌てて気配を察する能力を使うと、やや距離はあるが一つ気配がある。この距離では気づかなかった。巣に獲物がかかったことはおそらく蜘蛛にも伝わったのか、少しづつ近づいているようだ。
デメトリオスがもがくと余計に巣は絡まり、もはや脱出は不可能。一人では抜け出すことはできそうにない。恐怖により恐慌に陥りそうになるが冷静さを失えば狩人としては失格だ。
使える武器は剣だけなので、剣を下げた左腰に手を伸ばしたがさらに絶望した。剣の柄が巣糸に絡まり掴めない。
デメトリオスがもがくほど糸は絡まり、さながら蜘蛛の巣でもがく蝶のようになっていた。気づくと巨大な蜘蛛がデメトリオスに迫っていた。黒く縞のある身体は生理的な嫌悪感を抱かせる。頭部から伸びる牙は手のひらほどの大きさがあり、あれを獲物に突き刺して体液を吸うのだ。今からまさに自分がそうなるはずだがデメトリオスはまだその事実を信じきれなかった。
蜘蛛の毒に濡れた牙が迫ったとき、聞き覚えのある声がした。
「閃空斬!」
声と同時に空を裂く音が聞こえ、蜘蛛の身体を駆け抜けていく。牙はデメトリオスに届くことなく停止し、やがて崩れ落ちると同時に宝珠となった。
糸に絡められたデメトリオスからは声の主の姿は見えなかったが、あの人物しかいない。
「シルバーさん……」
「危なかったな」
そう言ってシルバーは剣に油を塗って火を点けるとデメトリオスに絡まった糸を焼いて外していく。
「ありがとうございます……」
そう言ってデメトリオスは膝をつく。出血による体力消耗もあるが、安堵したことによる脱力もあった。
「何故地蛇の討伐に行った? まだ早かったはずだ」
「……」
好きな女を守るため、とは何故か言い出せない。するとシルバーの隣にいる金髪の女が口を開いた。
「パン屋の子?」
「どういうことだ?」
シルバーがフェリアスに尋ねた。
「昨日酒場で少し聞いたのよ。デメトリオスさんがパン屋の子とどうのって」
「昨日いないと思ったらまた酒を飲みに行っていたのか。いい加減にしろ」
「ちょ、いいじゃない別に! この話とは関係ないでしょ!」
シルバーはデメトリオスに向き直る。デメトリオスは観念した。
「村のならず者が、彼女に手を出すと言ったので……」
シルバーはデメトリオスの怪我の具合を見る。フェリアスは蜘蛛の宝珠を拾い、癒しの魔法、『緑王絆魂癒』を発動。緑に輝く霧のような風が辺りを包み込む。
「……傷が! すごい」
デメトリオスの肩の傷がみるみる回復。土気色になっていた顔も生気に満ちる。
「ぷふっ……くすくす」
フェリアスは腹を抱えて笑いだした。少女の視線に気づき、そちらを見るとデメトリオスも笑う。
「くっ……はは」
シルバーは一人意味がわらかず首を傾げる。
「どうした?」
フェリアスは笑いながらシルバーの髪を指さす。シルバーは両手を頭にやる。
「な、なんだこれは!?」
シルバーの癖っ毛はもうもうと伸び、羊のように膨れ上がってしまっていた。
すでに読者の方はお察しと思いますが、魔法の名前は宝石の名前をモジることにしました。
ダイヤモンド=デイア・モンド エメラルド=アメラ・ルド
この程度のモジりだと、すでに既出かもしれないなぁ。
「ファイア」「ヒール」とかは英語ですから、異世界には英語がないはずなので、採用しませんでした。
本文でも一貫して英語は未使用です。
「グラス」や「コップ」も英語なので「杯」としたり、「テーブル」も英語なので「卓」としたり。
翻訳システム?なんじゃそりゃ!